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Channel: Life in America ~JAPAN編
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シカゴ・ゲイ・フェスティバルとイタリアンパーティ

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6月21日(日)

我が家に泊まっていた客人を空港まで送り届け、家に戻って虫の息でへばっていると、珍しくPちゃんが「今日シカゴに行きたいんだけど」と言う。
こんな日に限ってかよー どうしてまた?
なんでも今日この日にいつも楽しみにしている“リベラルトーク・ミーティング”が某ピザ屋であるそうなのだ。

このMeetは、Pちゃんが数か月前に見つけて結構はまっているもので、「普段はあまりする機会のないリベラルな会話を、思う存分楽しみましょう」というグループの会合。
ここに行き始めてPちゃんは、ここしばらく閉じこもっていた自分の世界から外に飛び出して話の合う人たちと話をすることに開放感を感じてしまったらしい。
家で私と話をしたところで、いつも私が相手になってあげられるわけでもなく、彼としても不満がたまっていたし、
いわゆる「リベラル・オタク」な人たちと交わすディベートは知的好奇心をくすぐられるらしいのだ。
私としてはそれこそ万々歳。

せっかくシカゴに行くんだから一緒に行こう、車の中で昼寝でもしたらいいじゃないと言われ、重い腰を上げてまたもや出かけることにした。(もちろん車の中では爆睡
といっても、私は彼らのリベラルトークに参加するのではなく、この日シカゴで行われているイベントを見がてらひとりシカゴ散歩を楽しむことにしたのだった。



まずは、この週末に行われていたプライド・フェスティバル(ゲイ・フェスティバル) @Boystown。




  
パフォーマンスやっていたり


ゲイの人たちが仲良く・・


楽しそうに・・


盛り上がっていた。


奇しくもこの数日後に、同性婚がアメリカ全州で法的に認められた。



そして帰り道。今度はついでに「イタリアン・フェスティバル」(ブロックパーティー)というのに立ち寄ってみると・・・


そこは、小さなイタリアになっていた。


 
おいおい、何しとうねん!



子どもがいきなりシャボン玉鉄砲をブスッ。
傍で見ていた親は苦笑。カンチョーごっこは世界共通らしい。

 
「ここはアメリカですので、前は隠してください」

 おっとっと。



結局また、日がな一日遊んでしまった。
シカゴの夏はあっという間。それこそ毎週のようにイベントがありみんな狂ったように外に出て遊ぶのだ。
今年はシカゴを一歩も出ず、夏を満喫する予定。



ワールドカップサッカー女子・ファイナル

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昨日のワールドカップサッカー女子決勝戦、シカゴではリンカーンパークにアメリカチームのサポーター(というかアメリカ人たち)が集結して、大画面をみながら応援を繰り広げたという。

それならと、自宅でひとり見るのもつまんないので、日本人が集結しているとウワサの場所に行ってみることにした。
集まったのは、シカゴ界隈在住の日本人のみなさん。みんな体育会系。(バスケ部、ラグビー部、バレー部)



自宅から車で約30分北にある、「ザ・スタジアム・バー」。
見た目はしけしけ・・・ 


2011年に優勝した時、ビールのおまけにもらったタオルをはりきって持参したが・・。


盛り上がる人々・・・と言いたいところだが、騒いでいるのは私一人。
みんな「し~ん」。しかも選手のこと知らないという人ばっかり。
いったい、応援に来ているのか、飲みに集まっただけなのか?



失点に次ぐ失点で、Oh Noooooo!!な瞬間



画面に食い入る。


日本チームGOAAAAAALの瞬間


最初の15分で勝敗はほぼ決まったようなものだったが、後半は諦めずに攻めていた日本。
あー、もっと互角の緊張する闘いが見たかったな。

ともあれ、2大会連続の決勝出場、お疲れ様。
そして、準優勝おめでとう!


7月の野外コンサート・総まとめ

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今年は珍しく夏の帰省をせずにずっとシカゴにいるので、何が嬉しいってあらゆるイベントを堪能できること。
やっぱりシカゴの夏は最高!
7月に行ったイベントを振り返り。


★7/2
Eyes to The Skies
@Listle

うちから車で15分くらいのところにある郊外の町、Listle(ライル)で毎年行われている気球祭り。
Goroと一緒にお弁当とビール持って見物にでかけた。


ペットは中には入れないので、フェンスの外で見物。でも、実はここが特等席。




  
GORO初めて見る気球に興味津々。


 
「あれは何だ?」・・・気球だ!

 哀愁の背中・・・


今日のお弁当は、お好み焼き。おにぎり。デザートのぶどう


 


★7/4 
独立記念日花火大会 @St. Charles

アメリカの花火ほどしょぼくてつまらないものはないので、ここ数年はどこへも行かなかったけれど、
お天気もいいので、GOROを連れて夕方から隣町のセント・チャールズ市へぶらりと出かけた。




Fox川の両岸の遊歩道をゆっくりお散歩。
この町は古き良きヨーロッパの町のよう。かわいくてちょっとおしゃれな雰囲気が漂う。





 
公園内ではそこらじゅうでバーベキューをやっていて、びっくり。
そんなに焼いてどうすんだ?


 
シカゴと違って郊外は広々、のーんびり。GOROもリラックス。

 



今日は「特製焼き肉弁当」を持参。


ゆるーいカントリーバンドが演奏中。


ミシシッピ川の遊覧船を真似たスティームボートがFox川をのらりくらりと運行していた


8時半過ぎやっと日も暮れて、いよいよ花火大会・・・とここでなんと無念のバッテリー切れ。
川べりに座ってゆっくり花火見学、はよかったものの、その爆音にGOROは終始おびえてかわいそうなことしちゃった。



★7/9

テイスト・オブ・シカゴ @シカゴ グラント・パーク

ご存知、シカゴノグラントパークが食べ物ベンダーで覆い尽くされる、「大屋台フェスティバル」。



 

肉、肉、肉、肉、肉、肉、・・・・

 



 

 


そしてミュージックゲスト(7/9)は、大~好きな、トロンボーン・ショーティー(Troy "Trombone Shorty")!

 



そして・・・・


ご存知、R&B/ソウルの歌姫、エリカ・バドゥ。



 

会場は黒人大集結状態。彼らのグルーブに見ている側も圧倒される。





★7/11

アレサ・フランクリン
@ラヴィニア・フェスティバル(Ravinia Festival)

おなじみの、ラビニア。 (↓私が書いた記事です)
北米最古の野外ミュージックフェスティバル「Ravinia Festival」

一番の楽しみは、極上の音楽を聴きながらピクニックできること。
この日もお弁当とワイン&ビールをつめこんでいざ出陣!


 


今日はトンカツとポテトサラダ。


まわりも宴会モード。






 

一時は体調を壊して心配したけれど、彼女の歌声は全くもって変わらず。
声量も、高音の張りも、何もかも昔のままで終始圧倒された。たまらん!


 
今回はパビリオンの中で座って鑑賞することができた。初“ナマ”アレサに大感激の巻。



★7/30

シカゴ・シンフォニエッタ(Chicago Sinfonietta)
@Cantigny Park

うちから車で5分ほどのところにある巨大公園、「カンティニー・パーク」が今年開園60周年を迎え、園内でいろいろな無料コンサートをやっている。
そのなかのひとつ、シカゴ・シンフォニエッタ(フルオーケストラの小型バージョン)のコンサートに近所の主婦友をさそって出陣。
みんなで持ち寄って食べる晩御飯は、いつもながら最高なのであーる!


自然の中で蝉の声といっしょに聴くクラシックもまた一興。




セルフィースティック初挑戦。

 
みんなが持ち寄った豪華Dinner、うんまい!


