ニューオリンズに来るのは、もう何回目になるだろう?
20代の後半の頃に初めて訪れて、それから毎年10年連続通い続けた。
皮肉なことに、会社を辞めてアメリカに来てからは、近くなった安心感からかパッタリと行かなくなり(その頃はベイエリアで学生生活をしていて忙しかったし、なにより贅沢などしていられなかった)、そして2005年、カトリーナ。
ようやく訪れたのは、カトリーナから10年たった2015年だった。
大切な心の故郷は、表面的には何もなかったかのように迎えてくれたのだが、この10年間で人生が一変してしまった人、この地を離れて行った人がどれほどいることだろう。
そんなことを考えながら、再びニューオリンズの地を踏んだ。
空港に着いたその瞬間から、じゅわーっと体から噴き出る汗。ものすごい湿気。
軽く35℃は越えていた。
ホテルにチェックインし、しばらくクールダウンしつつ仕事の続き(らしきもの)をしていたものの、やはり夕方には待ちきれなくなって外に飛び出した。
まずはこれを食わなきゃ、私の中でニューオリンズは始まらないのである。
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生ガキ!! 秘伝のスパイシーソースとニューオリンズのAmberビールで。
さて、バーボンストリートを流すとしよう。
金曜日の夕方のバーボンは、やっぱりものすごい活気に満ち溢れていた。
ビールを片手に、ブルースやカントリー、ロックやJazzなどの音楽が入り乱れた通りをひとりでふらふら。
シカゴでは絶対に(ストリートフェスティバル以外)絶対にできない芸当だわ。
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あんまり暑いので、ご機嫌なブルースを聞かせてくれていたこの店に入って一休み。
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私がシカゴから来た、なにかシカゴブルースやって、と言うと
「シカゴかぁ。。。。」
と二人はしばし固まってしまった。え?そんなに難しいこと言ったっけ?(笑)
そのあと気を取り直して、マディー・ウォーターズとか、お決まりのところをやってくれた。
ほろ酔い気分で、次はJazzを聞きに、“Fritzel's”へ。
始めて入った店だったけど、実はかなりの有名店のようで11時ごろには店内はお客さんで満杯。
ファンキーなニューオリンズJazzが心地よい、昔の芝居小屋のような雰囲気漂う素敵な空間だった。
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明日からのハードスケジュールにそなえて、最初の夜はバーボンを流しただけでおしまいにしといた。
■ 出会いが出会いを呼ぶ、ニューオリンズ・数珠つなぎ
去年、同じツアーでここを訪れた友人のジャーナリストから、取材先で知り合ったマルティグラインディアンのショーのプロデューサーの黒人男性、ハーブを紹介してもらったことがあった。
彼は夜な夜なフレンチメン(ニューオリンズで若者が集う繁華街)を徘徊しているジモピーで、不慣れな私たちを地元ガイドよろしくいろんなところに案内してくれた。
そういや今ごろ彼はどうしているのかなー、と思っていたある夜、また去年のように11時ごろ彼女とフレンチメンをふらついていたら、急に目の前にハーブが現れた。
なんか、待ってたんじゃないの?という、笑っちゃうぐらいのタイミング。
ハーブは、やぁやぁ、久しぶり~、ウェルカムバック、といいながら、いいところに連れて行ってあげよう、とさっさと歩き始めた。
どんどんどんどんはずれのほうに歩いて行く。
「ここはね、ジモピーしか知らないんだ」
