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Channel: Life in America ~JAPAN編
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Japan Blues festival 2014 道中記 〜プロローグ

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ここ数年、夏の恒例行事となりつつある「Japan Blues Festival」。
一昨年の第10周年のときに、取材を兼ねてシカゴのミュージシャンたちのシカゴからの引率係兼通訳兼なんでも雑用係として帰国したのが最初だった。で、なぜかそれから毎年続いているツアーコンダクターも今年で3年目。
今年のシカゴからの参加アーティストは、私が今シカゴで一番大好きなカルロス・ジョンソン・バンド。
カルロスの出演が決まったとき、彼のステージに熱狂する観客の様子が目の前に克明に浮かんでひとりでにやにやしていた。

5月にカルロスをライブハウスに見に行ったとき、私のこの空想は確信に変わった。その圧倒的な存在感とバンドのグルーブにもう、ただただ圧倒され、気が付いたら涙がぼろぼろでていた。これを日本で再現できるのだ。こんなにうれしいことはない。

カルロス自身も2009年以来久々の日本公演。
もともと日本でも多くの根強いファンを持つ彼のこと、このタイミングで行けることに彼自身もとても喜んでいて、「I cannot wait」を連発していた。
しかも誰かのサブミュージシャンとしてではなく、自らのリーダーバンドを引き連れての公演は彼のキャリアにとっても大きな転機になる。
そういう意味でも、今回のカルロスの“Japan Blues Festival”への出演は、彼とファンの双方にとっても絶妙のタイミングとなった。

さて、今回のバンドメンバーは、
Carlos Johnson (Guitar & Vocal)
Bill“The Buddah”Dickens(Bass)
Pooky Styx (Drum)
Piotr Świętoniowski (Keyboard) ※ポーランドからの参加
ゲストシンガーに、当フェスティバル3年ぶり2度目の出演となる
Demetria Taylor (Vocal)

一応サイトに紹介されてたプロフィールをご紹介。




Carlos Johnson(カルロス・ジョンソン)
(ギター & ヴォーカル)

シカゴ出身のギタリスト、シンガー、バンドリーダー。
過去20年以上にわたって、ココ・テイラー、オーティス・ラッシュ、ジュニア・ウェルズ、サン・シールズ、ヴァレリー・ウェリントン、ケアリー・ベルなどの伝説的ブルース・ミュージシャンらと共に世界中をツアーしてきた実力派で、現在、世界屈指のブルース・ギタリストのひとりに挙げられている。シカゴ・ウェストサイドの伝統的なディープサウンドに、現代風のファンキーなサウンドを取り入れた独自の音作りが特徴。左利きのアップサイドダウン(右利きギターを弦の張替えなしにひっくり返して使う)奏法から奏でられる情熱的で個性的なギターサウンドとパワフルなヴォーカル、そのカリスマ的ステージパフォーマンスは常に見る者を圧倒し、現在“最も熱いブルースマン”と評される。
1989年に初来日、ヴァレリー・ウェリントンのバンドのギタリストを務め注目を集めた。2004年には、脳梗塞で演奏が不可能になったオーティス・ラッシュの来日公演にサポート・ギタリストとして参加し、一気に彼の名を知らしめた。2007、2009年には、ソロ・アーティストとして日本ツアーを行っている。
これまでに、ビリー・ブランチとデュオ名義で発表した「Don't Mess With The Bluesmen」(2004年)やサン・シールズとのレコーディングなどに参加。自身名義でも「My Name Is Carlos Johnson」(2001年)、「In And Out」(2004年)を発表。2007年には地元シカゴのクラブでのライヴを収録した「Live At B.L.U.E.S. on Halsted」をリリース。また近年では、2010年のグラミー賞・ベスト・ブルースアルバム賞にノミネートされた「Chicago Blues: A Living History」(2009年)、続く「Chicago Blues: A Living History, The (R)evolution Continues」(2011年)にも、ギター及びヴォーカルで参加している。



Bill “The Buddha” ビル“ザ・ブッダ”ディケンス)(ベース)

シカゴ北部、エバンストン出身。7弦ベースを弾きこなすただものじゃない男、ビル・ディケンスは、ジャズからポップ、ロックからブルースやR&Bまでありとあらゆるジャンルの作詞、作曲、プロデュース、演奏をこなすミュージシャンだ。40年以上にわたって数々のヒット作を生み出し、トップミュージシャンと共演を続け、“ベースの仏陀”との異名をとる。
直近では、レオ・ノセンテリ&ミーターズExperience、カルロス・ジョンソン&ザ・シリアス・ブルース・バンド、スティービー・ワンダー、ドクター・ジョンと活動を共にしている。
作曲家としても数々のヒット作を生み出しており、数百万枚を売り上げた、『In Case You Forgot』をアレサ・フランクリンに提供したほか、ビルボードNo.1ヒットとなった『Don’t Lose The Magic』(ショーン・クリストファー)、ジャズのNo.1ヒットの『Bernice』(ラムゼイ・ルイス)などを作曲、レコーディングしている。
また、グラミー賞にノミネートされたアルバム、“Chicago Blues:A Living History“(2009)や、シュガー・ブルーの“Threshold”にもベーシストとして参加。“Chicago Blues:A Living History; The (R)evolution Continues”は、2012年のブルース・ミュージック・アウォード、ベスト・トラディショナルアルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞した。8年間のラムゼイ・ルイスとの共演では、4アルバムのレコーディングに参加、(そのうち1アルバムをプロデュース)、7曲を書き下ろした。
近々、ビルのソロ・デビューアルバムとなる“Tha Truth”がリリースされる予定で、これにはマイク・ゴードン(Phish)や他の偉大なアーティストたちも参加している。また、レオ・ノセンテリのソロ・デビューアルバムでも数曲ベースを弾いている。レオ・ノセンテリのプロジェクトでは、ジョージ・デュークと共に(彼が亡くなる6か月前)加わったが、これには、カート・ウォーラム、ピーター・ガブリエル、ドクター・ジョンなどもゲスト参加している。これらの作品により、長い間隠れた存在だった実力派ベーシスト、ビル“仏陀”ディケンスにスポットライトが当たることになるだろう。



Pooky Styx(プーキー・スティクス)
(ドラム)

プロとして35年間、常に一線で活躍し続ける才能あふれたベテランドラマー。教会のバンドでドラマーとしてのキャリアをスタート、これまでに様々なバンドと共に国内外をツアー、レコーディングを行っている。おもなバンド歴は、チコ・バンクスのバンドに12年、ココ・テイラーのバンドで2年、現在はカルロス・ジョンソン・バンドのドラマーとして活動を続けている。また、ハーモニカプレーヤー、シュガー・ブルーのバンドでもドラマーを務めている。多才にして、シカゴでもっとも多忙なドラマーである。



Piotr Świętoniowski (ピオトール・スィトニオスキー)
(キーボード)

1979年10月生 ピアニスト、作曲家、アレンジャー
音楽教育、教育学学位をポーランド・ポズナンのアダム・ミツキェヴィチ大学で取得。カルロス・ジョンソン・バンドのポーランドツアーメンバー。ポーランドで最も人気のあるブルースバンドのひとつ、“フードゥー・バンド”のメンバー。
プロデューサー、音楽監督、アレンジャーとして参加しているプロジェクト: “トリビュート・トゥ・マイケルジャクソン”、映画“ディサアピアランス”の映画音楽作曲。
ヴロツワフ・ポーランド劇場、 ヴロツワフ“キャピトル”音楽劇場所属、 ビッグバンド“フェルベックバンド”メンバー、ジャズグループ、“ウィ・ラブ・マイルス”メンバー
録音アルバムは以下のとおり。
オプティミスティック?オプティミスティック“ ルナミュージック(2010)
キャロルXVII&MBバレンス“マイナーコード2”ロコレコード(2010)
アリーシャ ヤノス?ビンテージ“ ライオンステージレコード (2011)
エレクトロネーズ “ピカス” (2011)
タックスフリー “ラジエスターン”(2012)
バルテック・ミアルカ “ バルテック・ミアルカ(2013)
フードゥーバンド “アンプラグド” ダーマフォン (2013)



Demetria Taylor(デミトリア・テイラー)