やっぱり、ビール


ご満悦のPちゃん



★7/31

ホール&オーツ (Hall & Oates)
@RiverEdge Park, Aurora

80年代にその名をとどろかせた人気ロックデュオ、ホール・アンド・オーツ。
忘れ去られているのかな、と思いきや、昨年だったかニューオリンズのジャズ・フェスに出演しているのをテレビで見てえらく感動。
近所にやってくるというので、急いで出動。
同世代の友達二人も付き合ってくれた。やっぱりライブはみんなで行くほうが盛り上がる。





さっそく飲んでます。地元のビール、Two Brothers。



会場の年齢層は、50代~60代がほとんど。
80年代に青春を謳歌した人たちが、飲んで騒いで大合唱。


 



「昔は恰好よかったのに激変しちゃって・・・」というロックスターが多い中、このふたりはちっとも変っていなかった。


コンサート終了後。
それにしてもいつも思うのは、アメリカ人てごみを散らかしっぱなしで自分の出したごみを片付けようともしない。
イベントが終わった後はいつもごみの山。。。日本人からすると考えられない。

阿波踊り

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今年は阿波踊りにも帰れず、シカゴでお盆。
でも、なぜかシカゴで7~8月で3回も阿波踊りを踊ってしまった。

3月に仮に発足した「シカゴ阿波踊り」。
そもそもは7月18日に行われる日本のお祭り、「Japan Day」の盛り上げ隊として発足し、この日のために踊り子さんを養成していた。

当日はすさまじい雷雨に2度も襲われながらも、無事にお練りを敢行、ミッション完了。


この夏一番の蒸し暑さだった。Pちゃんは先日日本に帰国したお友達からいただいた甚平さんで出陣!


 
私の横は、徳島出身の梓さん。
現在お隣のウィスコンシン州在住でわざわざシカゴでイベントがあるごとに駆けつけてくれる。彼女の女踊りはしなやかで美しい。



競馬場で行われたJapan Day。一時的豪雨のため競馬場のロビーに踊りこむ。
アメリカ人もびっくり。



初めて入った競馬場。この日もレースをやっていた。


 

最後は、日本からのゲストアーティストFUNKISTの歌に合わせて、そこら辺の人たちを巻き込んで踊り狂う。まるで、にわか連。







2回目は、その1週間後の、ミツワスーパーのお盆祭り。
特別に踊る機会をいただいた。




この日は踊る気満々のPちゃん














一生懸命練習してきたフォーメーションをこの日初披露。(動画)




 
Pちゃんは阿波踊りが終わってもずっと盆踊りを踊っていた。実は好きなのか・・・?


東京音頭、踊り中



そして、阿波踊り3回目は、8月8日。
シカゴ市内の仏教寺院で行われた「銀座ホリデー」。
もう60年も続いている、伝統の日本のカルチャー祭りだ。

「毎年8月第2週末にシカゴのミッドウェスト・ブッディスト・テンプル Midwest Buddhist Temple で開かれる銀座ホリデーは、ロサンゼルスの二世週日本祭り Nisei Week 、サンフランシスコの北加桜祭り Northern California Cherry Blossom Festival と並ぶアメリカ三大日系祭りのひとつだ。同テンプルの日本語名称は浄土真宗西本願寺派 中西部仏教会。1944年、強制収容所から出てシカゴに移って来た日系アメリカ人1世と2世に仏の教えを伝え、心の拠り所とすべく設立された。
 中西部仏教会はシカゴ市内のオールド・タウン Old Town 地区そばの閑静な住宅街にある。近所の人たちに日本文化や和食を理解してもらおうと1955年に始めたのが、東京の銀座から名前を取った Ginza Holiday だ。」(US新聞.comより)





寺院の内部


生け花の展示も



このお祭り一番の名物、テリヤキチキンの屋台


日本からのいろいろな「技師」が店を出していて大盛況


 
ステージでは、太鼓や剣道、柔道、合気道などのデモンストレーションがひっきりなしに行われていた。


 3日間で軽く5000人は超す人出だという。

私たち阿波踊りチームは、シカゴで活躍するJazz&ブルースシンガーの野毛洋子さんのバンドのバックダンサーとしてお声掛けいただいた。
ブルースと阿波踊りのコラボレーション、これぞシカゴ!



スタンバイ中




ビデオ動画はこちらからどうぞ!




ダラス・テキサス出張の旅。

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リクルート時代の同期で、マーケティング会社を経営しているIちゃんから、アメリカでのマーケティング調査のお仕事をいただいた。
ダラスに住む一般家庭へのアンケート調査に加えて、実際にその中から3件に実際に取材に行くというスケジュール。
かくして、人生初めてテキサス州・ダラスへ、いざ3泊4日の出張へ。

8月29日
早朝の飛行機で約2時間半、ダラスへ。
そこでIちゃんと、今回のお仕事のご発注元でもあるクライアントさまと合流、3人での珍道中の始まり。

本格的なご家庭訪問は翌日からということで、この日は小手調べにダラス市内へ出て軽く市場調査開始。

まずは、話を聞きやすいカフェのウェイターさんに質問をして手ごたえをつかむ。
詳しい内容は言えないが、アメリカでも州が変われば生活形態も人の意識も違うものだと実感。


ダラス美術館



 


夕食は、ホテルから車で5分くらいのオススメのステーキハウスへ。
老舗らしく構えは高級レストランぽかったけれど、お値段はファミリー向けで安心。

 

 

食事の途中で、後ろ隣りの席の人が急に大声で「助けてくれ~、救急車呼んでくれ~」と叫ぶので驚いてみてみると、
その人の父親と思しき人ががっくりとしている。呼吸が止まっている、といってパニック状態の息子。
すぐに救急隊員がきて、何やら処置を施していたら20分後くらいに無事息を吹き返して歩き始めたのでほっとした。
どうやら心臓発作を起こしたらしい。
波乱の幕開け・・・。



8月30日

今日の取材アポは午後遅めだったため、街中突撃取材を試みて人の集まりそうな(しかも質問に答えてくれそうな)「ファーマーズマーケット」へ。
狙い通り、生活意識の高い人たちが多く、インタビューもうまくいった。
なかなか面白いサンプルが集まった。
ついでに、おいしそうなものをいろいろ購入できて一石二鳥。


オーガニックパスタを売っていた女性にインタビュー。ついでにお土産にパスタも購入。


日曜の朝とあって、地元の買い物客で賑わっていた。


あまりにも巨大なオーガニックのにんにく。名前は「エレファント・ガーリック」
ねぎとにんにくの中間の食べ物らしい。思わず購入。


そのままの勢いで、郊外のお宅訪問。
プールつきの豪邸、話もたいへんわかりやすくすべてが順調。

35℃超えの暑さで疲れ、一刻も早く冷たいもの(=ビール)が飲みたかった私たちは、ホテルに戻ってBarで軽食をつまみつつまずビール。
そこですでにおなか一杯になり、出かけることなく夕食終了。
翌朝早いので早々に解散。



8月31日

取材2日目。今日は朝10時から2件目のお宅へ。
こちらも郊外のお宅で、参考になるお話をたんまり伺えた。

お昼は、この町(Plano)にある日本食レストラン「Masami」へ。
郊外の和食というとたいがいが“なんちゃって和食”だったりするのであまり期待を膨らませずに行ったところ、
それがどっこい、オーナーもシェフも日本人の本格和食。居酒屋のような作りでそのまま飲みに突入したいくらいだった・・・がこのあともアポがあったのでそれはやめておいた 

 

 
ランチの「寿司セット」


「ダルビッシュ巻き」なるものを発見


午後からは、超有名コンサルティング会社で打ち合わせ。
冷や汗での通訳業務。
やはりいろんな専門用語や業界用語がでてくると、それを頭で理解して日本語に直す作業が大変で疲れた。




仕事が終わって外でクールダウン。


最後の夜は、テキサスということでメキシカン料理へ。
ホテルから勧められたこの店へ。サービスもよく、おいしかった。

 

3人で飲んでしゃべって・・楽しい時間だった。
お仕事なのになんだか古い友達同士みたいな会話。3人が同い年だったせい?