そりゃぁそうでしょうよ。こんな住宅街、住んでる人しか来ないわなあ。
と、あるお店の前で立ち止まり、扉を開けた。
蛍光灯が煌々と光る、ただのワインショップだった。
店先にはなぜか、グランドピアノが置いてあった。
たまたま飲みに来ていた近所のおっさん、名前はエディー、が「やぁ、ようこそ。店の奥に案内してあげるよ」といって、店の奥に連れて行ってくれた。
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そしてびっくり。
店の奥には、想像もしていなかったような素敵なバーがあるじゃないか
ソファーやテーブル、腰高のテーブルや椅子が並んだ、本当にちゃんとしたお店。
しかもバーテンダーのいるカウンターもある。
こんな場所、誰も知らないよ。というより、知られたくないのか?
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エディーは「まぁ、ピザでも食べなさい」といって、そのあたりに置いてあった出前のピザを持ってきてくれた。
(ってか、あなた、誰?)
そのうち、日本人女子(おばさはん)二人をもてなしたことにでっかり調子に乗ってきたエディーは、お店のボトルを自由に使って“エディーズ・スペシャルカクテル”なるものをふるまってくれた。
ウォッカとレモンとシロップ?入り。これがまた、すっきりしてなかなかいけた。
そろそろ帰らないとあしたが・・・と、腰を上げ店を出た。
外は小雨模様。
ハーブはでっかい社用車(バン)に私たち二人をのせて、ホテルまで送ってくれるのかと思いきや・・・そのまま次なる場所へ強制連行。![]()
もうやけくそだ。こんな経験もまぁないでしょうから。
そこは、DJがガンガン大音量で音楽をかけまくり、若者たちが踊り狂っているクラブだった。
寝不足の頭に割れそうな爆音が響く。
しばらくして、今度こそありがとーさん、といって退散。
・・するはずだった。
しかし、そのあとまた連れて行かれたのが、24時間営業しているPoboy(ホットドッグ)屋さんだ。
この界隈じゃめちゃくちゃ有名だそうで、夜中の2時半を回っているというのにレジ前には列ができている。
こんな時間に山盛りのホットドッグとコカコーラを呑んでいたら、そりゃぁ太るでしょうよ・・。
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それでも真夜中の、しかも飲んだあとのジャンクフードはなぜか体が欲するのよね。
日本でいうラーメン、磯辺焼き、お好み焼きorたこ焼きのようなもの?
あーあ、食っちまったよー。でももう遅い。
すっかりニューオリンズの洗礼を浴びた、そんな夜。
(つづく)
20代の後半の頃に初めて訪れて、それから毎年10年連続通い続けた。
皮肉なことに、会社を辞めてアメリカに来てからは、近くなった安心感からかパッタリと行かなくなり(その頃はベイエリアで学生生活をしていて忙しかったし、なにより贅沢などしていられなかった)、そして2005年、カトリーナ。
ようやく訪れたのは、カトリーナから10年たった2015年だった。
大切な心の故郷は、表面的には何もなかったかのように迎えてくれたのだが、この10年間で人生が一変してしまった人、この地を離れて行った人がどれほどいることだろう。
そんなことを考えながら、再びニューオリンズの地を踏んだ。
空港に着いたその瞬間から、じゅわーっと体から噴き出る汗。ものすごい湿気。
軽く35℃は越えていた。
ホテルにチェックインし、しばらくクールダウンしつつ仕事の続き(らしきもの)をしていたものの、やはり夕方には待ちきれなくなって外に飛び出した。
まずはこれを食わなきゃ、私の中でニューオリンズは始まらないのである。