(ヴォーカル)1973年、伝説のブルースマン、エディー・テイラーの8人の子供の7番目としてシカゴで生まれる。母親のヴェラ・テイラーもボーカリストというブルース一家で、自宅にはフロイド・ジョーンズ、ケアリー・ベル、サニーランド・スリム、ジョニー・リトルジョン、サム・レイ、ウィリー・ケント、テイル・ドラッガー、エディ・ショウ、ジョニー・B・ムーア、マジック・スリムらが出入りしていた。そのような環境のなかで、エタ・ジェームス、ベッシー・スミス、ビッグ・ママ・ソートンなどを聴いて育ち、中でも“ブルースの女王”ココ・テイラーから最も大きな影響を受けた。
亡き父やブルース界の先達のレガシーを受け継いだデミトリアは、海外各地でのツアーはもとより「シカゴ・ブルース・フェスティバル」やシカゴの名だたるブルースクラブで積極的に活動を行っている。現在はデルマークレコードの専属アーティストで、2011年にデビューアルバム『Bad Girl』をリリース。これは、2012年のブルース・ミュージック・アウォードの「ベスト・ニューアーティスト・デビュー」にノミネートされた。
「母は家の中でよく歌っていたわ。ハミングバードみたいに、皆が聞き惚れるようなすごくソウルフルな、透き通るような声だった。彼女は私たちにいつもこう言っていたわ。“あなたたちの内にあるもの、それをただ外に出すだけでいいのよ”って。私はブルースを歌うために生まれてきたんだって」(デミトリア)

Japan Blues festival 2014 道中記? シカゴから青森へ。

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今回、シカゴからの出演メンバーの日本入りは、本人たちのスケジュールの都合上ばらばらだった。

カルロスは、同じく去年のゲストだったマシュー・スコラーたちとともに「Chicago Blues :A Living History Band」の一員として7月19日からスペイン、ベルギーを回るツアー中。
7月20日のベルギーでのライブ終了後、ひとりだけバンドを抜けて22日に日本入り。(スペインのカルロスファンの人たち、ごめんよ〜)
今回が初来日となるキーボードのピーターは、遠路はるばるポーランドから一人旅。
ゲストシンガーのデミトリアは、すでに20日に日本に入り、Shun(菊田俊介)さんとともに全国3か所の都市をツアー中だった。
結局、今回シカゴから一緒に行ったのはベースのビルとドラムのプーキーのふたりだけ。11人という大所帯で行った2年前と比べると楽チンそのものだ。

2年前の記事はこちら

しかしその分、日本に入ってから他のみんなと無事に待ち合わせ場所で会えるかどうかという緊張感がいつもとは違って重くのしかかっていた。
でもまぁ、ネットでフライト情報を見る限りは何のトラブルもなく日本に到着しているようだし、そこから先はよほどのことが起こらない限り何とかなる・・・はず。



★7月23日(水曜日)

オヘアで二人と合流、いざ日本へ出発。フライトは快適&順調。


★7月24日(木曜日)

定刻に成田に到着、そこで第一関門のピーターとの待ち合わせ。
彼はすでにこの日の早朝に成田に到着していたので、ここで約半日間ゆっくりと過ごしてもらいながら私たちの到着を待ってもらうことにして待ち合わせ場所を細かく伝えていた。私たち3人とピーターはこれが初対面。
ドキドキして出口を出ると、そこにはちょっと緊張した面持ちのピーターが私たちを待ち受けてくれていた。(ほっ)

すぐにシャトルバスで羽田へ。ここで、カルロスとデミトリアと合流の予定だ。
うれしいことに、その日北九州からデミトリアと共に東京に帰ってきたShunさんが、彼らのアテンドと青森行のチェックインまで済ませてくれるという。よかった!これで時間がかなり短縮できる。
果たして羽田で無事にふたりと合流することができた。
これで一安心。




これから一路青森へ。
左から、Shun、Pooky、Demetria、Carlos、Piotr、Bill


しかーし。好事魔多し。
何とスムーズな旅なことよ、と喜んだのも束の間、やはり恐れていた“いつもの”事件が勃発。
カルロスのチェックインをしてくれたShunさんによると、カルロスはやはりギターの機内預入を完全拒否。どんなに説得してもギターを抱きかかえて離さず、「こいつと一緒じゃなければ青森へは行かない」とすごい剣幕だったそうだ。
結局、主催者側に相談してギター用に席を購入(2年前と同じパターン)、なんとかその場をしのいだのだが彼の怒りは収まらない。
「俺は30年以上このビジネスをやってきて世界中行っているが、機内で彼女(ギター)をこの手から放したことは一度もないんだ。それにどんな機体に乗るのか事前にちゃんと調べはついている。737なら荷物置き場に十分収まるはずなんだ」

理屈はわかっているものの、日本の航空会社はどこもギターの機内持ち込みができない掟。
その板挟みになるのはきまって、チェックインを手伝う人(つまり私やShunさん)ということになる。
「楽器の運搬に関してはミュージシャンがすべての責任を負い、追加で発生した費用も本人が支払うという契約になっているから何の問題もないでしょう」と事前に聞いていたけれど、そうは簡単にいくまいと嫌な予感がしていたがそれが的中してしまった。

一方、カルロスの一件を知らなかったベースのビルには、去年のフェルトンのようにJALの用意した専用のギターケースに入れて荷物として問題なく預入れしてもらった。
本人は渋ったが事前にこのことは伝えてあったので本人もいやいやながら納得。

そしていざ機内に乗り込んだとき、事態は思わぬ方向に。
機体後部の荷物棚がガラガラだったのをその目で確認したカルロスの怒りが沸騰。(これも2年前と同じパターン・・)
なんでも、JALの地上係員が「本日は満席ですので荷物棚にスペースがございません」というような説明をしたらしく、そのウソに対して爆発したらしい。

「スペースがこんなに空いているじゃないか! 彼らは大ウソつきだ。それにビルのベースはどうした?荷物預入したって?もしベースに何かあっても責任をとらない(免責書類にサインさせられたこと)とはどういうことだ。今すぐ倉庫から出してここにもってこい!!」
事情を知ったビルも「なんでカルロスだけ(席を買って)機内持ち込みというオプションが許されて自分のベースはチェックインさせられたんだ?もし何かあったらこの選択をした君の責任だ」と私に迫ってきた。
たとえ保険をかけたとはいえ、100万円を超える思い入れのあるベースを荷物預入した前代未聞の事態に激しく動揺しているようだった。

カルロスのあまりの剣幕に、すでに席について離陸を待つ体制に入っていた機内は静まり返った。
彼は怒りのあまり目が充血し手が震えている。
「俺は今ものすごく怒っている。どうしていいかわからないほどだ」
怒りはごもっともだ。私だって心の中は煮えくり返っていた。
その場しのぎのウソをついて席を購入させたJALの係員の、プロフェッショナルとは程遠いその対応。乗せてしまえばなんとかなるだろう的な読みの甘さ。
他のお客さんの手前上、おとなしく言うことを聞き入れてくれる(だろう)横並び的な日本人には通用しても、外国人にはそう簡単には通用しないのだ。
特に彼らは「音」に命をかけている。楽器は体の一部であり、何か起こったらそこでThe Endなのだ。いや、「たら」はありえない。そのためにはどんな交渉だってするのが彼らだ。
変な話だが、JALの対応の甘さとカルロスたちの強気姿勢に、日本の腰抜け外交の縮図を見た気がした。

しかし今は、とにかくこの状態を納めなければ離陸できない。
震えるカルロスの背中をさすりながら、私も必死でなだめる。
「あなたの言うことはごもっともです。彼らが“荷物棚にはスペースがない”というウソをついたのは許しがたい行為です。ビルのベースの件も、事前にご説明していたとはいえ本意ではない選択をさせてしまったことに心からお詫びします。この件は、もし万が一何かが起こった場合の責任も含めてくれぐれも主催者に伝えておきます。ただアメリカとは違い彼らは楽器を貴重品としてとても丁寧に扱ってくれますし、他の荷物と一緒にされることもターンテーブル出てて来ることも決してありませんから、ここはなんとか青森に向かいましょう」

びびりまくって始終を眺めるだけだったフライトアテンダントからも、「青森に着いたら責任者から説明をし謝罪をさせていただきます」という約束を取り付け、なんとか離陸することになった。
ただ、バンドリーダーとして、ビルのベースを守れなかった。このことがカルロスを混乱させ悲しませたことは事実。
その気持ちを汲んであげられなかった自分の無力さに、青森に向かう1時間は私も針のむしろに寝ているようなつらさだった。

