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Channel: Life in America ~JAPAN編
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2013年末あれこれ

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12月29日


昨年暮れに電撃再婚したお友達のお宅で少数のお友達と忘年会。
日本人同士の集いはたいてい私ひとりで参加するのだけれど、Pちゃんもおいしそうな日本料理に惹かれて行きたそうにしていたのでこの日は二人でお呼ばれすることに。
しめしめ、これで飲めるぞ。



ジョークで蝶ネクタイ



みんなに褒めってもらって、調子に乗るPちゃん



一足早い豪華おせち料理。なんと旦那様がほとんど作ったそうな・・。


そのほかにも握り寿司や・・・


セロリときゅうりと裂きイカの和え物。めちゃうま。


どんどんと空いていくワイン・・

飲んで、食べて、しゃべって、笑って。結局、宴は1時過ぎまで続いたのでした。
ありがとう&ごちそうさま、Yちゃん。ずっとずっとお幸せにね!




12月31日(大みそか)

2年前にシンシナティーに引っ越していった、仲良しだったお隣さん、アダム一家が帰省ついでに遊びに来てくれた。
引っ越した後も,こうやって毎年時間を見つけては訪ねてくれるのはとってもうれしい。
赤ちゃんだったロージーもまた大きくなった。今度来るときはもう一人増えている予定。


去年の年末の写真。GOROはなぜかロージーが大好き。


ヘンリー坊は6歳。私を見ると相変わらずプロレスごっこやりたがる。
さぁ、来年もやってくれるかな?



ありがとう、また来てね!


普通の顔バージョン


変な顔バージョン

2014 お節

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謹賀新年。


年末に新年気分をすでに味わったせいか、今年のお我が家の節はなんだか地味地味・・・。











二日目。
煮炊きに飽きて、焼き物追加投入。

鯛の塩焼き
タコのにんにく醤油揚げ
牛肉とポテトいため
焼きはまぐり・ガッテン流←まじうま

そして、お蕎麦。鯛のお頭がいい出汁だしてる。







雪・雪・雪・・・

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いやまぁ、とにかく今シーズンのシカゴは雪が多いのなんの。
10月に初雪が来たかと思ったら、11月にはもう異常な低温、そして大雪。
11月末から12月に初旬にかけて一時気持ち悪いくらいに暖かかったが(あのTV収録の4日間は奇跡的だった)
その翌週からもう、雪、そして雪・・・。3年ぶりのホワイトクリスマス、ホワイトお正月になった。

そして1月。
雪はまだまだ降り続けている。
そんなある日の、昼過ぎの光景。



いつもの散歩コース。あたり一面足跡のない雪原。



 
何かを見つけて雪の中に顔を突っ込む




雪の中を泳ぐGORO






家に入ることを拒否しているGORO

大寒波

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数日前から、アメリカ中西部〜東部に大寒波がやってきた。
シカゴの最低気温は実に20年ぶりに記録を更新するそうだ。
どれほど寒いかというと・・・これを見れば一目瞭然。




ちなみに左が最高気温で右が最低気温。
そこにいわゆるWindchill(体感気温)というのがあって、それは実際の気温よりも10℃〜15℃低くなる。

1月6日(月曜日)午後6時現在、気温は-24℃、体感気温は-37℃。
テレビや新聞の報道によると、「Dangerous wind chills. Limit outdoor exposure(危険な寒さ。なるべく外に出ないように)」とのこと。

出ませんっ。 (笑)


しかしここまで寒い、いや痛いといろいろと大変だ。
学校はのきなみ休みになって、そのせいで明日予定していた郊外日本人主婦連合による新年会も延期。
当然ペットにも危険が迫る。
特に小型犬は凍傷にかかるので要注意とテレビでも何度も呼びかけていた。
お隣の犬は4分でギブアップし、友人の犬は朝外に出したら「倒れた」そうだ。
で、GOROはというと、こちらの心配をよそに夕べは-18℃(体感-27℃)の中をウン○をさせようと散歩に連れ出したけれど雪に興奮しすぎて全然やる気配なし。
そのうちこっちが根負けして、20分で収穫なく家に戻ってきてしまった。

そして再び今日の朝、今度は-30℃まで冷え切った中をPちゃんが外に連れ出すと、ちょっと「おっ?」という顔をしたもののまったくひるむ気配なし。
無事にミッションを完了し、家に戻ってきたあとお湯でガンガンあっためてあげた。
さすが、北国ルーツの犬。寒さに強し。




今日の新聞 (友人の写真を引用)
シベリアをもじって、“Chi-ベリア”・・・座布団1枚!(笑)


凍りついたシカゴ。-Chi-Beria-

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凍りついたシカゴの風景をお見せします。


http://www.huffingtonpost.com/2014/01/07/frozen-chicago-photos_n_4556767.html?ref=topbar&utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=false#sb=1605743b=facebook

Frozen Chicago: What The Windy City Looks Like Under Ice, Thanks To The Polar Vortex (PHOTOS)

With temperatures in Chicago hobbling above zero for the first time in 37 hours Tuesday afternoon, it appears some relief is finally within sight for the Windy City.
But while "ChiBeria" will soon be a thing of the past, we'll still have some incredibly remarkable photos to show for the bitterly cold, icy, undeniably unpleasant series of days.
Thanks for the memories, polar vortex.




Weather Channel producer Shawn Reynolds tweeted this incredible photo taken by pilot Hank Cain of a tundra-like Chicago, from above.


And here's what all that ice and cold tomfoolery looks like up close. (AP Photo/Andrew A. Nelles)



(AP Photo/Andrew A. Nelles)



(Photo by Scott Olson/Getty Images)


(Photo by Scott Olson/Getty Images)



(Photo by Scott Olson/Getty Images)


(AP Photo/Nam Y. Huh)



(Photo by Scott Olson/Getty Images)


日本のTV番組について考える 〜撮影裏話・その1

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昨年末、先月日本で放映された某番組の“冬のシカゴ特集”のDVDが届いた。
私はこのロケで「現地コーディネーター」という仕事をたのまれて4日間の撮影に立ち会ったのだが、
今でも思い出したくないくらい後味の悪い嫌な仕事だった。
媒体こそ違え「制作」にかかわる仕事をかれこれ20年近くやっている私だが、これほど達成感を味わえない、味わわせてもらえない仕事というのも珍しかった。

何でだろう?

私は長い間、人様に仕事を頼む側の仕事(ディレクター)をやってきたのだが、今回人様から頼まれる側に回ってみてつくづく感じたことは、「お金を払ってやってるんだから何でも言うことを聞いて当然」という態度を取られることの精神的暴力だ。
自分たちが考えるからお前は黙って頼まれたことだけをやってろ、的な。これが徹頭徹尾、今回の局(制作会社)側のスタンスだった。
放送業界ではこういう“精神的労働搾取”がまかり通っているのだろうが、それが普通でも正しくもないということを自分たちは気づいていないのだと思う。昔のまんまなのだ。
ある種、一番最先端をいっているようで知性的には最も遅れている業界。
周りのいろんな人からうわさには聞いていたけれど、今回この仕事を受けるにあたって身をもってそれを体感した。

まあ、十把一絡げにしてはちゃんとした会社の方に申し訳ないので正確に言おう。特にひどかったのは今回番組を担当していた“ロケマネージャー”S氏だった。



S氏から最初にコンタクトがあったとき、すでにその予感はしていた。
当然メールでの依頼だったのだが「依頼しようとしていたコーディネーターとコンタクトがとれなくて困っている。時間がないのでお願いしたい」という内容だった。
人に依頼をする最初の一言はとても大事である。(特に顔の見えないメールでは)
そこに「仕方ないから」という含みをもった依頼をされた人の気持ちを考えられないのだろうか?そう思うとそこで一気にやる気をそがれてしまったのは言うまでもない。
それでもまぁ、世の中にはこういう(正直な)人もいるし、信頼する方からの紹介だったこともあり、気を取り直してこの仕事を受けることにした。


受けるときまってまず送られてきたのが、「コーディネート内容」というA42枚分の簡単な文書だった。

・事前情報リサーチ、
・撮影許可手配、アポ
・取材スケジュール設定
・当日コーディネーター兼通訳
・車輛等手配
・ロケ後の確認作業・・・
・現地案内役の女性のセッティング
・情報ネタ収集
・取材家庭のセッティング
・クイズネタ

など、やるべきことが大した具体的な説明もなく列挙されていた。
これ1枚で世界の各地でいわゆるこの重要な仕事をお願いしているのか、と少し驚いた。拡大にも縮小にも、都合で解釈できる内容だ。(これがあとでとんでもない災いの元になることを、この時は知る由もなかった。)
いかにも日本人を相手にした日本の業界からの依頼らしい。