9月1日

最終日。午前は3件目の取材。
20代のアメリカ人の若奥様と、彼女の母親が対応してくださった。
はじめはちょっと硬かったけれど、だんだんと空気がほぐれてきて今までに聞けなかった新しい話もいろいろ聞けて、一同大満足。

これですべての取材予定が終了。
オフィシャルな仕事は完了、というわけで、シカゴまでの帰りのフライト時間までの自由時間を使ってダラス観光へ。

ダラス、といえばやはりここ。「J.F.ケネディー・メモリアル」



なんと、ケネディー狙撃現場となったビルがそのままの姿で博物館に。狙撃現場もそのまま。
いろんな展示物を見ていたら、胸が苦しくなってきた。
次から次へとやってくる人たちのなかにも、途中で涙している人もいた。
いまだにショッキングな歴史なのだろう。様々な陰謀説は語られているものの根拠はなく、“真実”は今もわからぬまま・・・。



 




そして一行はシカゴへ・・・・。(つづく)


そして、Sweet Home Chicago!

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3泊のダラス出張で大きな成果を得た私たちは、9月1日の夕方の便でシカゴへ。
空港に向かうまでの高速で渋滞に巻き込まれ、レンタカーを返してぎりぎりセーフでチェックイン。
シカゴ・オヘア到着は午後10時前だった。

誕生日男のPちゃんが迎えに来てくれて、レンタカーなどいろいろ手続きを手伝って家に帰ったのは12時ごろ。
ああ、やっと温かいベッドでGOROと一緒に眠れる....ZZZ

そして翌日は、夕方からIちゃんとクライアントのHさんが我が家に訪問。
うちも一応、シカゴでのサンプル家庭となっているため、Pちゃんに3人がいろいろとインタビュー。
普段公共料金のことなど、家の支払い関係の何もかもを彼にお任せにしているせいか、知らない話がいっぱい出てきて冷や汗 

取材といいながらも、一緒に飲んで食べて、とても楽しい時間をすごさせてもらった。
こんな狭苦しい家に来てくれて、感謝感謝! 





翌9月4日は、一日オフ日ということで、私が車で市内をご案内。
あまり観光客がいかないような場所に行って、まったりと過ごした。


ホールフーズマーケットで


トランプタワーの最上階で絶景を見る

夕方、この日から始まったジャズ・フェスティバルをミレニアムパークで見て、

 


そのあとシーフードが食べたいというリクエストにお応えして、「Shaw's」へ。
ミシシッピ・によるブルースの生演奏もやっていて一石二鳥。




こうして、8月29日から始まった3人の7日間の珍道中が無事終了。


第7回シカゴ寄席~柳家さん喬 独演会

フランク・シナトラ 100年祭

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9月4日

出張やらなんやらで、気がつきゃあっという間に9月になってしまっていた。
このまま秋になり、またあの極寒の冬がくるのか?
いや、そうはさせじ! 外に出て楽しめるうちに満喫しておかなきゃ。

というわけで、大きな仕事がひとまず終わってやっと落ち着き、今年最後のRavinia Festivalに行ってきた。

今日は「フランク・シナトラ100年祭」
今年は。シナトラ生誕100周年。実は地味ながらいろいろなイベントが行われていて、今日もそのひとつ。
シナトラの息子(歌手であるという事さえ知らなかった)が、父をトリビュートするショーだった。

市内で無料のJazz Festが行われているせいか、会場はいつもよりがらんとしていて、
でもそのせいか目立った交通渋滞もなくすんなりと会場入り。


いつもながら用意万端でピクニックを楽しむ人たち。いつもよりガランとしている。


今日のお弁当は、豚生姜焼き定食



  
ステージ後方のパネルでは、シナトラの波乱の生涯が映像で映し出されていた。
華々しい人生の陰に、マフィアとの黒いウワサも絶えなかった。
そして、懲りもせず(?)4度の結婚・・・と、生き方もスターそのものだったシナトラ。


シナトラ・ジュニア。驚くほど声がそっくり。
彼が歌った「マイ・ウェイ」を聞いていたらなんだか自然と涙が出てきた。



Pちゃんはこの時代の歌が大好きなので、大感激だった様子。
ま、遅ればせながら私からの誕生日プレゼントという事にしておこう。


ありがとう、Ravinia!
今年もたっぷりと楽しませてもらいました。
また来年!


キム・デイヴィス

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アメリカに住んでいると、とても常識では考えられないような(といっても誰の常識か?という疑問もあるが・・・)へんてこなニュースが毎日飛び込んでくる。
ここに書き残しておこうと思っていると、次々とやってくるのでそのうちもう面倒になってきた(笑)


とりあえず、ここしばらくで起こったもっとも「へんてこな」ニュースから。


○同性愛カップルに婚証明書を出さなかった職員

アメリカでは今年6月、全州で同性婚が認められたばかり。
ところが、ケンタッキー州ローワン郡モアヘッドのと郡モアヘッドで、女性書記官キム・デイヴィスが同性婚許可証の発行を求めたカップルに対し「宗教上の理由」から許可証の発行を拒否。
同じように拒否されたカップルらが訴えを起こした。

Bigoted Kentucky Clerk Kim Davis Jailed For Refusing To Issue Marriage Licenses To Gay Couples

宗教上の理由とはもちろんキリスト教(それも右派)のことで、「同性愛はイエスの教えに背く」というもの。
この訴えに対し、米連邦最高裁判所は「宗教上の理由で発行を拒否することは認めれらない」と判断を下したが、彼女はその後も許可証発行を拒否し続け、ついに9月3日、法廷侮辱罪で連邦地裁によって収監された。
彼女が収監されている間、部下たちが婚姻許可証の発行を再開し、キムは9日に釈放された。


Kim Davis released, but judge bars her from withholding marriage licenses

裁判所はキムに、釈放されて職務に戻ったあとも証明書を出すことを命令したが・・・もちろん彼女はこれも無視。
依然「神の教え」に背くとして許可証の発行を拒否しているばかりか、部下にもそれを強要し、まだ問題は続いている。

やっかいなのは、キムが選挙で選ばれた「公僕」であることから、簡単に解雇できないこと。
そのうえ、彼女は部下に対して命令する権利があり、その命令に背くと“ただの職員”である彼らが彼女に解雇されてしまうという構図が成り立っていることだ。

「部下に違法なことを命令し、これに従わなっかた部下が解雇される」とはどう考えてももおかしいことなのだが、どうすることもできず、次の選挙が行われる2016年の1月まで、キムは公務に就き続けることができる。
そしてまた、同性愛婚の許可証を拒否し続け⇒収監⇒釈放、というわけのわからないドラマが続くわけである。
もちろんこの間、彼女はそれ相当の給料をもらうことができる。



Watch: Bigot Kim Davis returns to work and vows to keep denyin...