青森に着き、ベースのはいったケースがちゃんと人の手で丁寧に運ばれてきた。
早速中を確認し、ベースの無事を確認してようやく二人とも安堵の表情。
JALの責任者も私たちに謝罪に訪れた。
「帰りにも同じことが起こりますから対応をお願いします」と抗議すると、「お帰りの際にはお二人分の楽器のスペースは無料で確保させていただきます」と約束。
これを聞いてカルロスたちの怒りもやっと静まった。
(それが簡単にできるならどうしてそれが行きのフライトでできなかったんだよ!?と今度は私の怒りが爆発)

「もしここでベースになにかあったら、と思うと飛行中は生きた心地がしなかった」そう言って、カルロスは涙目になっていた。
彼はなんて素敵なボスなんだろう。そのとき私は心からそう思った。
機内での暴れぶりは日本人からみると大げさで横暴に見えるかもしれない。しかし、これほどまでにプロとしての仕事を全うすることに、そしてそれを一緒に遂行しようとついてきてくれるメンバーのために自ら命を懸けて戦う姿に、私は心を打ち抜かれた。
この先、どんなことがあってもこの人をひとりで戦わせてはいけない。絶対に守らなければ、そう決意した。




 
ホテル裏の焼肉屋でやっと夕食。明日から本番だ。




・・・・つづく

Japan Blues festival 2014 道中記? 〜Day1?山のステージ”

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7月25日(木曜日)

フェスティバルの宣伝のため、地元テレビ局の朝のローカル情報番組にカルロスとデミトリアが生出演。9時に局入りしてリハーサルを終えたあと、10時から本番開始。
カルロスの演奏で“Sweet Home Chicago”をデミトリアが軽く歌って出番は約1分半ほどで即終了。


 

ホテルの部屋に戻り、のんびりしようかと思っていたら、Pookyが「どっかマッサージに連れて行って」とやってきた。
そういや昨日、彼に「いいマッサージ屋知ってるよ」と話したばかりだった。そこでデミトリアとPookyのふたりを連れてホテル近くのマッサージ屋さんへ。
ここは2年前にココ・テイラーバンドのVinoとBrianを連れてきた場所。とにかくものすごい効き目だったので、Pookyのような屈強な人にはもってこいなのだ。
オーナーの大将は私のことを覚えてくれていて、キャンペーン価格をよりサービスしてくれた。約30分たっぷりコリをほぐしてふたりとも満足の様子





店で見つけた奥深いひとこと


午後1時、今日の会場である浪岡へ。ほっとするような田舎の風景が広がる。
そしてサウンドチェック。
今回ポーランドから参加した最年少のピーター(キーボード)は、カルロスがポーランドでギグをするときのハウスバンドのピアニスト。地元の人気ブルースバンド“Hoodoo Band”のピアニストであり、アレンジャー、作曲家としても活躍している。大学で音楽教育学位を取得したインテリ派ミュージシャンだ。
今回のシカゴのメンバーと合わせるのは今回が初めてだという。それでいきなりフェスティバル本番を迎えようというのだから、いかにカルロスが彼を信頼しているかがわかる。



そのピーターは、本場シカゴのミュージシャンたちと共演できるとあって昨日から夢心地。数か月前にカルロスからオファーがあった時、冗談だと思ってしばらく信じなかったらしい。
シカゴにも来たことがない東ヨーロッパのあるピアニストが、憧れのシカゴバンドとがっぷり組んで日本のフェスティバルに初出演するのだから、興奮するのも当たり前だ。
とても謙虚で穏やかな人で、なるべく周りに迷惑をかけないようにと気遣いをしているのが感じられた。
カルロスはそんな彼をおもんぱかって一生懸命フォローしていた。
ピアノのボリュームペダルがないと知ると、「そんなものがなくて演奏ができるか、ちくしょーめ!」と怒り出し、それをピーターがなだめる一幕もあった。
結局、ペダルとドライバーは本番前に機材スタッフが会場に届けてくれ、ピーターは何度も丁寧にお礼を言っていた。
最高の音を出すため、そして愛するメンバーのため、必死で戦う熱いカルロスの姿が今日もそこにあった。
毎年、ミュージシャンの無理な注文に一生懸命応えてくださるスタッフの方にも頭が下がる。大感謝。


西陽をもろに受けてのサウンドチェックに、みんな汗ダラダラ


Billは道の駅で食べた「りんごソフトクリーム」のおいしさに大感激。


午後7時。いよいよカルロスバンドの登場だ。
もう、言葉はいらない。



 Pooky Styx

 Bill "The Buddah" Dickens
5分以上にも及ぶベースソロに会場は息をのむ。もはやベースじゃない、7弦の魔術。

 Piotr Świętoniowski
“シカゴの音”のなかにどっぷりと漬かって気持ちよさそうに楽しんでいたピーター。
他のメンバーも、彼のピアノセンスに何度もうなずき、微笑んでいた。
言葉や国が違っても、こうやって音を出すだけでひとつになれる。音楽はまさにコミュニケーションだ。

 Carlos Johnson
ルリー・ベルもそうだが、体から直接弦一本一本に伝わるこの情熱の塊のような感じ。
私はこういうタイプにめっぽう弱い。もうメロメロ。


このふたりが組んで、最高のグルーブにならぬわけがない。


 
子供たちもカルロスのすごさを体いっぱいで感じている



1時間ほどカルロスがたっぷりとステージを聞かせたあと、ゲストシンガーのデミトリア・テイラー登場。



3年前にもJW.ウィリアムスのバンドで一度同じステージを踏んでいる彼女だが、
その時よりも格段に貫禄が増して、自分の世界が広がった感じがする。
「年を重ねて人生経験と共にどんどん良くなっている気がするの」と彼女自身も語っていた。




お客さんもノリノリで“Wang Dang Doodle”の一節を熱唱。青森のお客さんはノリがいい


今回、誰よりも早く日本入りしてすでに日光、原宿、北九州と3か所をツアーしてきた彼女、時差ボケも抜けきらず幾分疲れていたが、本番前にスタッフの用意してくれた涼しい和室でゆっくりと横になっていたらしく、完全復活。
「おかげでゆっくりできたわ、ありがとう。あなたたち(フェスティバルのスタッフ全員)は本当に最高ね。私、すっかり甘やかされちゃったわ。シカゴに帰ったらみんなに自慢しなきゃ」とデミトリア。
今までともすると女性シンガーはバンドとは“別扱い”的な、特別な気を遣わなければならなかったが、彼女はいつもバンドと一緒(Pookyべったり)だったのでとても楽だった。

彼女をはじめ、カルロスという強くて優しいボスのもとにがっちりとまとまったこのメンバーの結束はとても強い。
きちんとお礼を言う。時間に遅れない。勝手な個人行動をしない。決して頭ごなしにモノを言わない。そして、みな陽気でユーモアセンスがあふれていて楽しい。
カルロス自身が普段大切にしている行動規範が、メンバーひとりひとりに浸透しているのを感じた。


 
今回は会場に「Choose Chicago」(シカゴ観光局)のブースも設けられ、東京オフィスの責任者である薄井さんが仕事と休暇を兼ねてご家族で来てくださった。
彼女とは、昨年のミシシッピ川流域の旅でご一緒させていただいて以来、何かと親しくさせていただいている。
この「Japan Blues Festival」も近い将来、シカゴ観光局とタイアップできるかもしれない。




ライブ終了後、ある女性ファンが興奮してデミトリアに駆け寄ってきて「あなたは最高です!」と何度も何度も握手を求めていた。
普段は何もない静かな田舎町にシカゴの歌姫がやってきてその歌声に心を撃ち抜かれ、「ありがとう」と手を握るしかないおばちゃんの、その天にも昇る気持ち、わかるなー。
都会のフェスでは見られないこういうシーンに出合えるのが、このJBFの醍醐味なのだ。


予定の時間を上回り(これも毎年のことだけれど)、ライブは大盛り上がりで終了。
このあと浪岡市内の居酒屋さんでやっと夜ご飯。

しかし、ここで今回の語り草ともなるとんでもない「大事件」が起こるのだった。



・・・つづく

Japan Blues festival 2014 道中記? 〜puking事件

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初日のライブを盛況のうちに終了したミュージシャンたちは、去年と同じ浪岡市内の居酒屋にてやっと今夜の夕食。
お店に着いたのは午後10時を大幅にまわっていて、みんなおなかペコペコ状態だった。