しかし、ここには書かれていないが今回最も気を遣わなければならなかったのは、“シカゴの観光局とのタイアップ”だった。
今回の番組ではさまざまなシカゴのシーンを見せるということもあり、観光局の全面協力が必須だ。だからといって、観光局の言いなりになっては番組の“色”が薄れてしまう。その間に立ってコミュニケーションを図りながら内容の詳細を決めていくのが私の役割だった(というか、そういう認識だった)。
そのため、メールではなく観光局に何度も実際に足を運んでミーティングを重ねつつ、その内容を制作側に送ってその決定を待つ、という地道な作業が続いた。
観光局からしてみれば、この番組はシカゴをアピールできるまたとないチャンスなわけで、あれもこれもとお勧めの名所をリストアップしてくるのだが、たった16分のVTRの中にすべてを収めることは当然不可能だし、制作側の意図にそぐわないものは先方の機嫌を損ねないように気を配りつつもバッサリ却下していかなければならない。
そのせめぎ合いもなかなか難しいところがあった。


しかし、それよりも一番やっかいだったのは、現地のことを何も知らない人たち(制作側)が雑誌やネットで調べたネタをもとに“○○がシカゴ流”という謳い文句で自分たちの撮りたいイメージを作り上げてしまっていたことだ。
その「タタキ台」が送られてきたのは、11月5日。取材まで1か月を切り、観光局も大型連休明けの撮影許可を早く取りつけなければと焦り始めていた頃だった。

案の定、というかそのタタキ台はあまり魅力的な内容とは言い難かった。
しかも「現地からみた意見・アイデアお願いします」と言うわりには、こちらが「それはシカゴのオリジナルじゃないですよ」「そんな流行はないですよ」「ほかにこんないいものがありますよ」と提案しても、聞く耳を持たないのだ。
観光局(担当者)が持つ豊富な情報ルートを参考にしつつ資料を数回出したものの、どうやら「観光局に仕切られる」ことを極度に恐れているようだった。

仕事をうまく進めるコツは、「餅は餅屋」に任せること。そして相手を信じることだ。
なのに、最初からS氏はこちらに疑心暗鬼になっているのが目に見えた。
そればかりか、自分の意図が通らないことにだんだんイラついてきたのか、あるときは「○○さんも(私たちと同じ)制作側の人間なんですから(観光局側寄りになるな)」と言ってよこし、かと思えば次のメールでは「それ(コンテンツ)は制作側の決めることですから(○○さんの口出すことではありません)」と突き放す。
場面によって私を制作側に入れたり排除したりする、ご都合の良さなのだ。
さらに、「観光局には撮影許可をとることでのみ協力してもらいたいがその他は黙っていてほしい」という含みのあるメールも届くほど。


(ん?でも何かおかしいぞ。S氏は本当に私の送った資料やメールを正しくちゃんとディレクターに伝えているんだろうか?)

S氏の役割って何なんだろう?そもそも“ロケマネージャー”って何よ?
番組プロデューサー、ディレクターの下の人。現地の意見を踏まえながらきちんとネタ集めをし、番組会議にかけてうかがいを立てる人?
だとすると、その役割はちっとも正しく果たされていないじゃないの。仕事ができない人によくありがちだが、自分で勝手に情報をせき止めて責任のがれの防護柵をはってだけなんじゃないの?
もしも今回、S氏抜きで初めから直接ディレクターとやり取りし、こちらの意図を直接伝えられていれば、どんなに進行がスムーズにいったことだろうとさえ思う。


そんな無為なやり取りのなかで、やっと最終プラン(といってもまだまだ未確認部分を含む)が出来上がったのは、番組ロケ数日前、彼らがすでにその前のロケ地であるブラジルのリオに旅だったあとだった。




ただでさえキリキリしているときにさらに思いがけないハプニングが襲う。
ご自宅の取材を予定していたシカゴの家族が、10日前になって突然撮影のNGを言ってきたのだ。
昨年のクリスマス前にご主人の母親が亡くなっていることから、今年のクリスマスは派手なことはせずに静かに過ごしたいというご主人の意向だという。

(そんなこと、急に今になって言うなよ〜。)

しかし、これがアメリカなのだ。人様の都合よりも自分の都合が優先の国だ。こうなりゃ気持ちを切り替えてほかの家族を探すしかない。
とはいっても、シカゴロケは11月30日からの4日間。アメリカは11月27日のサンクスギビングから大型連休に入り、家を離れる家庭が多いため、この連休明けの時期に自宅で撮影をさせてくれるご家族を見つけるのはまさに至難の業だ。
時間との闘い。とはいえ、「小さなお子さんが2〜3人いてクリスマスツリーを飾ってくれる一戸建のご家庭」という最低条件だけははずすことができない。
知り合いに急きょ頼み込み、彼女のつてで協力してくれそうなご家族を紹介してもらい、なんとかそのご家族から快諾をいただくことができた。
3人のお子さんを持つ典型的なシカゴの一般家庭で、お父さんは日本語クラスもあるという小学校の校長先生。この夏ご夫婦で日本にも研修旅行に訪れたという親日家。もってこいのご家族だった。



(つづく)

日本のTV番組について考える 〜撮影裏話・その2

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かくして、意思の疎通がまったくとれないまま波乱含みで始まった番組ロケ。


11月30日、番組クルーがシカゴに到着。カメラマンのT氏、ディレクターのN氏、そしてS氏の3人。
その前の4日間リオで撮影をこなしたあとそのままシカゴに入るという殺人的なスケジュールに、もちろんのこと皆さん疲労困憊の様子だった。

さっそく観光局が手配をしてくれたミニバンに乗り込み、空港からほど近いあるレストランの取材へ直行。もともとそんなに時間をかける予定のカットではなかったのに(2時間もかけたのに結局ここは見事にカットされてしまった)時間をとりすぎ、ホテルにゆっくりチェックインする暇もなく、ホリデートレイン(サンタ列車)の撮影、冒頭のロールで使うスカイラインや街のシーンなどを続けざまに撮影。
何しろ冬のシカゴの日は短く午後4時過ぎには陽が傾いてしまうので、その前にすべて昼間のシーンを撮らなければならない。


 


めちゃくちゃ派手で楽しいサンタトレイン(Harlem Station)
毎年11月下旬からクリスマスイブまで、CTAの各ラインで一日に数本運転している。
詳しいスケジュールはCTAのサイトで。



この時期、シカゴ博物館のライオン像もクリスマス仕様におめかし
初日はちょっとガスがかかっていたものの、この時期にしては気温も高く撮影にはまぁまぁのコンディション。


夜はリンカーンパーク動物園のイルミネーションの撮影へ。
想像を絶する混雑と渋滞で、撮影が終了したのは午後9時近く。やっと、夕食にありついたのは10時頃だった・・・。
一日目を終えたところで、寝不足や時差ぼけでクルーはぐったり。私もぐったり。


まばゆいリンカーンパーク動物園のイルミネーション


そして私は今日からの宿である Hostelへ。
当初は自宅から毎日電車で1時間かけて通うつもりだったが、早朝から撮影が始まることや不測の事態に備えて撮影の間シカゴに3泊することにしたのだ。
とはいえホテルは高いので、1泊30ドルほどの10人の共同部屋(女性部屋)のある安ホステルにした。もちろん経費は自腹だ。(ダメモトで制作側にかけあって見たが、「馬鹿じゃないの?」という口調で断られた。)
このホテルがまた最悪で、いびきのひどいヤツや朝方帰ってきてがたがた音をたてるやつのせいで、初日はよく眠れなかった・・。



2日目。

朝から例の「シカゴの家族訪問」撮影。

 
ご主人、ウィリアムさんのご両親はグァテマラ出身、奥さんのジョアンヌさんはポーランド系という、
アメリカ一の多民族都市シカゴを象徴するような一家だ。


クリーさん一家は、この日の撮影のため屋外のクリスマスデコレーションをすっかり完了してくれていた。それがどんなに大変なことなのか、私は毎年自分の家で経験していいるのでよくわかる。
サンクスギビングホリデー明けの朝早くからの撮影にOKをしてくれただけでなく、家の中をどやどやと遠慮なしに歩き回るスタッフに嫌な顔一つ見せず撮影に協力してくれた一家に心から感謝。
「この撮影は子供たちの成長のいい思い出になるわ」と言いながら、ジョアンヌさんも喜んで参加してくれた。

制作側が期待していた「『ホームアローン』に出てくるような豪邸に住む、絵にかいたような(金髪の)アメリカ人家族」という、いわゆる日本人が勝手にイメージしている“アメリカ人像”からは遠かったかもしれない。が、これこそ実物大のシカゴの家庭なのだ。
「金髪青い目」にこだわるのは、欧米人が「ちょんまげ結って着物着ている日本人」を想像しているのと同じレベルだ。
見た目にこだわるのもいいが、今どきの視聴者のほとんどが海外旅行経験者であることを考えると、いい加減テレビも“視聴者受け”の考えを正したらどうかと思うのは私だけだろうか?