この事件でおかしな点は、以下の4つだろう。

① 選挙で選ばれた公僕が、国の決めた法律を公然と破って職務を行っていること。違法なことを部下に命令できること。
② それに対して、彼女を裁く(解雇など)ことが出来ない現状の法律。
③ そもそも、この公僕は、個人的な信条と公務を混同していること。
④ 「同性愛はイエスの教えに背く」という事自体、何の根拠もない思い違いであること。

さらに滑稽なのは、アメリカの保守派がこの騒ぎにのっかって、キムを全面支援していることだ。
彼女が釈放されたときなどは、まさに英雄扱いだった。
次期大統領候補として名前を連ねる、共和党のマイク・ハッカビー(キリスト教超右派で進化論否定論者)などは、彼女の手を高々と持ち上げ「彼女こそアメリカの英雄」と吠えた。


(http://deadline.com/2015/09/kim-davis-eye-of-the-tiger-mike-huckabee-survivor-lawsuit-1201519822/)

キリスト教右派の人たちは、彼女の「勇気ある行い」を称賛し、現代の「ローザ・パークス」(1955年、南部の町モンゴメリーで、バスの席を白人に譲るのを拒否して逮捕された黒人女性。アメリカ公民運動のに火をつけたといわれる黒人女性)とまで持ち上げ始める始末。

毎朝、新聞を広げるとキム、キム、キム。もうあの面を見るのもうんざりだ。
あたかも「信じたことを行った自分が正義のために犠牲になったヒロイン」とでも言わんばかりのあの顔に。

これにはリベラル派がもちろん大反発。アメリカは真っ二つだ。もっとも、もともとまっぷたつだから今更驚くことではないけれど・・・
しかし、私的にはあのローザ・パークス女史と一緒にされたことに激しい憤りを感じずにはいられない。

ところで、単純な質問。

そもそも本当に「同性愛はイエスの教えに背く」のか?

答えは「Hell No!」だ。
聖書にはそんなことはひとことも、一行も書かれていない。
彼ら極右派が勝手な解釈で付け加え、広めた「まやかし」にすぎない。彼らは何かと言うと「同性愛者」には牙をむく。
そのくせ、自分たちの倫理に反した行いにはスルーするヒポクラッツなのだ。
かく言うこのおふたり(マカビーとキム)も、二人合わせて7回の離婚歴があるというから、イエスも思わず笑っちゃうあじゃぱーぶりだ。


さらにもっとアメリカだなぁ、と笑わせてくれたのが次の展開。

Kim Davis & Mike Huckabee Get Earful From Rock Band Over ‘Eye Of The Tiger’

キムが釈放されたときにバックで大音量で流れていた曲が「アイ・オブ・ザ・タイガー」。
「ロッキー3」のテーマ曲して1982年に大ヒットした、ロック・バンド「サバイバー」の曲だ。この曲を作曲したひとり、Jim Peterikはツイッターで不快感をあらわにした。

Jim Peterik @jimpeterik
I have not authorized the use of Eye of the Tiger for use by Kim Davis and my publisher will issue a C&D. This does not reflect my views.
8:29 PM - 8 Sep 2015

要するに、こんなことに使われるためにこの曲を書いたんじゃない。二度と使うな、という表明だ。
同じくこの曲の共同作曲者でもあるフランキー・サリヴァンもフェースブックでこう言い放った。

“I would not grant her the rights to use Charmin!”


確かに、自分が心血を注いで作った曲が、アホな輩の応援歌に使われるほどがっかりすることはないだろう。


それにしても、この事件で一気に全国区になったキム・デイヴィス。
彼女はきっとこれからの人生、あちこちで講演に呼ばれたり、本を書いたりしてウハウハ暮らしていくのだろう。
そう思うだけで、腹が立つ。

時計を作って逮捕された少年。

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お次は、一夜にして「全米一有名な14歳」になった少年のお話。



彼の名は、アーメッド・モハメド(Ahmed Mohamed)。
テキサス州、アービングという小さな町のマッカーサー高校(MacArthur High School)に通う高校1年生。

メカニックが得意だった彼はある日、時計を自作して学校に持って行った。
先生に見せて褒めてもらおうと思ったのだが、先生の反応は思ってもみないものだった。なんとその時計を時限爆弾だと勘違いし、警察に通報。警察は爆弾ではないとわかっていながら、この罪のない14歳の少年の後ろ手に手錠をかけ連行、逮捕した。
その後警察で検証した結果、この時計は爆弾ではないことが証明され彼は釈放されたのだが、彼が手錠をかけられ連行される画像は瞬く間にインターネット上に出回り、大騒ぎになった。

http://www.nytimes.com/2015/09/17/us/texas-student-is-under-police-investigation-for-building-a-clock.html?_r=0





彼の名前からもわかるように、彼の家族はモスラム。
モハメドという名字と、その日が9・11の同時多発テロの記念日などの理由で逮捕されたのではないかという憶測が出回り、
「前途ある14歳の子供に手錠をかけるとは何ごとだ」
「警察官を辞めさせろ!」
「教師を辞めさせろ!」
と、全米中から非難が寄せられた。

フェースブックで多くの友人がこのニュースをシェアしていたが、モハメッドくんのおびえるような視線が心に深く突き刺さった。
心ない大人たちのやったことが14歳の子供の心に一緒の傷を残したのだと思うといたたまれなかった。

しかし、この話にはアメリカらしいHappy Endストーリーが待っていた。
このニュースが出回るや否や、オバマ大統領がツィッターですぐさま助け船を出した。



「カッコいい時計じゃないか、アーメッド。ホワイトハウスに持って来ないかい?我々はもっともっと君のように科学好きな子どもたちを力づけたいんだ。アメリカがグレイトになるようにね。」

http://www.cnn.com/2015/09/16/politics/barack-obama-ahmed-texas/


この事件に心を痛めていたアーメッド支援者たちが、この大統領自らのツィートで一気に溜飲を下げたのは言うまでもない。
奈落の底にいったん突き落とされた彼はいきなり時の人となり、ニュースでも一日中この事件が報道された。


Facebookの創始者、マーク・ザッケンバーグも自らのページにこう書き込んだ。



「彼のようにスキルと大志を持って素晴らしいものを作り上げた人間は、逮捕ではなく称賛されるべきだ。
アメリカの将来は彼のような人間にある。
アーメッド、Facebookに立ち寄ることがあれば、僕は喜んで君に会いたい。」

http://www.theverge.com/2015/9/16/9338747/mark-zuckerberg-facebook-ahmad-mohamed-clock

アーメッドには、MITをはじめとする多くの一流の大学から奨学金入学の話が持ち込まれているという。
こういうところはさすがアメリカだなと思う。
コンサバティブなどうしようもバカがいるかと思えば、両極にあるリベラルで正しい人たちがきちんと救いの手をさし伸べる。
こういうことが日常的に起こっているのがアメリカなのだ。




ところで、このアーメッドの家族はいったいどういう家族なのだろう、と興味が湧いて調べてみた。

彼の父、Mohamed Al Hassanは1980年代中ごろにスーダンからアメリカへやってきた。
当初はニューヨークで身を立てようとしたが、ビジネスチャンスがなくサンドイッチの屋台をして生活をやりくりしていた。
厳しい環境下で商売の目が出ず、いったんはアメリカでの生活を断念してスーダンへ戻ろうと決意したが、最後に思いとどまり南部テキサスに新天地を求めた。
テキサスでタクシー運転手の職を得、のちに車のパーツを販売する会社を設立。現在までに、多くのレンタカー会社を設立したほか、スーダンでもいくつかの旅行関連会社を設立して成功をおさめている。
俗にいう、「アメリカンドリーム」を達成した成功例か、と思っていたら、驚くことに実は彼はかつて「スーダン国家改革党(Sudanese National Reform Party)」に属し、2010年の選挙で現大統領と戦った闘士だったという。選挙では敗北したが、2020年の選挙では再び大統領選挙に打って出るつもり野望があるそうだ。