海産物が苦手で一切食べられない他のバンドメンバーとはちがい、
カルロスは大の寿司、お刺身、日本酒好き。お箸使いも慣れたもの。


すでにちょいといい気分になっていた浪岡の商工会の会長さんが乾杯の音頭をとり、やっとみんながリラックスしはじめたそのときだった。
副会長が一升瓶を持ってふらふらとミュージシャンのコップに日本酒をついで歩き、こともあろうに「一気飲み」を強要し始めた。目の焦点は既に合っていなかった。
日本の飲み会や接待では当たり前の風景かもしれないが、アメリカでは人にお酒を強要する、という文化がない。飲めない人、事情で飲まない人、飲みたくない気分の人もいるからすべては自分で判断するのだ。

彼らは副会長のしつこい勧めもあってお付き合いでおちょこで“一気”をしてくれ、とりあえず副会長の顔を立ててくれた。
彼はその後私にもコップ酒の一気をしつこく強要するので、「こういういいお酒はゆっくり飲みたいので、やめてもらえませんか?」とやんわり断ったが、全く聞く耳持たず。
私とて体育会出身、こういうしきたりはわからぬでもないがあまりにも度を越しすぎている。

これに気をよくしたこの副会長、今度はどこからかヒノキの大盃をもってきてそこになみなみと焼酎を注ぎ始めた。一本分を丸々注いだ大盃を、千鳥足で歩きながらそこらじゅうの人たちに回し飲みさせ始めた。
かなりやばい雰囲気にまわりはどん引き。
(なんで誰も止めないんだよ!会長はなにやってんだ!)

案の定、誰も飲んでくれないことに業を煮やしたこの副会長、頼んでもいないのに今度は自分で杯を一気に飲み始めた。
ああ、もうだめだ。この人完全に自爆体制に突入している。

年に一度、オラが町の夏祭りに国内外から有名ミュージシャンがやってくるのがよっぽど待ち遠しくて、うれしくて、この人たちはきっと会場で昼間っからガンガン飲み続けていたに違いない。
挙句の果てに焼酎一本を一気したものだから、彼の胃はもちろん逆噴射寸前だった。

そして、その悪い予感は一気に現実となった。

しばらく席にすわって静かにぐるぐるしていた副会長、いきなりの大リバース大会。
それも、よりによってシカゴのミュージシャンの席の真ん前で、大盃に・・・。
デミトリアはあまりのエグさに席を立ち、「もうおしまい、帰る」と部屋を出て行った。もちろん、BillもPookyも、目の前のまだ箸もつけていない食べ物に手を伸ばす気も失い、部屋を出て行った。
副会長側の列に座っていた私は、同じくピーターと別方向を向いてしゃべっていたのでこの事態にしばらく気づかなかったが、気づいたときはそのあたりはもう大変なことになっていた。

もちろん、宴半ば(というか始まったばかり)で強制終了。
まだ手つかずのお寿司の山を恨めしそうに眺めながら、カルロスは「なんてもったいたいことをするんだ」と嘆いていた。
カルロスと数名はそのあと、青森市内に帰ってから飲み直しに出かけたそうだが、私もあとの人たちもすっかり気持ちが萎えてそのまま就寝・・・。
おなか減ったよー。


しかし、これは笑いごとではすまれない。今まで経験した中で最悪の夜だった。
最大の疑問は、どうして誰一人として彼を止めなかったのか?だ。
上司だから?偉い人だから?年長者だから?いやいやそういう問題ではないでしょーよ。
明らかに度を過ぎた行動をしていて、それが全体のムードをぶち壊し、ゲストを不快にさせているということは誰の目からも明らかなはず。
私が止めても聞かなかったのだから、内部の人から助言するか別の部屋に連れて行くかするべきだったと思う。


唯一の救い(?)は、この事件のあまりのインパクトのおかげで、シカゴ組の中ではその後挨拶代わりに“嘔吐ごっこ”が大流行。ことあるごとに「あれはすごかった。今までので一番えげつない経験だった」と語り草になっていった。


仲良しのBill、デミトリア、Pooky
この直後に悪夢は起こった・・・


いいんだか悪いんだか。
大都会にはないのんびりとしたホスピタリティーが売りのこのフェスティバルだが、こういう一部の“田舎もん丸出し”の人たち(特に、我が物顔の上層部)のマナーの悪さはいただけない。
現場で汗流して必死に頑張っているスタッフの評判にまで傷がついてかわいそうだ。
上層部こそ、きちんとした大人のふるまいをして運営を手助けするべきだろう。
そんなことを考えながら、ここ二日間で感じたカルロスの、“理想のボス”ぶりとの違いをつくづく痛感した。


明日は二日目にしてフェス最終日。いい日になりますように。


・・・つづく


Japan Blues festival 2014 道中記? 〜最終日・海のステージ

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今年のJBFは一日短縮の二日間となったため、あっという間に最終日。
シカゴを発って3日でもうThe Endなのかと思うと、ちょっと物足りない感じだ。
ミュージシャンたちもサウンドチェックや移動でほとんど自由時間がなく、なんだかせっかく青森にまで足を運んだのに町を楽しむ時間もなくちょっと気の毒。

今日は唯一、11時半からのサウンドチェックまで時間があったので、どうしても一人ぽっちになりがちなピーターに町案内をしてあげようかと部屋に電話を入れてみた。
ポーランドから一人で参加した彼はとても控えめな人で、あまり人を煩わせたり迷惑をかけることのないようにしていたので、それがかえって気になっていたのだ。
せっかくの初来日、青森滞在を名いっぱい楽しんでもらいたかった。
ピーターは私の誘いに喜んで「行きたい」というので、1時間ほどふたりで新町商店街や駅前の100均や新鮮市場をぶらぶら。


AM11:30
今晩のステージでサウンドチェック。
昨晩と同じセッティングなので特に問題もなく終了。ミュージシャンたちも今日はずいぶんリラックスしている様子。


日本を満喫してうれしそうなピーター


今日から参戦のShun(菊田俊介氏)も会場入り。JBFは5回連続5年目の出演。


PM1:00
市内のアメリカンレストランで昼食。
肉肉肉のオンパレードに、シカゴ組からほっとした笑顔が漏れる。やっぱり彼らは100%肉食なのだった。
彼らときたら、食前酒に始まりビールやらウォッカやら昼間から飲むわ飲むわ。おまけにデザートのあとは食後酒・・ともう飲み続け。
1時間くらいで食事を終えて出番まで最後の自由時間を満喫するのかなと思いきや、結局ランチで盛り上がりすぎてたっぷり3時間もかけてしまった。




お酒が入ってテンションがあがったところで、話題と言えば昨夜の「リバース事件」。この頃には話に尾ひれはひれがついて、あの副会長はすでに伝説の人物になっていた。
内容はあまりにえぐいのでここでは言えない・・・



で、撮った写真がこれ・・



PM5:00
「海のステージ」会場入り。すでに大勢の人たちで大賑わい。



昔の盟友、加藤エレナ&江口弘史Duoをかぶりつきで見て大興奮のカルロスとプーキー


プーキーがたまらずふたりのステージに飛び入り。


左からプーキー、エレナさん、カルロス、江口さん


知り合いの息子さん、トモ君とカルロス。
トモ君はちゃんと英語で会話ができるので、二人ともたちまち意気投合。
CD販売をトモ君が手伝ってくれて、カルロスはもう彼にメロメロ。トモ君が昨晩つかまえて「カルロス」と命名したクワガタと一緒に


出番前に他のバンドや会場の様子をうれしそうにビデオ撮りしていたBill
最初はちょっと近寄りがたかったけれど、この頃にはすっかりひょうきんな素顔を見せてくれた

 
みんなと一緒で超うれしそうなピーター


大好きなドラマー、プーキー。この人は本当に忍耐強くて心優しい。
一緒に行動をしていて今回つくづく彼の魅力がわかった。

 
地元青森のブルースバンド、“BB Heads”with Shun


続いて開会セレモニー。
カルロスから青森市長へ、シカゴのエマニュエル市長からの親書が手渡される。




PM7:00
いよいよカルロスのステージが始まる。
今日のカルロスは、まさに神がかり的だった。
自分の選んだ大切なバンドメンバーと一緒に、大好きな日本で、ファンの前で、5年ぶりにライブができる・・積年の想いがかなったことが、一層彼を熱くさせていたのかもしれない。
サウスポーから繰り広げられる渾身のギタープレイ。ピックも使わず、直接指から、全身からギターに伝わる熱い鼓動。
熱狂的なカルロスファンはこれをずっと待っていたにちがいない。
ステージのすぐ前でみていた私のうしろでひとりの男性ファンがつぶやいた。
「カルロス、かっこえ〜」