昼からはモデルのタリンさんと待ち合わせたミレニアムパークの屋外スケート場で、出会いのシーン。
日本語の大学教授をしている友人に頼んで彼の教え子を紹介してもらったのだが、実は彼女とは家がご近所同士。撮影に入る数日前に番組の趣旨説明を兼ねて顔合わせをしていて、彼女の人となりを知っていたので安心だった。
彼女はこの年ごろの典型的なアメリカ人の女の子とは対照的に、どこか控えめで穏やかで辛抱強い“和風な”性格。
日本語を勉強しており、3か月の研修旅行にも参加したこともある。スポーツ、音楽、ダンスとなんでもこなす多彩な美女。
彼女をモデルに採用したことで、このシカゴロケのクオリティが上がったことは間違いないと思う。
それに、疲労と押し気味のスケジュールでかなりピリピリしていた撮影現場が、彼女のおかげでほっこりとなごんだことは言うまでもない。

しかし・・・この日あたりから、スタッフの疲労とイライラは最高潮に達し始めていた。
誰のせいでもない事に対するS氏による八つ当たりや言葉の暴力がしばしば私に向けられた。とにかく陰湿。
陰でこそこそ悪口言ってる。ま、終わるまでのがまんがまん。相手にしない。

 タリンさん。身長は180センチ!


3日目

目の覚めるような快晴。しかも気温も10℃以上と、ジャケットを着ていても汗ばむほど。
この天候を利用して朝から街角のシーンや、美術館〜ミレニアムパークの美しい風景を撮影。
ああ、これがこの天気で撮れてよかった!
午後からは、博物館、そしてショップを1軒、シカゴの夕景を撮ってこの日は早目に終了した。


番組では見事にカットになってしまった「シカゴの風物詩」をご紹介。


科学産業博物館の「世界のクリスマスツリー展」
ウォルト・ディズニーはシカゴ出身。毎年クリスマスツリーとミッキマウスのコラボレーションが話題を呼んでいる。
これぞシカゴのクリスマスシーンなのに、どうしてカットされたのか理解に苦しむ・・。



ブルーミングデール(ショッピングモール)に毎年現れる、有名なサンタさん。
彼はあちこちのパンフレットにも登場する超有名人。おひげは本物。



4日目(最終日)

この日は、朝からスケジュールがびっしりだ。
朝一番に合宿所(ホステル)をチェックアウト。10人共同部屋のすぐ外には地下鉄の高架があり、電車が通るたびにガタガタと音をたてる。まるで「ブルース・ブラザーズ」の映画に出てくるような部屋だった。



しかも2段ベッドで体が痛い・・。でもこのベッドともついにおサラバだ。
荷物をカウンター横のロッカーに入れ、いつものように迎えに来てくれたドライバーのリックさんと一緒にモデルのタリンさんをユニオン駅に迎えに行く。
最終日の撮影の開始だ。

しかし、しょっぱなから大波乱。1軒目のショップ『AKIRA』に到着するとなんとドアが閉まって誰もいない状態。
電話をしても責任者は捕まらず、そうこうしていると撮影隊がビルの警備員に止められて大変なことに。
やっと連絡が取れた責任者から、「店長がプライベートな理由でショップに来れなくなったの。ごめんなさい〜」とメールが入る。
おい、ごめんなさいって何だよ!?
こっちは何日も前から許可をとってそのために来てるっていうのに。まったく考えられない。

先方の要望で開店前の9時に来たのにとんだ肩透かしを食らってしまい、仕方なく午後に予定していた次のShop『Nakamol』へとスケジュールを変更。
幸いにもこちらはいつでも準備万端という状態だったので、順調に撮影は進んで事なきを得たが・・・どうなることかと朝から冷や汗。


このあと、レストラン2か所をそれこそ分刻みで駆け回り、午後5時50分のホリデートレイン(サンタ列車)に間に合うようにアシュランド駅にすべりこむ。
この駅は、撮影に入る前にカメラマンの友人たちに「ホリデートレインを撮影するならどの駅が一番美しいか」をヒアリングし、氷点下の中を凍えながら一人でロケハンして決めた場所だけに特に思い入れがある。
ここからは息をのむようなシカゴの夜景を遠景で見ることができるので、まるで銀河鉄道のような絵が撮影できる場所なのだ。


ロケハンの時に撮った写真。結局この景色は何の役にも立たなかったけど(笑)


このホームに、サンタ車輛を含む8両編成の電車が入ってくる予定なのだが、いったいどの部分にサンタが停車するのかはまったくわからなかった。
そのため、責任者の方の立会いのもと入念に入ってくる電車でテストし、ホームでカメラを固定して待ち構えた。
そして、いよいよサンタトレインがホームに滑り込んでくる。
徐々にスピードを落とす電車。そして計算通りに設置したカメラの目の前でサンタ車輛が停車してくれたときは、感動すると同時にほっとした。



全員でキラキラの電車に乗り込み、中を撮影。ルーズベルト駅で下車するまでの20分間、しばし私も夢のような時を過ごすことができた。
このサンタトレイン、地元の人にもあまり知られていないのが残念だ。ビル街を走るシチュエーションが本当のサンタみたいで素晴らしく大人も子供も思わず笑顔になる。
サンタさんはこの寒空の中大変だけれど、夢を見させてくれてありがとう!

メインイベントを撮り終え、ほっとしたあとは最後の仕上げに「Christkindle Market(クリストキンドル・マーケット)」へ。シカゴの冬の名物、ドイツのクリスマス市だ。
ここでオーナメントの屋台やホットワインの売り場、街角でサンタ帽をかぶってサックスを吹いている黒人のおじちゃんなどを撮影して、午後7時ごろ今回のすべての撮影が終了した。


ほっとして、全員疲れがどっとでた瞬間だった。
食事のあとはさっさとお役御免になって早く我が家に帰りたい、ただそれだけを心の中で願っていた。


しかしこの最後の最後にとんでもないいざこざに巻き込まれ、思わずぶち切れそうになった・・・。



(つづく)

日本のTV番組について考える 〜撮影裏話その3・視聴者をなめるな

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この仕事を受けてからの丸1か月あまりを振り返って、実にいろんなことを学ばせてもらった。


ひとつ目は、ウワサ通り日本のテレビ局の下請け制作会社というのは非常に高飛車であるということだ。
S氏が最初に「(仕事を依頼しようとしていた)コーディネーターと連絡が取れない」と言っていた意味がようやくわかった。
多分、もうこの仕事をやりたくなかったのだろう。

Feeも仕事内容の割にまったく合わないし、それ以上に受けた精神的苦痛のほうが大きい。
まず、苦労がまるで報われない。
ふつうこれほどの重労働をともに味わった仲間であれば心地よい達成感を共有できるものなのだが、今回は悲しいかなそういう気持ちがまるで湧いてこなかった。
うまくいけば自分たちをほめ、トラブルと人のせいにし、一生懸命駆けずり回って手配した私に最後までねぎらいの言葉をかけられることもなかった。
そんな人間相手に「この人のために多少のことくらいお金とは関係なくやってあげたい」という気持ちになることのほうが難しいというものだ。
人を動かすのは人なのだ。


多少のことは辛抱できるが、一番ひどいと思ったのがお金の精算に関するトラブルと責任転嫁だった。
最終日、すべての撮影が終わったあとS氏が「ドライバーさんに支払う料金を現金で支払いますからこの場で領収書を切ってもらってください」と言いだした。
ドライバーさんは観光局との雇用関係にあり、その日当やガソリン代は観光局が管理していたので「現金精算はここではできない。あとからに請求書処理してほしい」」とお願いしても、いやそれは困る、ここで現金で払う、のいってんばり。
挙句の果てに、「どうしてこんな簡単なことができないんですか?だから最初から言ってるじゃないですか?」とみんなの乗っている車の中で私を罵倒し始めた。
ドライバーさんへの謝礼は、支払う会社が別(ディレクターの会社)だからなおさら、自分は最初からちゃんと伝えている、非がないということをディレクターの手前わざと聞かせたかったのだろう。
これには目が点。言葉を失った。そんなこと、今この場で初めて聞いたからだ。