こんな“アンビシャスな”一家を生み出した大元は、アーメッドの祖父(父モハメドの父親)にあるとアーメッドの叔父Moussaは回顧する。
祖父がアーメッドと同じ14歳の頃のこと。科学へ情熱を燃やす少年だった彼は、当時イギリス統括下にあった学校に通いたい余り村を抜け出して6マイル(約10キロ)の道のりを歩いてその学校がある町へと向かった。しかし途中で村人に見つかり、家族のもとに連れ戻され、スーダンの伝統的な地元の学校に通わされたという。

「私の父から始まって、家族はみな教育に執着心が高いんです。父も(18人の)子どもたちにより良い教育の機会をあたえよう、大学に行かせようと必死でした。父は私たちみなの道徳モデルでした。それを私たちがさらに子どもたちに伝えてきたのです」


http://www.huffingtonpost.com/2015/09/22/ahmed-mohamed-texas-sudan-family_n_8176702.html

"That's A Lot Of Songs"

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数年前から習っている、Jazzピアノの師匠のサプライズパーティに行ってきた。

2週間前、彼の一番上の娘さんから1通の招待状が届いた。
プロのメディアクリエーターである彼女が、2年の歳月をかけて製作していた父の半生を描いたドキュメンタリー映画がやっと完成し、親しい人たちだけで記念すべき初お披露目会をしようという企画だった。
彼女は秘密裏に父に近しい人たちにメールで招待状を送っていた。
私は彼女に会ったったこともなかったのだけれど、何故か私をその一人に選んで招待状を送ってくれたのだった。

このことを知らぬは、本人(師匠)だけだった。




郊外の大型映画館のひとつのスクリーンを貸切って行われた手作りのサプライズ。
館内にはシカゴのJazz関係者がズラリ。
そこにたった一人、何も知らない本人が場内に入ってきて・・・・約70人のゲストが拍手喝采。


「???」
サプライズ大成功の瞬間。

このあと、完成ほやほやのドキュメンタリーフィルムをみんなで見た。
幼い時からピアノの才能にあふれ、12歳でプロデビュー、アメリカ海軍バンドのピアニストとして活躍する傍ら、21歳のときにデューク・エリントンの誕生パーティでバンドのピアニストとしてホワイトハウスで演奏。
そのほかにもルチアーノ・パバロッティ、ビリー・ジョエル、カウント・ベイシー、バーバラ・ストライザンド・・・など共演したアーティストは数知れず。

そんな彼が音楽と同じように愛したのが家族だった。
家族だけは絶対に犠牲にしない、そう心に誓っていた彼はどんなツアーの誘いも断り、家族のそばから3日と離れる仕事は断り活動を続けてきた。
「欲のないやつ」と言う人もきっと多かったことだろう。それでも、彼は「家族を犠牲にするのは、音楽を犠牲にするのと同じ」とその姿勢を貫き通した。

この映画で初めて知ったのは、結婚してしばらくたった全盛期のとき、彼が10年ほどアリゾナで隠遁生活を送っていたということ。音楽から離れて何もない砂漠の町で、妻と二人きりでハウスクリーニングの仕事をしながら細々と暮らしていた時期があった、と。
その理由をあとで聞いてみると、ひとこと彼はこう答えた。
「音楽ビジネスに嫌気がさしたんだよ」と。
「そのとき奥さまは何も言わなかったのですか?”あなたは本当に大好きなピアノを捨ててもいいの?”って聞かなかったのですか?」
私の問いに彼は微笑んでこう言った。
「彼女は何も言わなかったよ。黙って静かに一緒に時を過ごしてくれたんだ」

このことばに、脳天をどつかれた。
私は自分の配偶者にこういう「見守る優しさ」を持って接していただろうか?と。自分の好きなものを捨ててどうするの!ってプッシュしてばかりいたんじゃないか、と。

1980年代、ふたたびシカゴに戻るや、彼のピアノは瞬く間に欲せられ、シカゴでも指折りのピアニストとしての地位を築き上げていく・・・。
40分の映画が終わって、涙で挨拶ができなかった師匠。
「私は幸せだ。7人の子供たちと4人の孫。こんなに素晴らしい家族に恵まれたんだから・・・」
私ももうボロ泣き。

素敵な夜をありがとうございました。これからもあなたのもとで牛歩ですが少しずつ進んでゆきます。
私は大好きなピアノを決してやめたりはしない、そう誓った夜。


映画の中のインタビューで、彼は最後にこう言って微笑んだ。

「7人の子供たちに4人の孫。That's a lot of songs.」




月食。

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師匠のサプライズに出かけた帰り道の、完全月食。
なんだか美しい夜だった。











アメリカのハロウィーン

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最近、日本のハロウィーンは大変なことになっているらしい。
10年くらい前はハロウィーンという行事自体がまだ浸透しておらずどうでもいいような感じだったのに、最近は周りがひいてしまうほどの自己満足コスプレ大会になっているのだそうだ。
パレードで大騒ぎした後はごみの山、だとか。

日本人ってこんなんやったかな?

昔から「イベント好き人種」なのは知っている。
クリスチャンでもないのにクリスマスにはツリーを飾り、プレゼントを交換し、ケーキを食べる(外国には“クリスマスケーキ”はそもそも存在しない。)
バレンタインデーもなぜか、チョコレート屋がもうかるしくみ。(アメリカでは、男性が女性に花を贈っておしまい。)

今度はハロウィーンか?と思ったら、これは特に儲かる業界がいないせいか、マスコミも腹いせに批判的に報道しているようだ。

ところで、今年の我が家のハロウィーン。


これが今年のハロウィーンかぼちゃ。


見る人が見れば一目でわかる、「バーニー・サンダース氏」。
来年の大統領選挙の民主党候補のひとり。我が家が一番応援している人(といって二人とも選挙権はないけれど)。

で、これが急きょ手作りしたGOROのハロウィーン。


ジャーン!

スフィンクスなり。なんと神々しい!


さて、去年もそうだったけれど10/31当日は今年も小雨交じりの肌寒いハロウィーン。
せっかくの土曜日だったのに、今日は子供たちも思ったほど来ないだろうな・・・と思いつつ、それでも「Treat」を用意して備えていた。
我が家は去年、体に悪いキャンデーは買わないと決め、Tattoシールを買って配り、それがまだ30個ほど残っていた。
その残りと、先日日系スーパーで見かけて買っておいた「グリコ」とキティちゃんマシュマロを各30個ほどバスケットに入れて、玄関わきに待機。

午後3時過ぎ、ピンポーンとチャイムが鳴って、今日一番早い子供たちがやってきた。
「Trick or Treat!」
はいはい、今日は寒いね、ハッピー・ハロウィーン、といって持ってきたバスケットにグリコをいれてあげる。
まず食べ物から、余らないように先に減らしていかないと・・。

子供たちは日本のお菓子に目を爛々と輝かせて「わー、ジャパニーズキャンデーだ!見たことない」といって大喜び。
「これはキャンデーじゃないよ。おいしいビスケットだよ」と言ったら、その場で袋を開けて食べながら「おいしーっ!」と歓声を挙げていた。
ちょっとだけいいことした気分。

その後もいろんな変装をしたキモカワイイ近所の子供たちがやってきた。その数は去年よりは多かったみたい。
男の子はヒーロー系、動物の被りもの、恐竜の被り物、女の子はプリンセス、血みどろのゾンビメークの子・・・などいろいろ。
毎年微妙に大きくなってい子どもたちを見ているのも結構楽しい。
(去年までは写真を撮っていたけれど、やはり子供を許可なく撮影するのは親の手前控えたほうがよいので、今年は残念ながら写真なし)

ちなみに、2014年のハロウィーンはこちら。
2013年のハロウィーンのようすで、子供たちの様子が見られます。



7時には子どもたちの襲撃もなくなったので、かぼちゃランタンを家のなかにしまって、今度は大人のハロウィーンPartyへ。
お友達のおうちにお招きにあずかり、Pちゃんとふたりでカボチャスープをもって参上した。

扉を開けたら、さっそくいろんな扮装をしたゲストの人たちが出迎えてくれた。


スーパーマリオブラザーズ・カップル(本人のご希望により顔は隠しております)


新作間近!