私もこれほど熱いカルロスは久しぶり、いや初めて見たかもしれない。
1時間たっぷりと弾きまくり、歌いまくり、からみまくり。
ドラムのプーキー、ベースのビル、ピアノのピーターがその想いに全身で応える。これほどのグルーブを出せるバンドはシカゴにもそうそう存在しない。



 
1曲目から、ステージ前にはかぶりつきのファンが。いかに多くの日本のファンが彼を待ちこがれていたかを物語る。
これを見た途端、胸がじ〜ん。



ピーターのソロを愛おしそうに見つめるカルロス


Bill Dickensの怒涛のソロに会場騒然。
さすが、スティービー・ワンダーが見初めたベーシストだ。
実は彼は私のご近所(シカゴ西部郊外)に住んでいることが判明し、一気に身近に感じられた。

 
プーキーもノリノリ



そして、後半はデミトリアをシンガーに迎えてのステージ。
女性ヴォーカルの登場で観客のヴォルテージは一気に上がり、皆がステージ前で踊る、踊る。
それを見て彼女もガンガンと観客をあおるように「うなり」を炸裂。3年前とは全く違う。
彼女自身も「ここ数年で自分のなかでも何かが大きく変わってよくなったと思うの」と言っていたとおり、ひと回り成長した姿がそこにあった。(体はひとまわりすっきりと痩せたが)
3年ぶりに日本の地を踏み、渾身のステージを見せた彼女はこれを機にまた大きく変わっていくに違いない。





Shunも加わって、懐かしいシカゴメンバーで往年の名曲が次々と奏でられていく。みんなのうれしそうな顔!こうして一晩中でもやっていられるんだろうな・・・。
音楽は彼らのすべてなのだ。嫉妬するほど美しい光景だった。

2時間という予定時間を軽〜く超えて、すでに3時間を回った午後10時。さすがに主催者側も焦ってきた頃、ようやく最後の曲。そしてアンコール。
3時間15分にもわたる史上最長のステージは終わりを告げた。



ライブ後のCDサイン会で、ファンから偉大なブルースマンである父、エディ・テイラーのLPを手渡されて大感激のデミトリア。日本のファンはあたたかい。
また、一生懸命彼女のリクエストに応える青森のスタッフにも心を動かされたのか、あるとき彼女は私にこう言うのだった。
「あなたたちのおかげで私、すっかり甘やかされちゃったわ。本当にありがとう。シカゴに帰ったらみんなに自慢しなきゃ」
とかく女性シンガーは女王様タイプが多く、人一倍気を遣わなければならないものだけれど、彼女はとても気さくで気取ったところがひとつもないから楽だった。
今日のステージが終わった直後、彼女が私のところにやってきて怖い顔でこう言ったのにはちょっとビビったけど。(笑)
「Shoko、『Seewt Home Chicago』の時どこにいたのよ!あなたをステージに上げて一緒に歌おうと思って上からずっと探してたのに!ほんとうにもう!」



カルロスはCDにサインするたび、ビリー・ブランチの顔にイタズラ書きして大喜び



長いステージが終わり、青森最後の晩はおなじみの「Chi-Town Dinner」へ。
出演者、スタッフ全員がやっとここで一息つきながら、いつものようにJamが始まる。




カルロス、ピーター、ビル。この嬉しそうな顔。


プーキーは最後まで吐き真似


午前1時、そろそろお開きですよ、とバンドの人たちを促すも彼らはビクとも動こうとしない。ソファーにでんと座って、飲み続けしゃべり続ける。
「明日の朝も早いのに」と、明日のことを心配するのは日本人だけなのかもしれない。

さっきまでソファーでうたたねしていたBillが急に元気になって、ピアノを弾き始めた。
彼はベーシストであると同時に、一流のコンポーザーでありアレンジャーでもある。
今までもアレサ・フランクリンなどにヒット曲を提供してきた実績もある。どちらかというとBluesよりもSoul、R&B、Jazzといったジャンルを得意とする人で、それは彼が弾くピアノのコードでもすぐわかった。
彼が弾き始めたのは「Misty」。ピーターが連弾のようにしてそこにからむ。
ピーターも、Jazzの教育をばっちり受けた人だけあって、ふたりのピアノはその場を一気にJazz Barに変えてしまった。
やはりJazz教育が根底にある人は音が安定していて懐が深い。

ふたりが私の顔を見て、歌えとうながしてきた。私がJazzを歌っているなど誰も知る由もなかったのに・・。
普段これを歌っている私のKeyとは全く違っていたけれど、ええいもうそんなことはどうでもよいのだ。このシチュエーションにのっかろう。大好きな人たちと共に、旅の終わりに素敵な思い出を作るのだ。
ふたりのピアノにのって久々に「Misty」を歌い始めた。最初の8バースを歌ったところで、Pookyとカルロスが乱入。

カルロスのまた違う一面を見せた、Jazzyで色っぽいギターソロ、Billの流れるようなピアノソロを体いっぱいに感じながら、私はこの至極の幸せを全身に噛みしめていた。
この夏、あなたたちと過ごした時間を私は一生忘れません。

  
この頃にはみんながすでに帰ってほぼ空っぽの店に鳴り響くJazzの音色。
誰もいなくてよかったー(笑)



やっと店を出てホテルへ戻る・・・も、やはりカルロスは飲み足りないらしい。
夕べもこの人はほぼ朝帰りだったらしいし、どこまでタフなんだか・・。
私もなんだかんだと動いてばかりでほとんど食べも飲みもしていなかったので、カルロスとピーターと3人で飲みに行くことにした。
カルロスは、カウンターでポツンと一人で飲んでいた男性のお客さんにも「一緒に飲もうよ」と声をかけて、
今夜のステージを見ていたというその男性とすっかり仲良しになっていた。
こういう気遣いができる人なのだ。


とにかく3人でしゃべって、笑って、何が何だかわからないほど楽しい夜だった。


帰り際、お店のディスプレイのギターにサインをするカルロス。
■お店情報:青森ワシントンホテル横のBar「Crazy Horse」


明日は皆で青森を後にする。・・・(つづく)

Japan Blues festival 2014 道中記? 〜See you guys

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7月27日(日曜日)

外が白み始めた午前5時、夕べのお店「Crazy Horse」の閉店と同時に私たちもやっと店を出てホテルへ戻りしばしの仮眠。
今日は再び、長い長い移動日だ。

予定では午前8時すぎに全員がロビーに集合して、もろもろのお金の精算をすませ空港に向かうはずだったのだが、ここでまあかの大失態。セットしたはずのアラームがなぜか作動せず、電話でスタッフに起こされたときにはすでに8時を大幅に回っていた。
荷物もまとめていなかったので涙ちょちょ切れ大パニック。

とにかくスーツケースにそこらじゅうの物をしっちゃかめっちゃかにぶちこんで、平謝りに謝りながらロビーへ。もちろんすでにみなさんはお金の精算を終えて待機していた。
ああ、ほんまに。去年も最後に大事件が起こったし、ひたすら自己嫌悪。
・・・と、よく見るとボス(カルロス)がいない。あれれ?
なんと、カルロスも寝過ごした模様。ほどなくロビーに現れた彼は超不機嫌顔。
「アラームが鳴らなかったじゃないか!今までオレは時間前には誰よりも早く絶対に来ていたんだ。ああ、それなのにこんなことになるなんて、ちくしょー!」

おっしゃるとおり、カルロスは今まで絶対に集合時間にはゐの一番に来ていたし、そうすることが使命だと豪語していたのだ。それをまさかの寝過ごし・・よほど悔しかった様子。ボスの精算が終わらないとみんなのギャラの配分もできないので、そこで時間を少しロスしてしまった。
あー、ごめんなさい。私がちゃんと起きていれば部屋に電話して起こしてあげられたのに。

急いで空港に向かい、今度は無事にギターとベースのチェックイン(機内持ち込み無料サービス)をすませ、全員で羽田へと向かう。
あっという間の青森での3日間だった。



羽田からは、シカゴ直行帰還組(プーキー、ビル、デミトリア)、翌日ソウル経由シカゴ行(カルロス)、ポーランド行(ピーター)の3方向に分かれることになる。入りもバラバラだったが、帰りもバラバラだ。
私はしばらく東京に滞在予定なので、翌日までカルロスと行動を共にすることにし、シカゴ直行組の3人を成田行きのバス停で、同じく羽田の国際線からフランクフルトに向かうピーターをターミナルバスのバス停で見送った。
ピーターとは3日前に初めて会ったばかりなのに、なんだかもう長い友人同士のような不思議な友情が芽生えていた。
彼もこの夢のような3日間が忘れがたかったのか、名残惜しそうに皆に別れを告げ、私にも何度も何度もお礼を言ってくれた。
最後まで気持ちのいいほど礼儀正しい人だった。私の中でも、すべてにおいて彼は現在一番好きなピアニストになっていた。
決してテクニックをひけらかさず、音数は多すぎず少なすぎず、かつ的確なコードを的確なタイミングでおさえられる稀少なピアニスト。こういうタイプはシカゴにもいない。