生ガキ!! 秘伝のスパイシーソースとニューオリンズのAmberビールで。
さて、バーボンストリートを流すとしよう。
金曜日の夕方のバーボンは、やっぱりものすごい活気に満ち溢れていた。
ビールを片手に、ブルースやカントリー、ロックやJazzなどの音楽が入り乱れた通りをひとりでふらふら。
シカゴでは絶対に(ストリートフェスティバル以外)絶対にできない芸当だわ。






あんまり暑いので、ご機嫌なブルースを聞かせてくれていたこの店に入って一休み。

私がシカゴから来た、なにかシカゴブルースやって、と言うと
「シカゴかぁ。。。。」
と二人はしばし固まってしまった。え?そんなに難しいこと言ったっけ?(笑)
そのあと気を取り直して、マディー・ウォーターズとか、お決まりのところをやってくれた。
ほろ酔い気分で、次はJazzを聞きに、“Fritzel's”へ。
始めて入った店だったけど、実はかなりの有名店のようで11時ごろには店内はお客さんで満杯。
ファンキーなニューオリンズJazzが心地よい、昔の芝居小屋のような雰囲気漂う素敵な空間だった。




明日からのハードスケジュールにそなえて、最初の夜はバーボンを流しただけでおしまいにしといた。
■ 出会いが出会いを呼ぶ、ニューオリンズ・数珠つなぎ
去年、同じツアーでここを訪れた友人のジャーナリストから、取材先で知り合ったマルティグラインディアンのショーのプロデューサーの黒人男性、ハーブを紹介してもらったことがあった。
彼は夜な夜なフレンチメン(ニューオリンズで若者が集う繁華街)を徘徊しているジモピーで、不慣れな私たちを地元ガイドよろしくいろんなところに案内してくれた。
そういや今ごろ彼はどうしているのかなー、と思っていたある夜、また去年のように11時ごろ彼女とフレンチメンをふらついていたら、急に目の前にハーブが現れた。
なんか、待ってたんじゃないの?という、笑っちゃうぐらいのタイミング。
ハーブは、やぁやぁ、久しぶり~、ウェルカムバック、といいながら、いいところに連れて行ってあげよう、とさっさと歩き始めた。
どんどんどんどんはずれのほうに歩いて行く。
「ここはね、ジモピーしか知らないんだ」
そりゃぁそうでしょうよ。こんな住宅街、住んでる人しか来ないわなあ。
と、あるお店の前で立ち止まり、扉を開けた。
蛍光灯が煌々と光る、ただのワインショップだった。
店先にはなぜか、グランドピアノが置いてあった。
たまたま飲みに来ていた近所のおっさん、名前はエディー、が「やぁ、ようこそ。店の奥に案内してあげるよ」といって、店の奥に連れて行ってくれた。

そしてびっくり。
店の奥には、想像もしていなかったような素敵なバーがあるじゃないか
ソファーやテーブル、腰高のテーブルや椅子が並んだ、本当にちゃんとしたお店。
しかもバーテンダーのいるカウンターもある。
こんな場所、誰も知らないよ。というより、知られたくないのか?

エディーは「まぁ、ピザでも食べなさい」といって、そのあたりに置いてあった出前のピザを持ってきてくれた。
(ってか、あなた、誰?)
そのうち、日本人女子(おばさはん)二人をもてなしたことにでっかり調子に乗ってきたエディーは、お店のボトルを自由に使って“エディーズ・スペシャルカクテル”なるものをふるまってくれた。
ウォッカとレモンとシロップ?入り。これがまた、すっきりしてなかなかいけた。
そろそろ帰らないとあしたが・・・と、腰を上げ店を出た。
外は小雨模様。
ハーブはでっかい社用車(バン)に私たち二人をのせて、ホテルまで送ってくれるのかと思いきや・・・そのまま次なる場所へ強制連行。

もうやけくそだ。こんな経験もまぁないでしょうから。
そこは、DJがガンガン大音量で音楽をかけまくり、若者たちが踊り狂っているクラブだった。
寝不足の頭に割れそうな爆音が響く。
しばらくして、今度こそありがとーさん、といって退散。
・・するはずだった。
しかし、そのあとまた連れて行かれたのが、24時間営業しているPoboy(ホットドッグ)屋さんだ。
この界隈じゃめちゃくちゃ有名だそうで、夜中の2時半を回っているというのにレジ前には列ができている。
こんな時間に山盛りのホットドッグとコカコーラを呑んでいたら、そりゃぁ太るでしょうよ・・。

それでも真夜中の、しかも飲んだあとのジャンクフードはなぜか体が欲するのよね。
日本でいうラーメン、磯辺焼き、お好み焼きorたこ焼きのようなもの?
あーあ、食っちまったよー。でももう遅い。
すっかりニューオリンズの洗礼を浴びた、そんな夜。
(つづく)