そもそもこの仕事で最も驚いたのが、ある日S氏がよこしたメールだった。
「このシカゴロケは全費用が観光局様ご負担という条件で成立したもですが、そのお申し出が一旦取り下げとなり、既に予算オーバーです」
要するに、「全部費用を負担するって言ったから撮影してやることになったのに、それを覆しやがって。こちとら大赤字でやってらんねぇよ」という趣旨のメールを、しかも観光局の人たちにもCCでメールしてきた、その失礼極まりない態度にあきれ返った。
もちろん観光局もこれには激怒。

それでもって、最後には怒りの矛先が私に向けられ、「これはあなたが立ち入る問題ではありません」ときた。
へいへい、わかりました。それでは私は金輪際お金に関してのやりとりには関与しないことといたします、というやりとりが撮影直前にあった、それにもかかわらず、だ。
この「現金精算しろって言ったじゃないか?」は矛盾している。立ち入るなといっておきながら、やれと言ったじゃないかとは都合がよすぎるやろ。
さらに、私に対する“コーディネーター費”も現金払いだというのだ。これも初耳。
現金の札束をコンビニで渡され、真夜中過ぎのシカゴをひとり帰る道すがらは、いつ襲われるかもしれないと生きた心地がしなった。

これだけハードなスケジュールが続くと疲労で思考回路もおかしくなるのはわかるが、そもそも彼女の妄想というか「虚言癖」には振り回されっぱなしだった。
書面で送っていることなのに「聞いていません」と声を荒げたり、大切なことをディレクターに伝えてなかったり、勝手にこんなイメージの撮影だ、と思い込んでいたり。
そしてふとわが身を振り返った。あのとき、仕事をやめてよかったと・・・。
仕事に追われ、周りの人を信じない余裕のない彼女の目を見ていたら、自分も今頃こうなっていたかもしれない。・・いや、絶対なってないな(爆)

そして最後の最後にS氏が言った言葉は、お疲れさまでもなくありがとうでもなく、
「最終日がこれだけハードだったのは初めてです。いつもなら最初の3日間でほぼ終わってるんですけどね」という嫌味。
自分たちがシカゴ入りの便を遅くして初日の半日をロスしたことや、撮る予定でもなかったところをだらだら撮って(結局使わなかった)たからじゃん。要領悪いのも人のせいか?


学んだことのふたつめは、金輪際もうテレビ番組、特に「バラエティー」には絶対にかかわらないほうがいい、ということだ。もちろんお互いのために。
この手の番組のノリには自分自身もうついていけなくなっていることに気付かされた。なんってったって、この手のノリについていくにはトウがたちすぎている。
ここしばらくすっかり日本のバラエティ番組を見る機会もなくなって久しいせいか、番組のVTRを見せられてもすでに面白くもなんともないのだ。

いや、そのまえに今回はこの番組自体のポイントがわからなかった。誰に何を伝えたかったのか?
ターゲットの視聴者は主に20代〜40代の女性とのことらしいが、それにしては内容が幼稚すぎないか?
「女の子はこれを知りたいはず」的な思い込みで、もう何十年も同じようなものを作り続けているのが日本のテレビの現場じゃないのか?
そもそも、日本のテレビ番組は視聴者を見くびっていやしないか?
いつまでも女性を「女の子」と呼び、オリンピック選手に対しても“○○ちゃん”とアイドル扱い。10代の選手でも「○○選手」と呼んでアスリートとしてリスペクトするアメリカとは大きく異なっている。


実際、番組を見た友人から
「近頃の女性は好奇心旺盛で常にアンテナを張り巡らせているし、積極的に自ら行動を起こせるアクティブな人たちが多い。そういう(好奇心をかきたてられるような)ネタをあえて封印して(テレビ局は)おとなしく無難な面だけを見せようとしているんじゃないの?」とか
「白人的な健康的なシカゴでしたねえ。(笑)」
といった鋭い意見も寄せられた。まさにおっしゃるとおり。
視聴者は知っているのだ、何かがおかしいということを。テレビが見せようとしているのはきれいなうわべだけの世界であるということを。
そしてこれが私の中にあったもやもやでもあり、あちらさんとの決定的な食い違いになっていたともいえる。

しかしこれは、局や番組のプロデューサーの“インテリジェンス”の問題だと思うのだ。
頭の禿げたおっさんが、「女の子に受けるにはグルメとファッションなんだよ!」などという半世紀ぐらい前の感覚で決めているんだろう。
そのうえ、そういう業界の人たちは業界の中で忙殺されて生きていて、まるで世界を知らない。
想像だけで「アメリカといえばかわいい金髪の女の子がガイドになって、グルメやファッションや豪邸を案内するもの」と決めているのだから、それ以外の世界(むしろそれ以外こそ本当の世界)を見せようとすることに否定的なのだ。
こういう思い込みによるやらせは、実は業界人たちよりも今や世界をよく知っている視聴者にもうばればれなのだということに、早く気づいてもらいたい。




まぁ、ひどい仕事だったが自分の名前(や「US新聞」の名前も)もクレジットに出ればまぁいいか、と思っていたら
「現地コーディネーターのクレジットは入りませんので恐れ入ります」とバッサリ。
おいおい、自分たちの名前はしっかりのっけておいて、現地でかけずり回った人たちの存在は抹殺してしまうのか?そもそも「クレジットは入りません」というような大切な条件ははじめに伝えておくべきだろう。
これって・・・詐欺?(笑)まさに、人の足元を見る仕事だ。
他の国のコーディネーターの人たちはどう思っているのだろう?ここで文句を言ったら、日本のTVから二度と仕事がこなくなるから黙っておこう、と口を閉ざしているのだろうか?
黙ってられずにS氏に聞いてみた。クレジットはいつも入らないのですか?それとも私の場合だけ入らないのですか?どちらににしても由々しき問題なので、今後のために同業者とも情報を共有したい、と。
そしたらこんな返事が来た。

「○○さんは、このお仕事は不向きだと思いますので、今後はお受けにならない方が良いかと思います。したがって同業の方にもあまり間違った情報は話して欲しくないので、共有しないでください。」


全くおっしゃる通り。
自分の意見も意思もなく、言われたことだけにただはいはいと従うだけの“手配屋”には私は不向きですから。別の人にお願いしますうー。


それにしてもこの人物、最後まで屁のような(笑)


(完)

テレビという集団殺傷兵器

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日本のテレビ番組についていろいろと書いているそばから、ほらやっぱりね、といわんばかりのタイムリーなニュースが立て続けに聞こえてきた。

日本テレビのドラマ『明日ママがいない』をめぐって、第一話放映直後から「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置する熊本の慈恵病院や全国児童養護施設協議会が「養護施設の子供や職員への誤解や偏見を与えかねない」として、放送の中止や内容改善を求めた、というもの。

このニュースを聞いたとき、まず「また日本人の集団いじめが始まったな」と思った。
番組を見ていないので内容に関するコメントはできないが、誰かが「偏見だ、差別だ」と言い始めると、面白いように世の中みんな知ったような顔をしてそっちに味方するのが日本社会の常。
閉鎖的極まりない。
だいたいいちいちそんなクレームを出していたらフィクションのドラマなんて作れないんじゃないのか?
過去にももっとすさまじい内容のドラマがいくらでもあったが、ここまでの大騒ぎにはならずスルーされていた。つまり、直接何かを連想させないものはOKで、リアルなものはNOなのか?
さっぱり理解できない。


そして第2弾は、この番組のスポンサーである8社、(花王、日清食品、スバル、エバラ食品、小林製薬、三菱地所、ENEOS、キューピー)がすべてCMを見合わせたというニュース。
まず、第2話ではスポンサークレジットの表示がなくなったほか、エバラ、ENEOS、キューピーの3社がCMを中止。
CM続行を明言していた三菱地所、花王、小林製薬の3社も、最終的にはこの流れに屈した。
「みんながおりたから、うちも降りなきゃ何言われるかわからない」というこの貧相な決断。
最後の1社になるまでCMを継続して、番組を最後まで見届けてやろうという肝が座った会社は日本にはいないのか?