みんなを見送ったあと、カルロスともども今晩宿泊する羽田のホテルへチェックイン。彼は明朝6時過ぎの便で乗り継ぎのためソウルに向かうので、羽田に滞在するのが何かと便利だった。
この日、東京の最高気温は37℃にもなろうかという猛暑だ。カルロスはお疲れの様子で、今日はもうどこへも行きたくない、部屋でゆっくりしたいという。
それもそのはず。彼はツアー先のベルギーから先週直接日本に入り、そのまま青森でタフな3日間をすごしたのだから体の時計はぐちゃぐちゃになっているに違いない。
「昼寝して目が覚めたら電話するよ。一緒に晩メシでも食べよう」そう言って、ビールを持って部屋に入っていった。

私は、ひとまずカルロス以外の皆を無事に送り出して少しほっと一息。近所で軽く腹ごしらえし、そのまま同じくホテルに戻ってだらだらすることにした。この暑さの中とても出ていく気分になれなかったのだ。
そしてバタンキュー。カルロスからの電話で目覚めたのは、午後8時すぎだった。
「下のレストランでご飯でもどうだい?」

カルロスも良く眠れたようだった。
ふたりで、ツアーの成功を祝して乾杯し、飲みながら実に楽しい話に花が咲いた。
この人と話をしていると話題が尽きるということがなく、楽しい。ユーモアセンスにあふれ、とにかくよく人を笑わせ、自身もよく笑う。
「Humor is the most romantic thing (ユーモアは一番ロマンティックなこと)。オレのユーモアセンスは母親譲りなのさ。オレの母は本当に面白い人だった」といいながら、母の面白秘話をいろいろ聞かせてくれた。

一言でいうと“チャーミング”な人。
この魅力が人を惹きつけるのだろう。メンバーにも心から慕われているのがわかる。自分の愛する人を命がけで守る、それに対して周りが命がけでついて来るのだ。
「正直言うと、今回のギャラは普段ならとても受けられない(低い)金額だった。それでも久々に日本のファンの前で演奏したい、その気持ちが強かったんだ。彼ら(メンバー)はオレのそんな気持ちについてくれたんだよ。“Moral Attachment”(精神的な愛着)があるからさ。たとえただでもオレについてきてくれる、そんな奴らなんだ。」カルロスはうれしそうに話してくれた。


一方で、彼は感激屋さんで涙もろい人情人でもある。
初日のライブのとき、大阪から駆けつけてくれた懐かしい友人の顔を見て感激のあまりぽろぽろ涙を流していたし、ライブのときのファンの熱い声援にも熱いものがこみあげていた。
「今回の3時間15分というのは、オレのギグの中でも最長記録だ。それでもまだやっていたかったのは、1曲目からステージの真下で一生懸命見つめてくれるファンを見たからなんだ。あれには鳥肌がたったよ。だからみんなの顔を目に焼き付けながら一人ひとりの目を見て歌ったんだ。ある女の子なんてボロボロ泣いていたよ」
夕べの熱いライブを思い出しながら語る彼の眼には、再び涙が光っていた。

また、今回わざわざポーランドから呼び寄せたキーボードのピーターに噺が触れたとき、「シカゴにも普段から一緒にやっているピアニストがいるのにどうしてピーターだったの?」と聞いてみた。
「彼はポーランドでギグをするときのハウスバンドのメンバーで、素晴らしいピアニストなんだ。(シカゴでいつも一緒に演奏している)ルーズベルトは飛行機がダメだから海外ツアーは無理。だからピーターに連絡したってわけさ」
カルロスからのメールを受けたピーターは、はじめは「ハハハ、からかわないでください」と、真に受けなかったそうだ。「それが本当のオファーだと分かった時は夢のようにうれしかった」とピーターも夕べ話してくれた。
シカゴにも来たことがない彼に、海外経験を積ませてあげようというカルロスの痛いほどの親心を感じたと同時に、ピーターならこの役目を完璧にこなしてくれるだろうというゆるぎない信頼があってこそのオファーだったのだろう。
部下(メンバー)を信じきれるのが、本当のボスの姿なのだ。

結局8時半ごろからゆるゆると飲みながら晩御飯をごちそうになり、レストランが閉店する午前2時過ぎまで、真面目話から下ネタトークまでしゃべりたおし、笑い倒した。(ここではとても書き尽くせない・・・胸にしまっておくことにしよう)
ああ、あと数時間後にはカルロスもシカゴに帰っちゃうんだなぁ、そう思うと急にさびしくなってきた。でも、シカゴに戻ったら今度いろんな思い出話しながらまた一緒に飲めるだろう。その日を楽しみにしておこうっと。


ありがとう、カルロス!


7月28日(月)
午前4時半のモーニングコールを部屋に入れると、カルロスはばっちり起きていた。どんなに飲んでも絶対に時間に遅れない。さすがだ。
羽田空港国際ターミナル行のシャトルバスに乗って、午前5時過ぎに空港着。無事にチェックインをすませいざお別れというとき、ツアーの間中かぶっていた帽子を記念にくれた。
カルロスと共に、スペイン、ベルギー、日本と3国をツアーした汗(と匂い)のしみこんだ素敵なパナマ帽。一生大切にします。ちょっとくさいけど(笑)




〜完〜

Sweet Home Chicago

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7月23日にシカゴを発ってから、約3週間。
尋常じゃない日本の夏をたっぷり体験し、今週やっとシカゴに戻ってきた。
いや、もう、あの熱さはもはや熱帯雨林気候。シカゴの冬になれた体にはきつすぎる。
戻ってきたシカゴは、これがまた冷夏で、朝夕の気温は10℃台。ほっとするやら、なんだかもう秋になってしまったようでうら淋しいやら・・・。
一番いい季節にここにいなかった後悔の念が沸き起こってきた。

それはそうとして、この3週間の間に経験したこと、共に時間を過ごした友人、家族、すべてのことに感謝。
これを糧にして、またばりばりがんばりまっさ


このあと夏休みの備忘録(写真日記)をぼちぼちUPしていきます。

怒涛の夏休み日記。

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日本で何をしていたか、怒涛のUP。
いやぁ、毎度のことながら本当に忙しかった。


7/28
カルロスを見送った後、荷物をまとめて友人宅に移動。
毎年夏になると数日間居候してお世話になるお宅なので、これでやっと夏が来た感。
写真は撮れなかったけれど、一家皆さんお元気の様子。
もう一家族(母と息子)も宿泊していて、なんだか民宿のように盛り上がってしまった。


7/29
某出版社の方々と4月のシカゴ以来の再会を祝して打ち合わせ&ランチ。
これからの企画話にも花が咲いて、最高に楽しいひと時。

夜は、友人宅に戻ってさっくり宴会。
翌日にはご主人のSさんが仕事でフィリピンに旅立つため、深酒はせず控えめに。
いつもながらおいしい手作りの品々が、旅で疲れた体をほっと休めてくれた。
もうひとりのShoko、いつもいつも最高のおもてなしありがとう!