で、私たちはこんな感じ。コンセプトバラバラ・・。(苦笑)

前からPちゃんは“ウォーリー顔”だとにらんでいたので、昨年ウォーリー衣装を使ったお友達に頼んで衣装を借りておいた。
私は当日まで着ていくものが決まらず、近所の古着屋で1ドルで投げ売りしていたカンフーチャイナドレスを買い、パンダメイクをして、「カンフーパンダ」(苦笑)
今年はお笑い系。


Pちゃん、似合いすぎ。



女性陣


かわいいミニーちゃん


みんなで記念撮影


そして、いつもながらの懲りに凝った素敵なハロウィーン装飾の数々・・・
これをするのにどれほど時間がかかったことか・・・。でも招かれたほうはこれを見るのが大の楽しみ。

 


 


 





ハロウィーンPartyの楽しみは、楽しい会話とみんなが持ち寄ったおいしいお国料理、そして必ずしもきまりじゃないけれど、場を盛り上げるためのちょっとした仮装、というのがアメリカ流。
仮装パレードは子供たちだけのもの。
大人はそんな子供たちに寄り添って、その時間が終わったらこうやって大人のPartyに顔を出してゆっくりと時間を楽しむのだ。




いつも完璧なホストありがとう

紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その1)

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ここ数年、ふたりで旅に出たことがない。
私は仕事であちこちに出かけているものの、Pちゃんはしばらく家から離れていないことがずっと気になっていた。

そこで、この秋はふたりで、いや、GOROも一緒に旅に出ると決めていた。
この時期の中西部は紅葉が素晴らしいのだ。美しい景色を眺めながらアメリカの広大な大地を走り、ちっぽけな人間の存在に気づき、まだ見ぬアメリカの歴史を学び思いをはせてみようじゃないか・・・そんな行き当たりばったりの旅。

紅葉マップとにらめっこしつつ、旅に出たのは10月の13日。
まずイリノイを西へ西へと向かった。

★第1日目のルート


イリノイをシカゴ西へ、アイオワ州との境にある街ガリーナをまず目指す。
40分も走ると、そこは一面コーン畑が広がるど田舎の景色が広がる。この時期にしてはポカポカ陽気、絶好のドライブ日和だ。


GOROは後ろで爆睡

2時間あまりで、ガリーナにほど近い街の高台に到着。遠くアイオワとウィスコンシンを眺める。


 
ガリーナに到着。ここには第18代大統領グラント将軍が住んだ家がある。
南北戦争では北軍を率いて大勝利を収めたグラント将軍に、街が寄贈した。しかし彼はその後すぐに州都スプリングフィールドに移ったためここに住んだ時間は短かった。

・ユリシーズ・グラントの家
500 Bouthillier Street
水曜~日曜:9:00 a.m. ~ 4:45p.m. (ラストツアー開始:4:45 pm. )
休館日:月・火曜日, 大人$5、子供 $3
www.granthome.com



坂を下ると、そこは「アメリカで最も素敵な小さな町」にも選ばれたガリーナ。

到着が夕方近くだったこともあって観光客の姿もまばらだったが、それがかえって犬連れの私たちには都合よかった。
個性豊かなお店に入って面白そうな雑貨を物色している間、PちゃんはGOROを連れてかわいい街並みをぶらぶらお散歩。
観光客の人たちから「かわいい犬ね。なんていう種類なの?」などと声をかけられ、そこから会話がはずんでいた様子。



ガリーナの、まるで小さなヨーロッパの街を思わせる佇まいにPちゃんはすっかり魅せられたようで、もっと歩きたいからといって珍しく離れようとしない。
坂道を登って古い居住区を散策しながら、「あー、ここに住んでしまいたいくらい」とまで言う。
私が以前この町を取材で訪れたとき、Pちゃんが絶対気に入りそうだと思っていたがその通りだったようだ。
自然のなかに包まれている、余分なものから解き放たれたようなこの感覚。久しぶりかもしれない。

 



陽も沈んで、今回の旅で初めてミシシッピ川を渡る。
川の向こう側はアイオワ州だ。


さて、今回の旅の一番のチャレンジはGOROを連れてきたこと。
ドライブはいいにしても、食事のときはどうしよう、町歩きは大丈夫か・・・といろいろ心配はしていたけれど、あまり考えすぎていたらどこへも行けないのでどうにかなるさ、と出かけてみた。
1日目は大移動をせず、アイオワに入ったすぐの街ダビュークで宿泊する計画を立てペットOKのホテル予約をとっていた。
さすがペット大国のアメリカ、ペット可のホテルが思った以上に多かったのでこの問題は難なくスルー。

チェックイン後、食事に出かける間は部屋でお留守番。このときばかりは泣きそうな顔をしていてかわいそうだったけど・・


晩御飯は飛び込みで入ったカジュアルイタリアンレストラン。
厳選したオーガニック素材を使ったThinクラフトピザが最高においしかった。


なぜか、檻に囲まれたの部屋もあった・・・

ホテルに戻るとGOROはほっとした顔で飛びついてきた。ご飯も食べていなかったようだ。
長旅の疲れと知らない部屋が不安だったのか、私のそばから離れず一晩中べったり引っ付いて寝ていた。せっかくベッド持ってきたのに・・



・・・続く

紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その2)

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10月13日(水曜日)快晴。

行き当たりばったりの旅、二日目。




朝食をホテルですませ、ダビューク一番の名所「フェネロンエレベーター」に行ってみる。
世界一“急な”ロープ―ウェイ(エレヴェーター)として知られている。もともとは、丘の上に住んでいた市長が市内に通う時間を短縮するために個人的に作ったもの。
今でも車を利用しない住民のための重要な足になっている。

この頂上から見渡すミシシッピ~トライステイト(イリノイ、アイオワ、ウィスコンシンの3州をこう呼ぶ)は絶景なのだ。



これから上ります


頂上から絶景を見渡す

その後、このサインを撮るためだけにミシシッピ川を往復。


ミシシッピ川沿いを走る、通称「グレートリバーロード」を北上。
今日は、ウィスコンシン州側の道ではなくまだ行ったことのないアイオワ側(州道52号線)を走ってみることにした。
走っても走っても、地平線が遠くに広がる牧歌的な景色は変わることがない。これぞ中西部、だ。




途中、ボールタウンという小さな町で下車。
ここに実は、知らせざる絶景ポイントがあった。



わしにも覗かせろや~(GORO)

道沿いに小さな墓地があったので、立ち寄ってみた。墓標に掘られた名前を見ると、ご先祖がどこから来たのかが一目でわかるからだ。
墓に掘られた名前は100%がドイツ名だったことから、このあたりはドイツからの移民によって開拓されたことがわかる。


アメリカの移民の歴史を目の当たりにしたPちゃんはいたく感動したようす。
墓地にこんなに時間をかける観光客って、私たちくらいなもんだろう。

そしてもうひとつ。この町で素敵な出会いがあった。
「アイオワで一番古いレストラン」と看板に書かれたレストランを発見。どうしても中をみてみたくなり、少しだけ覗いてみた。
ちょうどお昼時と重なって大型観光バスが次々に到着していたことからも、地元ではかなり有名な店のようだった。
レストランの名前は「Breitbach's Country Dinning」ドイツ名。ドイツ国旗も掲げられ、店内の装飾もドイツのものばかり。
Pちゃんが忙しくレジをしていたおじさんにこの店の事を聞こうと話しかけたところ、なんとこの方こそお店のオーナー、マイクさんだった。