話は違うが、時同じくして「ANA」の新しいCMに批判が殺到して、ANAはこのコマーシャル放映をやめてしまった。
そのCMを見てみたが、まったく意味が解らなかった。
笑えばいいのか、どうすればいいのか反応さえ返せないのだ。いったい何が言いたいのだ?(笑)
「日本人のイメージを変えようぜ」といって、いきなり金髪につけ鼻?浅い、あまりにも考えが浅すぎるぜ。
この間の番組収録の時にも感じたが、「アメリカ人=金髪&青い目」という凝り固まったイメージを、テレビ局はいまだに視聴者に押し付けようとしているということをタイムリーに証明してくれた。
実に興味深い偶然だった。
人種差別とか偏見とかいう以前に、こんな面白くもなんともない、意味のないコマーシャルをよくもまあ、大の大人たちが大金をはたいて作って堂々と放送したものだということにあきれた。
一人として反対する人はいなかったのだろうか??
集団催眠にでもかけられていたのかもしれない。
CMを作ってもらうほうも、作るほうも、所詮こんな国際感覚のかけらもない頭脳なのだ。がっくし。


とまぁ、ここまでは“極小コホネス”のスポンサー側の話。
しかし、大きな問題は「視聴率をたたき上げる為なら、多少人を傷つけようが確信犯で何でもやる」テレビ局そのものだと私は思う。
こうなることはうすうす承知しながらも、十分な議論もせず見切り発車したその態度に腹が立つ。
テレビの仕事をした直後だけに、余計に手に取るようにわかる。丁寧に裏付けをしたり最小限の配慮をしたりする繊細さなど、彼らにはひとかけらもないからだ。
そんなことを考えていらだっていたら、面白記事を見つけた。

窪田順生の時事日想:
赤ちゃんポストに預けられた子供が「ポスト」と名乗るドラマの何が問題なのか?

http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1401/21/news026.html

ここでなるほどと思ったのは、「子ども社会の伝播力を甘くみてはいけない」というくだり。
いくら「夜10時以降の放映で低学年の子供たちが見ない時間だ」と弁解しても、それはあくまで大人の理屈。
同い年の子どもが主役で出ている、なにやらいわくあり気なドラマを、子供が黙って見逃すわけはない。
子供は大人が考えているほどアホではないのだ。
そうして見てしまった子供から尾ひれがついて番組が語られ、施設に対する偏見や施設から通っている子供たちへの差別につながることを体験者は最も恐れている、という内容に深く共感した。


「日本のテレビ局は、どんなあざとい手を使っても視聴率をたたき出す「営利企業」と、「社会の公器」という相容れない2つの仮面を使い分け、どうにかここまでやってきた。
 いい加減、善人ぶるのがバカらしくなってきたということかもしれない。」(前述「窪田順生の時事日想」より)


「視聴率=金」だけしか価値観を見いだせず、もはや人間としての最小限の配慮もできないアホなマシン集団が作る番組を、見る側はこれからどうやって賢く取捨選択しくべきなのか。

善人ぶるのをやめた社会の公器、“社会の集団殺傷兵器”との闘いが、始まった。


おそらく世界一稚拙で幼稚なマスコミ報道。

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新型万能細胞「STAP(スタップ)細胞」作製に成功した理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの小保方(おぼかた)晴子研究ユニットリーダーに関する行き過ぎた報道を読んで、日本のマスコミの軽薄さにまたもやあきれてはててしまった。
アメリカに住んでいる私でさえネットで記事を読むたびにうんざりしているのに、日本にいたらさぞ大騒ぎになっているんだろうと容易に見当がつく。

どうやら日本のマスコミは、世界的な大発見である「STAP細胞」に彼女がどう取り組んだかではなく、「ほら、理系の女性でもこんなにオンナノコらしい」ということを伝えたいらしい。
いかにも日本らしい、女性蔑視かつオトコ目線的な報道だ。
そんなに理系の女は珍しいのか?理系の女が女の子らしいと驚くのか?日本の男どもよ!?
憤懣やるかたない気持ちでいたところ、面白い記事を読んでPちゃんと二人で大笑いした。


(“「デート」「ファッション好き」革命的研究者の紹介に見る根深い新聞のおっさん思考”/by 藤代 裕之)


この記事の中で、今回報道された研究成果に一切関係ない小保方さんに関する各社の記述が紹介されていた。


“自分の研究室の壁はピンクや黄色、花柄のソファを置き、実験器具などには、「ムーミン」のキャラクターのシールなどが貼り付けてある。知人の間では「ファッション好き」で知られる小保方さん。今回の記者会見でも英国の有名ブランドの金色の指輪をつけて臨んだ。”
出典:毎日新聞


“研究をしていないときには「ペットのカメの世話をしたり、買い物に行ったりと、普通ですよ」と話す。飼育場所は研究室。土日も含めた毎日の12時間以上を研究室で過ごす。「実験室だけでなく、おふろのときも、デートのときも四六時中、研究のことを考えています」”
出典:朝日新聞


“実験室の壁はピンク色に塗り替えた。机にはキャラクターが並び「女子」の側面をのぞかせる。研究室にはペットのスッポン。「この子が来てから実験が軌道に乗ったので幸運の亀なんです」と笑顔を見せた。”
出典:産經新聞


これがもし、小保方さんが「30歳男性研究者」だったらどうなるかを赤字部分の言葉を入れ替えてみたら、以下のようになるという。


“研究室には鉄道模型が飾られ、実験器具などには漫画キャラクターのシールを貼る「男子」の側面をのぞかせる。知人の間では「ファッション好き」で知られ、今回の記者会見でも英国の有名ブランドの金色の指輪をつけて臨んだ。「おふろのときも、デートのときも四六時中、研究のことを考えています」と笑顔を見せた。”


これにはもう、爆笑。なんとわかりやすいこと!
いかにこの文章が不自然か・・この不自然さはそっくりそのまま、私たち女性に長年向けられてきたものであるということ、しかも今でも当たり前のように向けられている目線なのだということを男(マスコミ)たちはまったく気づいていないのだから始末が悪い。

オリンピックに美しい選手が登場したらその努力や成果などそっちのけで「○○ちゃん」と友達呼ばわりで追い掛け回し、男性がまだまだ優位な職業で活躍する女性をすぐに「美しすぎる○○」などと呼んでオトナのおもちゃ扱いする稚拙な文化がまた、新たな被害者を生んでしまったといっていい。
もし欧米の新聞が、キュリー夫人を「リケジョ」とか「ドレス姿の科学者」とか表現していたら、きっと袋叩きにあっていただろう。
女子が”男性をおしのけて”何か功績をあげると日本では驚愕の目線で見られるのか?
バリバリのキャリア女性で将来に夢も希望もあった雅子妃が、皇室に囚われてただの子作りマシンにされてしまったあげく心に深い傷を負ってしまったことに対して、誰も責任をとっていない、そんな国なのだ。
やはり日本は真の意味での男女の平等に関して、欧米から100年遅れている。


とはいえ、男性だけが悪いわけではない。
女性側がむしろ、その「オッサン目線」に心地よくのっかっている気がしてならない。

「リケジョ」(理系女子)の「オボちゃん」(←ひとりの成人女性に対して最低な呼び方!)が会見でつけていた英国ブランドの指輪や、丸襟のブラウスなどのファッションも話題となっており、「インターネット上の掲示板では「あれ欲しい!」「どこのブランド?」といった書き込みが相次いだ」というから、その女性たちのそのオツムの悪さにもあきれてしまう。
違うところを真似なさい。

ついに、過熱した報道に切れて本人からマスコミへのお願いが出されたらしい。
トホホだ。
真のサイエンティストはこれしきのこと(ノーベル賞でも)くらいではまったく浮かれてないのだ。
とにかくこれからいっそう激しくなる競争にたちむかうべく静かで没頭できる研究環境が必要なのだ。
そんなことをわかってあげることすらできないのか、マスコミってやつは。。。

1月の振り返り

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なんのかんの言っているうちに早くも2014年の12分の1が終了。
かるーく1月を振り返っておこう。

とにかく、寒かった。

以上。

いやはや、これほど寒い冬ははじめてだ。
なにしろ体感気温で-45℃って。ありえないでしょう?
「外に出ると危険」というレベルにまでなったのだから、本当に外に出ない日々のほうが多かった。
おかげで運動不足で欲求不満。
学校は当たり前のように休みになるが、毎日通勤しなければならない人たちは本当にお気の毒だ。
GOROの散歩も命がけだだった。
多少の寒さにはまったく動じないGOROでさえ、5分以上の散歩から戻ると足がガクガク震えていてかわいそうだった。


元旦のショット

  
比較的穏やかな(といってもかるーく零下だが)日は、念入りに散歩。

 
雪が大好きなGOROは首までつっこんではしゃぎまくり


雪原を泳ぐGORO



そんななか、最初のイベントは1月10日。
去年に続いて、ブルースマン、エディー・クリウォーターの誕生日ライブに行ってきた。
堂々の79歳。述べ3時間に及ぶライブをこなす気力、体力は素晴らしいの一言。

※詳しいレポートはここから↓
http://www.usshimbun.com/Music-Series/music-vol.4-EddyClearwaterBDLive