7/30
やっと久々に散髪。夜は昔の(もう15年くらい前)クワイヤー仲間たちと、おなじみの沖縄料理の店、新宿「かりゆし」へ。
この日もライブに踊り狂っていた。
 

そして、徳島。
だらけた週末を過ごして、

8/4()
検査のため、人生初胃カメラを飲みに行く。
ピロリ退治の薬をもらうが・・・


8/5
なんとこの日から関西ツアー。
いきなり剣道部の同期会で飲んでしまう。だって飲んじゃいけないって知らなかったんだもん(笑)




8/6
先月シカゴで遊んだミュージシャンのナコミ姐と再会。住吉のスペイン料理屋さん「タベルナ・エルピニョン」へ。

 

   



そのまま、塚口のブルースライブバー「ハウリン・バー」に連れて行ってもらった。
ここで、同じく6月にシカゴで遊んだドラマーの文ちゃんとも再会。

 

ギタリストの落合さんと(いつもは白塗り)


8/7
奈良に移動して


8/8
またまた検査。別段大きな異常はなく一安心。
日本にいる間に健康診断をしつくすのが慣わし。

8/9
尼崎の仲間たちと、大宴会。台風接近のため予約していた店をキャンセルしておうち宴会に切り替え、
「お好み焼き、タコ焼き食い放題」宴会になだれ込む。
もう最高に居心地の良い仲間たち。



 




8/10
徳島に帰るつもりが台風でバスが運休し、やむなく尼へ引き返し・・またまたたこ焼き宴会

8/11
関西ツアーを終え、やっと帰省。さて、阿波踊りWeekが始まる。


8/12-15 阿波踊り
今年は「海外客通訳ボランティア」として駅前の観光テントで接客。海外客のみならず、県外のお客さんからいろいろ聞かれててんてこまい。
でも楽しかった〜!



 



 阿波踊り大使嬢

半田そうめんとビールでランチ


  

 
名物、「総踊り」


8/13
高校時代の親友たちとミニ同窓会。気持ちはあの頃と全く変わらず。




8/16
打ち合わせのため、高松に日帰り。高校時代の四国大会参加以来。




せっかくだからうどんを食べて帰ってきた。


8/17
翌日シカゴに戻るため、徳島を離れ東京へ。

 
両親も元気そうでひとまず安心。またねー!



日本滞在最後の晩は、浅草の穴場的居酒屋さんで昔の歌(綾戸クワイヤー)仲間と15年ぶりくらいに会って楽しいひと時を過ごす。

 
大学の後輩でもあるSちゃん(一番右)は、大学卒業後調理師学校に入り直して調理師免許を取得、イタリアにコック修行に出かけた強者。
今は酒屋の女将兼酒Barの週一女将をやっている。
日本ではむしろ、女性のほうがそんじょそこらの男より冒険的で話をしていても面白い。
いっぱいの刺激をありがとう!


8/18
さようなら、日本。
シカゴへ!我が家へ!



〜以上、駆け足夏休み日記@Japanでした。


今年のガーデン

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今年、シカゴは冷夏。
例年なら7月のお庭は、野菜が生い茂っているはずなのに、どうも生育が遅いのもそのせい。
今年は冬が長かったせいでいつまでも霜の期間が続き、種まきが相当遅れたからかもしれない。
それでも、私の留守の間にがんばってここまで茂ってくれた。どんどん食べるぞー!


ちなみに、これが6月8日の様子。


手前がバジルとパセリ


ゴーヤの芽が出てきたところ


レインバレル(雨水貯蔵樽の上)



そしてこちらが現在(8月20日)





やっと立派なゴーヤができた


トマトがえらいことに・・・


水菜大爆発


レインバレルの上に撒いていた種がやっと花開いてにぎやかに


トマト、ゴーヤ、水菜の収穫


目下の悩みは穫れすぎた水菜をどうやってやっつけるか。
Pちゃんは毎日のように食べていたそうだが、ひとりでサラダにしてもたかが知れている。
そこでいろいろアイデアをいたいて、こういうのを作ってみた。

その1)

友達から教えてもらった、水菜のスープ
鶏ガラスープに切ったトマトと水菜を入れ、最後に溶き卵をまわしかけ、ゴマ油ちょっとたらした中華風スープ。
水菜の大量消費にもってこい、そしてうまい!

その2)

「ゴーヤの肉詰め揚げ」
輪切りにしたゴーヤの中に、豚ひき肉、玉ねぎみじん切り、塩もみして細かく切った水菜を混ぜ合わせたタネを詰め込んで、さっくり揚げてみた。
そこにケチャップ(甘酢)をからめてみたらこれがけっこうグー!

その3)
「ゴーヤとツナのサラダ」
我が家の夏の定番!これさえあれば何もいらないってくらいおいしい。
ゴーヤと玉ねぎ薄切りと、ツナをマヨネーズで和えちょこっとスダチをかけるだけ。超簡単。

その4)
水菜の塩もみ、さっぱり漬物。
小さく切った水菜に塩して重ししてそのまま冷蔵庫へ。約半日でおいしい即席お漬物ができて消費もばっちり。



・・まだまだ実験は続く。

ニューオリンズ・フェスティバル

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アメリカから戻って時差ボケボケか??と思いきや、それがまったくと言っていいほど快調。
二日後にはさっそくいつもの店に歌いに行ったし、アクティビティのほうもまるでこの3週間がなかったかのようにすっかり元通り。

悲しいことは、日本に帰る前は午後9時ごろまで外はまだ明るかったのに、今は8時ごろにはすっかり日が落ち風も肌寒くなってしまった。
ああ、このまま秋になっていくのね。。。いや、そうはさせじ。
“夏”のうち、外に出て遊べるそのうちは、機会を逃さず楽しみつくすのだ。そう決めたのだ!

そこで、7/23(土曜)にシカゴの西郊外、若者に人気のBarやクラブが立ち並ぶ「ウィッカーパーク地区」で行われているニューオリンズフェスに出かけることに急きょ決定。
朝方の雷雨もすっかりやみ、23℃くらいの過ごしやすさ。
せっかくだから、今日はGOROも連れて行こう!




2000年にニューオリンズで買った“Jazz Fest Tシャツ”を引っ張り出して着ていった。

 
GOROもうれしそう


ステージではファッションショーもやっていた



メインステージでは、ニューオリンズのバンドが交代で演奏中。
最後はグラミー受賞バンド「Buckwheat Zydeco」がノリノリ

 
お客さんもノリノリ


GOROは歩くたびにいろんな人から「なんてきれいな犬」と言われ、モテモテ。
道端のオーガニックペット・フードショップのオーナーさんから、手作りのトリ―ト(犬用お菓子)をもらってご機嫌だったが、やはり人通りの多さとライブの爆音にストレスを感じ始めた様子だったので、車に戻って私たちが戻るまでのんびりお留守番。
こういうことがおとなしくできるようになったから、一緒の外出も楽になった。



ご機嫌のPちゃん。
私のいない間ずっと家の仕事を任せきりだったので、今日は私が家族サービス。
久々に羽を伸ばして、ジャンクなものを外食して、なんだかうれしそうだった。
ご苦労様でした。

ラビニア・フェスティバルでビーチ・ボーイズ&テンプテーションズ

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今日は前から楽しみにしていたRavinia Festival。
去年はいい演目が選びきれず行きそびれてしまったので、2年ぶり。
2年前は、大大大好きな「アニタ・ベイカー」を見に行った。
今年のチケットは日本に行く前にすでに手に入れていた。

「テンプテーションズ & ビーチ・ボーイズ」という、60年代のアメリカ人にとっては夢のような2本立て。

アメリカのフェスティバルでは、たまにこういう“ドリームチーム”が結成される。
一つのバンドだけでは決定力にかけるときに、もういっちょ大物をドッキングさせる贅沢な手法だ。

この組み合わせが、今年の演目で(私がシカゴにいる期間)一番魅力的なものだったし、何より行く夏を惜しむにはもってこいだったので早速購入。まだラビニアに行ったことがないけど行きたいと常日頃言っていた日本人主婦仲にお誘いのメールをしてみた。
ところが残念なことに、この日は火曜日。しかもこの週から子供たちの学校が始まるという人たちがほとんどだったので、みんなお迎えの都合でNG。唯一F妻さんだけが参加することになった。


午後3時過ぎ、F妻さんとPちゃん、私の3人でプリウス号にお弁当とアルコールを山と詰め込んで我が家を出発。
何が素敵って、この公園で行われるコンサート、食べ物、飲み物の持ち込みがOKなのだ。

予定通り、午後4時半過ぎ会場すぐ横の駐車場に止めることができ、いざ入場。

 



さっそくステージ前の芝生に席を抑えて、宴会の用意を開始。

 
 
  
今日のメニュー:
梅干しおにぎり
鶏の甘辛煮&庭の水菜
もやしのナムル
ムール貝と卵のトマトソース炒め&庭のパセリ
モッツァレラチーズト&トマトサラダ
パプリカとミニソーセージ炒め 
食後にスイカ




かんぱーい!