Pちゃんがドイツ人だとわかるや、マイクさんは忙しい手を休めてまでPちゃんと話すのに夢中。私たちに(昼間から)ビールをふるまってくれた。
マイクさんご自身はアメリカで生まれたドイツ系アメリカ人。1852年から続くこのレストランを今も守リ続けている。過去に2度の火災に見舞われて全焼したものの、地元の人々の厚い支援のおかげで立ち直った。
まわりにはレストランもなく、この小さい街にはなくてはならない大切な場所なのだろう。


この方が、オーナーのマイク・Breitbachさん。



「今度はゆっくり訪ねておいで。ランチをご馳走するから」そう言って、マイクさんは名残惜しそうに手を握ってくれた。
このレストランのお向かいには、マイクさんの弟のスキップさんが経営する雑貨屋さんがあり、そこでここの思い出に収穫祭のオーナメントを購入。彼が自宅の庭で育てた草花を自らの手で乾燥させ、一つ一つ手作りで編んで作っているという。
都会で買うと軽く20ドルはするような立派なオーナメントが、なんと8ドル弱。

 

再びミシシッピ川沿いを、53号線に沿って北上。北に行くにしたがって、少しずつ紅葉も鮮やかになってくる。
そしてふたたび穴場の絶景ポイントを発見。



赤や黄に色づいた木々の間から眺めるミシシッピ川は本当に美しい。

Mississippi Valley Overlook 展望台
住所 :32832-33298 Great River Rd, Jefferson, IA 52052



そして、アイオワに別れを告げてミシシッピ川を渡り向こう岸のウィスコンシン州、プレーリー・ドゥ・シーン(Prairie du Chien :フランス語で「犬の草原」)へ。

名前の通り、この町はフランス移民によって開拓された街。
当たり前だが、街によって移民のストーリーもがらりと違ってくる。これを体感できるのも、中西部の旅の楽しいところだ。



ミシシッピ川のほとりで、ウィスコンシンビールを味わう。ウィコンシンはビールの街でもあるのだ。


プレーリー・ドゥ・シーンから、今度はウィスコンシン側のグレートリバーロードを北上し、途中のFerryvilleで日没を見る。
このルートはこの時期紅葉が美しいと、観光局もおすすめだった。




 


夕陽とGORO。


このあと、さらに30分ほど北上したところにある少し大きな町、ラ・クロスで、今晩は宿をとることにした。
飛び込みで入ったモーテルは、プラス15ドルでGOROを受け入れてくれた。

今夜のディナーはちょっとだけ豪勢にリブステーキ(Pちゃん)。中西部といえばやはりステーキ。一度くらいは味わっておかないと。

 
Pちゃんによると、とてもお肉はとても柔らかで味わい深かったそうな。


GOROも少しずつ旅のパターンに慣れたのか、安心して(それでも私にべったりへばりついて)爆睡。


(つづく・・・)







紅葉を観に行く、アポなし中西部の旅(その3)

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3日目

10月15日(木)


今日のルートは、夕べ泊まったラ・クロスから少しだけ北上して、ミシシッピ川の河畔にあるフレンチ・アイランドを通過し、
せっかくなので一瞬でもミネソタに足を踏み入れようと対岸に渡り、またウィスコンシンに戻ってグース・アイランド・キャンプ場でミシシッピ川に別れを告げ、マディソン経由で自宅に帰るという強行軍。






ラ・クロスから北上、ミシシッピ川をいったんミネソタサイドにわたって(これが5回目の横断)、ハイウェイ沿いのカフェでの朝食から一日がスタート。



  
外ならGOROもOK、この日もぽかぽか陽気。外ならたいがいペットOKなのでお天気がいいとうれしい。


いかにも・・・アメリカンな朝食で腹ごしらえをしたあと・・・
再びウィスコンシン川にわたって、今日のお目当ての場所

  
グース・アイランド・キャンプ場へ。

ここは観光局からのおすすめの場所。時期はまだ早かったが、冬場にはボールド・イーグル(ハクトウワシ)が群れをなしてやってくる名所なのだ。多い時には何千羽というイーグルが、ミシシッピ川の獲物を狙って木に群れているのだそうだ。

10月いっぱいでキャンプ場は春まで閉鎖されるので、キャンプをしている人ももうまばら。
キャンプといってももちろんテントではなく、どでかいキャンピングカーを停泊させてのラグジュアリー長期滞在型キャンプ。

 
古いものから最新型まで、いろいろなタイプのキャンピングカーが勢ぞろい。
ミシシッピ川のすぐそばでキャンプ、夏場はさぞ楽しいだろうなぁ。一度はアメリカでやってみたい体験だ。


シャワー設備や飲料水、トイレも完備しているので全く不自由はなし。



最新鋭の設備でキャンプをしていたDanさん。
のロキシーを連れてのんびりと最後の週末を楽しんでいた。
夏場は毎週末やってくるという。


 



Pちゃんはここがすっかりお気に入り。キャンプ客もいずに私たちだけでGOROのリーシュも外してしばし大自然の中の散歩を楽しんだ。
自然に抱かれて、身も心もすっかりリフレッシュ。


 


さて、いよいよ帰路へ。これからはひたすら南に向かって運転、運転。
本来ならば90号線を使うのだが、山の中を通ってみたかったのであえて14号線で。
途中、ウィスコンシンの州都のマディソンに立ち寄ったけれど・・・


マディソンへ到着した頃には陽が沈んで観光もできなかった。
とりあえず州議事堂をバックに証拠写真。
マディソンは、ふたつの湖に囲まれた風光明媚な素敵な街だった。
街のど真ん中にウィスコンシン大学があるせいか、若い人たちが多く活気がある。スプリングフィールドとは大違いだ。

そして約2時間の運転ののち、自宅に戻ったのは午後11時。
GOROも我が家にほっとしたのか、即爆睡状態。
初めての犬連れでの連泊の旅、最初は不安もあったけれどとにかく行ってよかった!
改めて、アメリカのハートランド、中西部の魅力にはまった旅だった。


初雪

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あんなにあったかかった11月ももうおしまい、か?
11月20日午後6時から降り出した雪は、翌朝には15センチの積雪になっていた。
11月の「たった一日での積雪量」としては120年ぶりの記録だそうだ。
そんな記録をいちいちつけているところに妙に感心してしまう。

朝起きたら景色が変わっていて、GOROは大はしゃぎ。初雪で遊ぶ、の図。








今年のサンクスギビング

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さて、今年も日本人にとっては何の意味もないThanksgiving Dayがやってきた。
世の中は民族大移動のビッグホリデーだけれど、仕事が佳境に入ってきてそれどころじゃない私。
とはいえ、年に一度くらいは七面鳥の丸焼きくらいは食べて「それらしい」晩御飯でも作ろうじゃないかというイベント好きの習慣は抜けず、今年もターキーをどかんと焼いてみた。

このターキー、いつもならスーパーで安い冷凍物を買うのだが、今年はなんだかヤキがまわっていたのかハイになっていたのか、いつもの値の3倍はする「超有名農場のオーガニック・フレッシュターキー」を買ってしまった。
果たしてこの値段の差は味の差となって証明してくれるのか???