奥さんのリネーさんとツーショット。
このお二人は本当に仲が良くてほのぼのする。


ライブ終了後出演者全員のショット。




1月19日

昨年末、シカゴサウスで何者かに撃たれて41才という若すぎる生涯を閉じたブルースマン、エリック“ギター”デイヴィスのチャリティーライブ。
この日のためにシカゴの名だたるブルースミュージシャンが集まって、彼との思い出を語り、歌った。
残されたエリックの6人の子供たちも招かれ、父のバンドに交じってドラムとベースを演奏した。
涙が出た。

シカゴのブルースシーンはとても結束が固く、こういうときは「いざ鎌倉」とお互いにはせ参じて助け合う。
今までこんなシーンをたくさん見てきた。
だからこんなにもブルースに惹かれるのかもしれない。
この日、このイベントを通じていろんな面白い人たちと知り合うことができた。


気丈にも一生懸命演奏するエリックの子供たち。後ろの父のスクリーンが泣かせる。


家族席でHolle Thee Maxwellがエリックの子供たちを元気づけていた


立錐の余地のないほどの満員御礼。
この日の売り上げはすべて、残された家族に寄付される。


こういうシチュエーションでは必ずと言っていいほど登場する二人。マシュー・スコラーとデートラ・ファー


そしてこの人も。大好きなシュガー・ブルー


どさくさに紛れて一枚  ベースのメルヴィン・スミスと。この人も何気に情が厚い人。


場所はいつもここ、“シカゴで一番家族的なブルースバー”「Rosa's Lounge」。
私もここが一番好き。


この店の主で“シカゴブルースマンたちの母”、ママ・ローザ(右)とデートラ








"オリンピック帰国"とまさかのヴァレンタイン入院

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この飛行機に乗って・・・

2月は波乱含みのうちにあっと言う間に過ぎ去った。
一番大きな出来事は、2週間ほどのシークレット帰省(帰国)。
そもそも今回の帰国は、1)ソチオリンピックを見ること、2)ゆっくり実家で正月気分を味わうこと、3)ついでに健康診断をすること、が目的だった。
いつもは友人たちに会っているうちに実家で過ごす時間がなくなっていたので、たまには誰とも約束せずに実家にだけ帰ってみようと思っていたのだ。
それにこの時期は1年のうちで航空運賃が最も安くなるので狙い目だった。

オリンピックが始まると我が家が真っ二つに分かれるのも要因のひとつ。
競技ごとに全く興味のないPちゃんとは違って私は無二のオリンピックや競技好き。私がテレビをみて大騒ぎするので、この時期Pちゃんはすごーく憂鬱になるらしい。
私のほうも、アメリカ人選手がメダルを取りそうな競技以外はほとんど見ることができないアメリカでオリンピックを見ることも大きなストレスになっていた。
というわけで、ちょうどこのソチオリンピックを利用して帰省する計画を立てたという次第。
「オリンピックの期間、実家に帰らせていただきます」とPちゃんに言ったら、「Thanks God!」と大喜びされた。

日本で大雪が降って首都圏が大混乱に陥ったその数日後、大寒波の合間を縫ってシカゴから脱出。幸いフライトは1時間の遅れで済んだ。
今回初めて一日に2便就航となったANA便(成田-シカゴ)を利用し、午後9時過ぎに成田着。その晩はANAのキャンペーンで成田のクラウンホテルに無料宿泊というお得なプランだった。
この便のいいところは、まず席がすいていること。私の座った席は3シートとも空いていたので悠々と横たわることができた。そして映画が充実していることもうれしかった。(おかげで4本も見てしまい、ほとんど眠れなかった。)
ホテル利用の規定で、24時間以内には国内便(海外居住者は国内線がどの路線も片道1万円で利用できる)に乗り継がないといけないので、翌朝にはすぐに羽田に移動して徳島へ直行。実に快適だ。


これが大波乱の幕開けになろうとは・・・


せっかくだからと奈良に住む姉が勤め先(医大)の紹介でいろんな検診の予約を入れていたのはいいが、検診は翌日からなのでその日のうちに奈良に移動せねばならなかった。
実家へは一瞬タッチダウンして荷物を下ろしただけで、すぐにバスで奈良へと向かう。

早速翌日、婦人科検診と消化器初診、腹部エコーなど。ちなみにこの夜は、男子フィギュアのSPを見ていて、寝たのは夜中の4時半ごろ。


朝起きると、外はえらいことになっていた。
奈良はなんと15センチの積雪!私の行くところどうしてこんなに雪が降るんだろう?


よりによってこんな日に、最も恐れていた大腸スコープ検査。
できれば一生やりたくない検査だったけれど、この年齢になると一度はやっておかないといけないと前から言われていたこともあり、ついに観念。朝から2リットルの下剤をゲホゲホいいながら飲み続け、やっと検査の時がやってきた。
幸いにも、この道では第一人者の先生に検査をしてもらったので少しうとうとしているうちにすべてが終了。
終わりましたよ、という先生の声で正気に戻ったものの、そのあとの言葉に耳を疑った。
「ポリープがあったので切除しておきました。念のために今晩は入院してください」

へっ?入院?まじっすか?
「今晩、男子フィギュアのフリーがあるから帰りたいんですけど・・」ともうちょっとで言いそうになるのをぐっとこらえる。
今晩は家でゆっくりお酒でも飲みながら、姉夫妻と一緒に大騒ぎしながらFPを見ようと計画していたのにそれがガラガラと崩れ去ってゆく。

結局、検査台の上から一歩も歩くことなくそのまま入院部屋へ看護婦さんたちに運ばれながら、なんだか自分がものすごく重病人になったような気がした。
もちろん、入院の支度を何もしていなかったので、大雪の中を姉がぶつぶつ言いながら「入院セット」を一式持ってきてくれた。助かった。
私はもちろん、今回が人生初入院。
ただでさえ病院が嫌いなのに、ここで何日も過ごすのかと思うとそれだけで気が重くなった。
しかも入院の間は断食だという。食べる楽しみも奪われ点滴の管を血管に入れられた哀れな我が姿に、「こんなはずじゃなかった」という思いがふつふつと沸いてきた。


いやしかし、これも不幸中の幸いだと思わねば。
これがもし、保険をもっていないアメリカでおこっていたら大変なことになっていた。
手術と入院日で軽く400万円は請求がきただろう。
これは冗談ではない数字だ。
先日ヘルニアの手術をした友人は、300万円の請求書が来たと言っていた。彼女は保険に入っているのでもちろん全額を払わずに済んだが、いまだに国民皆保険制度のないアメリカはこういうことが日常で起こっているのだ。
医療費が払えないがために家ごと持って行かれるケースが後を絶たないのもこのためだ。

そう考えると、こうやって病院で24時間看護婦さんの完全看護付きで、お金の心配もなく悠々と過ごせる日本は天国のようなものだ。
ありがたや、ありがたや。
さらにありがたいのは、病室にテレビがあったこと!おかげで毎夜、真夜中のオリンピック観戦を楽しむことができた。
また、退屈しのぎにと姉が差し入れてくれた新聞や雑誌をむさぼり読んで、かなり楽しかった。
こんな贅沢な時間、なかなか持てるもんじゃないもんね。


入院、Yey!


結局、担当の先生から「何も急ぎの用がないならゆっくりしていけば?」と、まるで親戚のおっちゃんのように勧められて3泊入院。月曜日の朝、無罪放免となった。
久々に娑婆に出たら、雪はすっかり融け、空が青かった。胃も腸もすっかり空っぽだ。
土曜日に何年かぶりに会う大学時代の友達と久々にランチの約束をしていたのに、この唯一の計画もおじゃん、まったくの予定外の入院だった。
3日もロスしてしまったので、神戸方面の友人に会うことを一切あきらめ、今回は大阪から徳島に直帰とあいなった。


いやはや、みなさまお騒がせしました。
持つべきものは頼りになる親兄弟。感謝いたします。

攻める人間は美しい。

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退院の時、一番に先生に聞いた質問は

「お酒飲んでもいいですか?」

だった。
だって、今回何が楽しみって、青森から送っていただいていた大好きな地酒を夜中にオリンピック見ながらちびりちびりと飲ることだったのだから。
「念のため、2週間はアルコールを控えてください」と言われ、またもや大ショック。
無事に田舎に帰ったものの、ビール抜きで退院祝いのスキヤキを食べるのは結構つらかった。
しかも横で両親がおいしそうに飲んでるし。

さて、気を取り直してオリンピック観戦に戻ろう。
残念ながら日本選手団は、ソチオリンピックの前半でまったくメダルが取れなかったのだが、私が日本に着陸したとたんスノボのティーンコンビに始まって、入院中は羽生がついに金メダル。続々とメダルラッシュとなった。
そう、私は縁起がいいのだ。
あと私の願いは、なんとかオリンピック最後の真央ちゃんにメダルをとらせてあげたい!だった。

そして悪夢のショートプログラム・・・。
しかし、ここまで落ちてしまったらかえってせいせいした。メダルどうこうというより思い切りやってほしい。笑顔で終わってほしい。
その気持ちだけだった。
この気持ちはきっと、全国民が持っていたと思う。
翌日のフリーの演技では、そんな私たちの希望を彼女は見事にかなえてくれた。
彼女の笑顔をみたとたん、皆が救われた、そんな気がした。

それにしてもなんという強さだろう。
アスリートは決して誰かに勝つために戦ってはいない。彼女はずっと自分と戦っていたのだ。
安全策をとってトリプルアクセルを封印することイコール自分を捨てること、自分への挑戦をやめたらアスリートではなくなることをずっと前から知っていた。
どんなにリクスがあろうとも、全世界で自分だけにしかできない演技にこだわり続けた執念の勝利だった。


同じ意味で、今回のオリンピックで深い感動を与えてくれたのは、演技の直前に棄権したロシアの“皇帝”プルシェンコだった。
4年前、4回転を飛びながらも銀メダルに終わり連盟にクレームを申し立てたときには、金メダルをとったアメリカのメディアから激しいバッシングにあった。
でも彼の「挑戦をやめれば競技がだめになる」という気持ちは4年後に見事につながった。
今や、4回転を飛ばない選手のほうが少なくなっていた。

4年前に書いた記事「みんな正論」

その皇帝が自らリンクを去った。それも、全世界が見守る中で。
体がボロボロになるまで自分の技を出しつくし、そして最後は醜態をさらすまいと去って行った。
その彼を追っていた少年が4回転を成功させて金メダルを取り、そのことを我がことのように喜んだ皇帝。
羽生自身も「4回転半を飛ぶようになってこそ真の金メダル」という攻めの姿勢を決して忘れていない。皇帝の優れた後継者だ。
また、挑戦し続けるものこそ報われるという彼の思いは、浅田真央へのエールとしても送られていた。
真央が「尊敬する選手はプルシェンコ」と言ったのもうなづける。

女子の金メダルを巡っては、素人を巻き込んでいろんなバトルが繰り広げられているが、私的にはロシアのソトニコワは「攻めて勝ち取った」と思う。
キム・ヨナは4年前からは明らかに退化していたし、ミスなく美しかったものの明らかに攻めてはいなかったからだ。
所詮人間が採点するもの。一流の選手ほどそのことを一番よく知っている。
全てが終わった後の浅田真央とキム・ヨナの表情は、何ともすがすがしかった。


そしてもう一人、私を泣かせた人物が高橋大輔。
彼のスケーティングはなんと美しんだろう。
コケてもミスしても、もうどうでもいいや。
あの、後半2分の彼の表情にすべてが表れていた。スケートができる喜びが全身に満ち溢れていた。
勝負を超えた究極の美が、そこにはあった。

エクシビションでの演技も皆すばらしかった。
特に真央ちゃんのSmileにはじいんときた。
アメリカで見ていた友人が後から教えてくれたのだが、真央が滑っている間、アメリカの代表選手だったあのジョニー・ウィアーが
「MAOちゃ〜ん」と放送席で絶叫していたそうだ。

どんなにつらいときも、心が折れたときも、決して周りに嫌な顔を見せずにきちんと受け応えし、人を批判するようなコメントも一切しない彼女は、全世界の選手から愛されていた。

どうかこれからの人生も「攻めの真央」でいてほしい。
つまらない日本のメディアや芸能界なんかにまみれないでいてほしい。
できれば雑音のない海外でのびのび活躍してほしい。これからは自分だけの満足のために生きてほしい。
オバサンはそう願うばかりである。

男尊女卑王国日本を見た

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【久々にむかついた話】

銀座で昔の仕事仲間と楽しく会食したあと、友人ととあるBarで飲んでいた。
カウンターだけの小さなBarで、となりにはいかにも成金といった風情の下品なおっさんがロシア人の若い彼女(娼婦)を連れて我が物顔で飲んでいた。
そのおっさん、急にそこにいた客にむかってしゃべり始めた。

「だいたい女なんて黙って男の言うこと聞いて子供さえ産んでりゃいいんだよ。本当に育てられるのは男なんだ」

あまりのことにあっけにとられたが、その得意げな顔を見て怒りがわいてきた。
「アホちゃうか。こんなやついまだにこの世に存在しとったんか、情けない」私がぼそっとつぶやいたその言葉を、おっさんは聞き逃さなかったらしい。
急に大きな声で私に怒鳴り始めた。
「オレはお前のような生意気で気の強い女がいっちばん嫌いなんだ!アメリカに住んでるって?オレの前でアメリカの話なんかするな!」
(はぁ??連れがそういっただけで私は一言も話していませんけど)


あまりにアホらしくて一緒の空気吸うのも嫌で無視していたらおっさん、しばらくして×悪そうにすごすごと店を出て行った。
ちぇっ、こんな大馬鹿野郎にせっかくの楽しい最後の夜を台無しにされた。
それよりも、いまだに男尊女卑王国の日本を見て、がっくりきた。


世界に誇れる「おもてなし」の心を持つ礼儀正しい日本人が、こういう薄汚い心を併せ持っていたりする。
このおっさんのようなタイプは往々にしてコンプレックスの塊。負けたくないものに対して必要以上に敏感に反応する。
だから、女を、外国をけん制する。
自分に確固たる自信さえあれば何も恐れるに足らずなのに。
この話を聞いたPちゃんいはく、
「それでも口に出して言うだけまだ正直だ。思っていて口に出さない人間はいくらでもいる」
確かにそうかもしれない。
男尊女卑の日本はまだまだ遅れてるよなーとがっかり。



I had such a good time drinking together with my old colleagues last night in Tokyo. Later I went to the bar and there was a dirty old guy sitting next to me. He was with a young Russian "girlfriend." He was drunk and started to preach to other customers.
"You know, women should shut up and just bear a child. Women cannot raise children, only men can do it right." He looked so proud.
I talked to myself, "What kind of asshole still exists in this century, poor idiot!"
He heard it, and shouted to me, "I hate an imprudent and strong woman just like you! You live in the U.S? Ha! shut up and never talk about America in front of me." I ignored this scum and later he left with a Pussian. He looked embarrassed.
Thank you for ruining my last night old man!

ひなまつりランチ

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3月6日

ご主人の仕事の関係でノースカロライナに引っ越しすることになったお友達のSさんのお宅で、ちょっと遅れたひなまつりのポトラックランチ。
もう売れてしまったとはいえ、聞きしに勝る豪邸と博物館並みの素晴らしい調度品にため息。
今まで、シンガポールやベルギーなどいろいろなところに住んでいた彼女らしく、世界各地の素敵な品がそれもとても素晴らしく飾られていた。

今日の主役はこのお雛様。



なんと100年以上前、大正時代に京都で作られたものだという。
だいぶ前にパリの知り合いから譲り受けたそうだ。
お顔は古い時代のお雛様特有の、面長で切れ長の目。ちゃんと木でできていて、お着物も本物の西陣。
実家のお雛様も確かこんなお顔だったなぁ。。。



そしていつもながらおいしいお料理の数々。
特にみんなの目をくぎ付けにしたのが、Mちゃんが持ってきてくれた「ひな祭りバージョン3色寿司」



ピンク、黄色、白の3段の押し寿司に、スモークサーモンがバラの花のようにセッティングされていてきれい!



それでは、ご本人の承諾のもと豪邸内部をちらりとご紹介。



リビングに鎮座するのは中国で作られた古い椅子






箪笥や机もアジアンテイストで統一



ダイニングではみんなが持ち寄った本や雑誌の交換会が行われました。


キッチンからリビング、2階の吹き抜けを見たところ。空間が広くて気持ちいい。




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実家の梅がこんなにきれいに咲いていたので記念にのっけときます。









St. Patrick's Day

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3月17日は、アイルランド人のお祭り「セント・パトリックス・デー」。
アメリカでもアイリッシュルーツの人たちは多く、ここシカゴ界隈でも毎年この日は街がアイリッシュカラーの緑色一色に染まる。
シカゴリバーも緑に染まり、あちこちで大パレードが行われるのだが、我が家は人ごみを避けていつものように家でまったりを決め込んでいる。

前日、16日の日曜日の夕方、そんな私たちのところに近所さんのビルからディナーのお誘いの電話。
テリーがアイリッシュの血を引いているので、毎年この日はトラディショナルな料理を作ってふるまってくれるのだ。





これがトラディショナルな「セント・パトリックデー」メニュー

コーンビーフ
Red ポテト
キャベツ

とても質素だけど、長時間煮込んだお肉がほろほろでおいしい。それにお野菜がいっぱいで油っこくないので私は大好き!