イリノイの田舎にあるHOKA農場のターキー。
一番小さいものでこのサイズ(・・・汗)
ケージフリーでオーガニックのえさで育てたものらしい・・・


肉自体の味をあじわうために、余計な味つけは極力避けて、下味はハーブと塩コショウのみ。


水を注いで野菜をいっぱいいれたホイルに入れて


オーブンへ。
さて、ここからが勝負だ。
始め40分ほど高温で焼き、そのあとアルミホイルをかぶせて温度を下げてゆっくりと焼いていく。
この大きさ(12.5パウンド)だと、約3時間半。
お肉がパサパサにならないように、30分おきにスープをかける。
レシピはこちら

そして、


ジャーン!焼き上がり。



ええ具合に焼けましたがな。
初めて真面目につくってみたグレービーソースも大成功。
グレービーのレシピはこちらから。

 
副菜は、トマトとモッツアレラチーズをグリルした「焼きカプレーゼ」
あとはケール(野菜)のにんにく炒め。

以上。シンプルそのもの。


入刀でござい。




★★

これだけ大きいのを焼いてしまうと、以後3日はターキーづくしなり。
ちなみに、翌日はターキーをクランベリーソースで。
3日目は、同じくターキーとスープ。
4日目は、残ったスープにカレー・ルーをぶち込んで、ターキーカレー。
これが、超うまかった。

あとは冷凍。正月にでも忘れたころに食べるとしよう。


ちなみに、なんでターキーを食べるのか?という理由には諸説いろいろあるけれど、一番腑に落ちたのは、
「大勢で食べるには、大きくて経済的だから」
そう、ふつうターキーは10人くらいで囲んで一晩で平らげるものなのだからして。

★来年のためのメモ
来年は、HOKAの切り身(プレカット)を絶対買おう!
調理も早いし、単価も断然安い。

シカゴが騒然となった、サンクスギビング。

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どうしてこんなことがそう頻繁に起こるのだろう。もう書くのも嫌になっていた。
でもこれが「日常」になってしまうことのほうがもっと恐ろしいので、書いておかなければならない。

シカゴは今、騒然としている。
エマニュエル市長のクビがかかるほどの、大スキャンダルが世間を大きく揺るがしている。

昨年10月20日、シカゴ南部で17歳の黒人少年ラクアン・マクドナルド(Laquan McDonald)が通報で駆け付けた白人警官に撃たれて死亡した。
アメリカでは、警官の制服に小型カメラが取り付けられ職務中の一部始終録画しなければならない決まりになっているのだが、この事件後、遺族側からの申し立てを受けて裁判所はこのビデオの提出を要求していた。
そして事件から1年以上も経った今、この時の映像が初めて公開された。
そこに写っていたのは、ナイフを持ってふらふらと道を歩いていたマクドナルドに、4人の警官が取り囲み、その中のひとりジェイソン・バンダイク(37)が無抵抗のマクドナルドに銃弾を浴びせている様子だった。
マクドナルドははじめの数発ですでに重傷を負い、地面に伏していた。そこにとどめを刺すかのように、その後10発以上の銃弾を浴びせて死なせた様子はまるで「殺しのリンチ」のようだった。

その映像が11月24日に公開されるや、市民の間で怒りが爆発してシカゴは騒然となった。
「自己防衛による職権の適用」という理屈は通用せず、バンダイクは殺人罪で起訴された。
しかし、昨今アメリカで続いている(実はもっと前から日常的に起こっていたのだろうが、ビデオが公開されるようになってやっとそれが明らかになった)この「白人警官による無抵抗黒人への差別的発砲事件」への抗議は日増しに膨れ上がっていった。
時まさにサンクスギビングのホリデーが始まろうという、一年で一番平穏で浮かれた時期。

サンクスギビング前日の25日には、ミシガン通りで大きなデモが発生。
翌26日は、ミシガン通りのショッピング街、マグニフィセントマイルで大きなデモ行進が行われ、デモ隊がセールで賑わう「ブラックフライデー」を目当ての買い物客をショップ前で締め出した。
大きな売り上げを見越していたショップ側もこれにはどうすることもできず、Apple Shopは混乱・暴動を恐れて商品を店頭から全て引き上げた。
結局、この「サンクスギビング・デモ」により、今年のブラックフライデーの売り上げは15%減となった。


(C) AP

事件の余波は続いている。
昨日はついに、シカゴ警察の責任者であるGarry McCarthy警視がこの「責任」をとって退任した。
市民からは警察の「隠ぺい」体質に対する責任を求めて、シカゴ市長のエマニュエルに対して退任を要求する声も高まっている。
この事件で起訴された警官ジェイソン・バンダイクには、過去にも市民から明らかな「職権乱用」に対する抗議が18件も寄せられていたが、警察はこれに適切な処分をくださず、彼を職務につかせ続けていた。

また、今回の“殺人”でシカゴ警察が遺族に支払う賠償金は5ミリオンドル(約6億円)。このお金はどこから出ているのかというと、我々市民からの血税だ。
警官が無実の市民を撃ち殺し、その賠償金を市民が払うとは、どう考えてもおかしいじゃないか。

さらに理解に苦しむのが、その大金を受けとって“口止め”をされていた家族だ。
うがった見方をすれば、極貧の黒人家族に急に6億円の金が入ったのだから大人しく言いなりになっていたという事か?
自分の息子が射殺されて、黙って6億もらってだんまりをしていた母親に対しても非難の声が起こり始めている。
最近明らかになったところでは、マクドナルド少年は、母親から見放され養子家族の家を転々としていたという。
何のために生まれてきたのだろうと思うと、胸が張り裂ける思いだ。


2015 シカゴクリスマスツアー

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今年もあと1か月弱。
2015年、いろいろお世話になったお友達に感謝の気持ちを込めて、今年も「シカゴ・クリスマスツアー」を企画した。

シカゴはクリスマスが全米で一番早くやってくる街。
11月半ばから街はクリスマス一色になる。
そんなシカゴの知られざるクリスマスシーンを堪能しようというツアー。


12月11日金曜日。参加者4名
気持ち悪いくらい暖かな日。ぶらぶらするにはもってこいのお天気になった。


スタートはマグニフィセントマイルにある老舗の「ドレイクホテル」
ここのクリスマス・デコレーションは、つとに有名。
この日もアフタヌーンティーを楽しむ奥様方で大賑わいだった。



ミシガン通りをちょっと下って、10月にOpenしたユニクロへ遊びついでに立ち寄ったあと、
ドイツのクリスマス、クリストキンドルマーケットへ。




今年はちゃんとマグカップをゲット。
去年はまさかの品切れだった。


そして去年目の前を素通りされた苦い経験のある、「サンタ電車」。
今年は綿密な計画の元、時刻表とにらめっこしながらクラーク駅でサンタ電車到着を待つ。




無事に乗車!サンタと記念撮影。


中はこんな感じ。

やっと乗れてほっとしたー。



Macy'sのクリスマス・ウィンドウを見つつ、ミレニアムパークへあるき・・・


今年からここに移動した巨大クリスマスツリー前で


ビーンの前で毎金曜日に行われているクリスマス聖歌隊の歌を聞く。
暖かい日だったこともあって、ものすごい数の人たちが集まっていた。
寒いのも嫌だけど、なんだかこの時期に雪がないのはちょっと寂しい。


ついでにサンタさんとも記念撮影。サンタも大忙し?


ここから見るシカゴの街はまばゆいばかりに美しい。


約半日のプログラムをすべて無事終了し、今晩の食事はシカゴの「牛角」へ。
去年は予約なしだったので入れず苦い思いをしたのでリベンジ。もちろん予約あり!







みなさん、今年も素敵なおうちにご招待してくれて本当にありがとう!
2016年も郊外に住む者同士、どうぞよろしくね。

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