GOROもビルから電話が来た時点で久々にAJに会えるとわかったらしく、うれしくて猛ダッシュ!!



いつも私たちを誘ってくれる、素敵なお友達テリー


セントパトリックデーの翌日は私の誕生日なので、どうしても静かにごまかすことができないのが唯一の悩み・・・
この日も誕生日おめでとう、のメッセージをいただいた。ありがとう!



2013年
2012年
2011年
2010年

(おまけ)
翌朝、GOROが下痢をしていた。
夕べ変なお菓子をもらっておなかをこわしたのかな、と思っていたら、テリーから電話で「AJは朝から吐きまくって大変だった」とのこと。
どうやら、何者かが彼女のバックヤードに腐ったチキンを投げ込んでいたらしく、それを犬たちは遊んでいる時に見つけて食べた疑い。
ビルによると、数日前にもう一軒おとなりの家で飼われている柴犬マックス(←こいつが全くしつけがなっていないアホ犬)がリーシュを離れて近所を走り回っていたのを、快く思わなかった近所の人が警察に通報したらしい。
そいつが、その犬とAJを柴犬同士混同していやがらせしたのではないか?という疑いがもたれているのだけれど、定かではない。


こういう陰湿なことやるやつは決して許さん。見つけたらぶっ殺してやる




Dedeとの再会。

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バークレー時代からの知り合いで、私のアメリカ生活のすべてを知っている大切な友人、Dedeがシカゴを2週間ほど訪れているという。
もともとはシカゴの出身の彼女、知人・友人も多いので滞在中のスケジュールはすぐに埋まってしまうのだけれど、「久しぶりにたまったお話ししましょうよ」と彼女のほうから連絡をもらい、ほいほいとシカゴに出かけて行った。
Dedeのことを大好きなPちゃんには悪いけれど、秘密のレディース・トークをしたかったのでPちゃん抜きの二人だけのデート。

バークレーの人たちのこと、街のこと、シカゴでの私たちの生活、Pちゃんの状態、仕事のこと、ブルースやJazzとのかかわり・・・彼女となら、何から何まで話せる。
これだけアメリカに来てからの私のことを知っているのは、世の中できっと彼女だけかもしれない。
私が今やっていること、やろうとしていることをとめどなく怒涛のようにおしゃべりしていると時間がたつのを忘れてしまう。
「Shokoにとってシカゴは本当に水があってるのね。ますます新しい世界でいろんな冒険をしていてわくわくするわ」と、昔とちっともかわらない済んだ瞳をキラキラさせて私の話を聞いてくれるのだった。



そんなこんなで、3時間くらいがあっという間に過ぎていく。
普段は誰にも言えない心の奥底にしまってある深い悩みを、深く理解してくれる大好きな人に思い切りさらけだせる、今の私にはとても貴重な時間だった。

 
いつまでたっても若々しい彼女。
いつも新しいものに興味を抱き、自分でどこにでも足を運び、感じているからだろう。
そして健康管理もおこたりない。30年以上もずっと自分だけの力で生きてきたプライドを感じる。



そして1週間後の3月21日。

「Pちゃん抜きで悪いことをした」との思いからか、彼女からまたまたうれしいお誘い。
私たちがシカゴに出かけて行ってもいいのだけれど、どうしてもGOROを見せたかったので、彼女をこの田舎にお誘いすることにした。

この日の気温は、これまでの氷点下から一転して春のぽかぽか陽気。
シカゴから電車で約1時間の旅をして生まれて初めて郊外に足を踏み入れたDedeと一緒に、3人でNapervilleをお散歩したり、お気に入りのスペインタパスのレストランで軽い食事をしたり。
私たちがバークレーを離れる1日前、こうやて3人でバークレーの町をただぶらぶらして名残を惜しんだことがあったっけ。
そんなことを思い出しながら一緒に歩く春の日の午後。

町ブラのあとは、我が家に少しだけ立ち寄ってもらってGOROとご対面。
始めは小さくワンと吠えてみたGOROだったが、おもちゃをもらったら一気にDedeのことを好きになってしまったらしい。


Dedeからもらったおもちゃがにご執心


 
Dedeを送って、今度はWest Chicago駅へ。
帰りはここからシカゴへのこれまた約1時間の旅。


まだまだ案内したりなかってけれど、それは次回のお楽しみにおっておくね、Dede!
来てくれてありがとう。

歌仲間の誕生会

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Dedeを見送った後、予定を変更して急きょ、歌仲間パットの誕生パーティーに顔を出すことにした。
彼は今年で75歳。
毎日のようにどこかで歌っている、ノンプロのシンガーだ。

彼と初めて会ったのは4年前。
私がヒマをもてあまして近所のBar『Morgan's』で毎週行われているJazzの飛び入りジャムセッションに参加した時に声をかけられたのが最初の出会いだった。
彼はいつも歌いに来るシンガー仲間の中でも元締めのような存在で、必ず最後を締めてくれる人でもあった。
私が歌いに行くと、必ずというほどパットは私をさぁさぁと仲間に入れてくれて、いろいろを気を遣ってくれた。
都合が悪くて何週間も顔を出さないでいると、「何かあったんじゃないかと心配になって」とわざわざ自宅に電話をくれたり、面白そうなイベントがあると「ぜひ歌ってほしいから君もペドロと一緒においで。」と連絡をくれる。
本当に優しい人なのだ。

そのパットの誕生日パーティが隣町のレストラン&バーであるというので、彼を知る仲間たちが大勢つめかけた。
彼の人柄のなせるわざか、本当にたくさんの人たちが集まって彼を祝福した。

 



この日は4曲を披露してくれたパット


この方も常連、リチャードおじさん。
彼は85歳。なのに信じられないほどの音域でしっとりとバラードを歌ってくれる。
メル・トーメを彷彿とさせる。


そして、この夜一番驚いたのがこの女性。

 

なんと間もなく93歳になるという、この彼女の歌いっぷりがまたすごいのだ、
このお年で声に震えもなく実に力強い。背筋をシャキッと伸ばし、大きく口を開けて歌うさまはまるで60代。


シカゴから遠く離れた郊外に住んでいると、こうやって老人同士が共に夜を楽しんでいる風景によく出くわす。
「○○さん、最近顔を出さないけど元気かしら」などと、お互いのことを気遣い合いつつ、きちんとおしゃれをし、ワインを飲み交わし、バンドに合わせて踊り、歌う。
まさにアメリカの古い映画に出てくるような光景がここにある。私たちなどはこの中に入るとまるでBabyなのだった。

そして、彼らからは学ぶことが多い。
何よりも、観客を楽しませるツボを知り尽くしている。
歌の合間の軽妙なおしゃべり、しゃれたバンドの紹介の仕方、歌い終わった後の所作。すべてが私にとってお手本。
一番素敵なことは、誰も人の演奏をジャッジしないこと。この時間を一緒に楽しむことを一番大切に思っているからだ。
歌詞を忘れてさんざんな出来だった私の歌にも、「そんなことは僕だってしょっちゅうさ。君はよその言葉で歌っている、それだけで素晴らしいよ。」と何かしら褒めてくれる。
だからここに来ると、私も緊張することなく心から楽しむことができるのだ。
彼らから新しい歌を教えてもらうことも多い。今年もいっぱいお世話になりそうだ。



これが93歳のおばあ様の見事な歌いっぷり↓


IPW ~全米旅行業界最大の商談会

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4月5日から9日までの5日間、シカゴでIPW(インターナショナル・パウワウ)という全米旅行産業協会が主催するコンベンションが開かれた。
IPWは、全米各地から旅行業界のあらゆる事業者が集結し、アメリカ国外からのバイヤーとの商談会を行ういわゆる旅行業界の最大規模のビジネスコンベンションで、今回は世界約70か国、約6200名という参加者を集めて盛大に行われた。
日本からも毎年約100名のバイヤー、ジャーナリスト・プレスが参加していて、今回私は推薦によりこのプレスの一員としてこのコンベンションに参加させてもらうことができた。

この5日間はもちろん、シカゴにはりつき状態で取材や顔つなぎご挨拶などをしてまわっていた。
早朝から夕方まではコンベンション会場にはりつき、夜は夜とて毎日のように各州・都市の主催する個別のパーティーに参加、まさに体力勝負の5日間だった。
10日から13日までは、終了後イベントとしてインディアナ〜オハイオを巡る視察ツアーに参加。
昨日やっと9日ぶりに自宅に戻ってきた。
毎日早朝から動きづめだったので、家に戻ると一気に疲れが出てぐったり。

それでもこの1週間は内容の濃い、将来につながるとても実り多い日々だった。
この様子はぼちぼちとUPしていく予定。
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