何故かお隣のおじさんと話しこむPちゃん。
このおじさま、ペットフードの大手企業の社長さんだそうで、中国や日本へも何度も行ったことがあるアジア通。
私たちのお弁当をうらやましそうに見ていた。
「寿司は?酒ある?」なんて聞いてきた。
Pちゃんはこのおじさんとの知的会話がたいそう楽しかったらしく、あとで「こんな人がもっと近所にいたらいいのに」とぼやいていた。



テンプテーションズが先にステージへ。
ちょっとよろよろしていた感は否めないけれど、それでもさすがのモータウン・アーティスト。
ヒット曲を立て続けにメドレーで歌い、会場のじいさんばあさん(失敬)は狂喜乱舞。
次に出てくるビーチ・ボーイズ仕様の、アロハシャツのじいさんの姿も目に付いた。

 
暗くなるとそこらじゅうにキャンドルがともされ、いい雰囲気


今日もあちこちでパーティーをやっていた。ここで誕生パーティーをする人も結構多い。




ビーチ・ボーイズにノリノリ

やっぱりきてよかった!

祝「ダイナ・ワシントン通り」 (Street Naming in Honor of Dinah Washington )

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8/28から31までの4日間は、シカゴ・ジャズ・フェスティバル通いづめ。ああ、疲れた。

そんなJazzづくしの中、29日にはシカゴにとって素敵なニュースが。
“ブルースの女王”と呼ばれた、シカゴ出身のシンガー、故ダイナ・ワシントンの功績をたたえ、彼女の通っていたブロンズビル高校前の道(S. Prairie Ave)に、シカゴ市より「ダイナワシントン通り」という名称が与えられることになった。
今年はダイナ・ワシントン生誕90周年という記念の年でもあり、地元にとってはうれしいニュース。


ダイナ・ワシントン (Dinah Washington, 1924年8月29日 - 1963年12月14日)
僅か39歳の生涯だった。


29日午後に行われた、この「ダイナ・ワシントン通り」除幕式及び祝賀式典を見に行ってきた。
場所はシカゴのサウス、いわゆる黒人居住区。もちろん集まった人たちは、近所の人たち、長年のファン、メディア、そしてダイナの家族たちなどを含めて、ほぼ全員が黒人。






通りの片隅でひっそりと行われた式典にはきちんと着飾った人たちが詰めかけていた。
まるで青空教会。


ダイナの実の妹、Clarissa Smithがダイナの代表曲でもある「What A Difference A Day Made」を捧げる。
声がそっくり。



この人はClarissaの娘さん、つまりダイナの姪にあたる人。
彼女が歌った "Cry Me A River" は、最近聞いた中で一番の名唱だった。


ダイナの孫娘もダイナミックかつ可憐な声。
3世代にわたる名唱を、ダイナもきっと近くで聴いていたにちがいない。


集まった人たちも歌声に聞き惚れる。


ダイナの親類縁者が勢ぞろい。



★ ★

What a honorable way to celebrate 90th anniversary of Dinah Washington's birth. She received an honorary street sign at the north end of Wendell Phillips Academy, the Bronzeville high school she attended.
Three generations, Dinah’s sister, Clarissa Smith, Clarissa's daughter, and Dinah's grand daughter sang Dinah's representative songs.
OMG, you cannot imagine how they inherit Dinah's voice! I did see Dinah was there.


2014 Chicago Jazz Festival

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今年のJazz Festivalで撮った写真より。




Homage to Nelson Mandela: Ernest Dawkins' Memory in the Center, an Afro Jazz Opera


今やシカゴを代表する歌姫、Dee Alexander


Terence Blanchard。
寂しさを紛らわすため、この人のCDを毎夜聴いていた10年前の一人暮らしを始めたころを思い出す。


Gary Burton
この人を最後に見たのは、2004年のモントレー。with 小曽根真(P)
昔と変わらず、若い才能豊かな人たちを引き連れての意欲的なステージだった。


Esperanza Spalding
この人はやはり美しい。歌声も素晴らしかった。





Cécile McLorin Salvant
初めて聴いた、24歳の新進気鋭のJazz Singer。一言、いろんな意味で「若い」。
これからが楽しみ。


Sun Ra Arkestra
言わずもがなのSun Ra。会場はもうお祭り騒ぎ。





昼も夜も美しい、ミレニアムパーク。

1920年代のジャズエイジを楽しむ集い

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9月14日(日)

とにかく先週のシカゴは寒かった。この時期にしてこの寒さは、記録だそうだ。
ああ、この冬も寒くなりそうな予感。
外に出てお散歩を楽しめるのも、あとせいぜい1か月あるかないか。そのうちにできるだけ楽しんでおかねばと焦り始めたこの頃。

そんな週末、ちょっとだけ暖かくなったのでなにかいいイベントはないかと探してみたら、
うちから20分くらいの隣町、セント・チャールズで「Jazz Age Party」というイベントがあるのを発見。
1920年代の頃のコスチュームを着て、その時代のJazzを公園で楽しもう、という企画らしい。これは素敵。
さっそくGOROを連れて3人?で出かけてみた。


セントチャールズは、Fox川というイリノイを南北に流れる大きな川の流域にある、古きヨーロッパの香りただよう小さな西部の田舎町。
河川敷には緑豊かな大きな公園が点在していて市民の憩いの場になっている。


昨日は最低気温が4℃と冷え込んだが、今日は昼間は13℃くらいと過ごしやすいお天気。


GOROも新しい公園に興味津々。
後ろに見えるは、蒸気船(を真似た)遊覧船。



公園の中で行われたこのイベント、クラシックカーも何台か展示(もちろん現役で動いている)されていた。
そのフォルムの美しさにうっとり。






レトロな格好をした紳士淑女たちがあちらこちらから現れて、なんだかタイムトリップしたみたい。








生バンドに合わせて踊り狂う人たち。


チャールストン・ダンスのミニレッスンにも参加してみた。


ちょこっと遊びに行くつもりが、結局楽しくて日がな一日公園ですごし、そのあとダウンタウンでGOROも一緒にイタリアンレストラン(テラス席)で食事をして帰ってきた。これが期待以上においしいレストランで気分も上々。
GOROも残りのラムの骨をもらって上機嫌。レストランではおいしいものにありつけると学んだのか、最近は外食に連れて行っても大人しく私たちの間に座っていい子にしているGOROなのだった。

こういうあったかい週末がもうしばらく続きますように。

Jazz Age Party

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先日の1920年代、Jazz Partyの写真がUPされました。
さて、GOROと私たちはどこにいるでしょう?



公園で聴く、リカルド・ムッティー指揮のシカゴ・シンフォニー

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9月19日(金曜日)


朝夕の冷え込みがすっかり秋を感じさせるようになってきた。もう9月も残りわずか、10月に入れば初雪もくるかもしれない。
野外で何かを楽しむのは、ここ1、2週間が今年最後のチャンスになるだろう。

そこで、今年多分最後の野外でのビッグコンサートの計画を立てた。
シカゴのミレニアムパークで、毎年この時期に行われている「シカゴシンフォニーの無料コンサート」に、今年はお友達を誘ってみんなでピクニックしながら観に行こうじゃないか、というプラン。
去年もおととしも、一人で現場に通りがかっただけだったので、今年こそは絶対にあそこに座って見たいと思っていたし、どうせ見るなら一人より大勢のほうが楽しいはず。
そこで、2週間ほど前に近所の主婦遊び仲間にお誘いメールを送ったところ、5人から「行きたい〜」とのお返事。平日、主婦がこの時間に出かけるのは難しいけれど、滅多にない機会だししかも連れがいるとなるとどうにかなるもの。
子供もダンナも家において、女たちだけでシカゴに夜遊びに行くというのは、これが初めてだ。

とはいえ、なにせ世界的なコンダクターであるリカルド・ムッティーが指揮を務める天下のシカゴシンフォニーが公園のコンサートホールで無料で聴けるとあって、この1年に一度のイベントに命をかけている人たちも多く、相当な混雑が予想された。
で、何の予定もない身軽な私だけがひと足先に家を出て場所取り。

午後3時過ぎ、それでも遅いかとに会場に駆け込むとなんとそこはガラ〜ンとしていて肩透かし。なんだよ〜。
とりあえず、芝生席の一番前の中央に場所をとってほっと一息。



昼間は汗ばむほどの陽気で、場所も確保できた(責任を果たせた)安心感でとりあえずビールをごくり。
まるで、花見の場所とりをしている新入社員の気分だった。


私と同じころに来ていた人たちは、もうすっかりテーブルの支度をしてカクテルなんぞを作り、優雅に新聞を読んだりおしゃべりをしたりして時間を潰していた。



午後4時半をまわったころからだんだんと人が増え始め、5時ごろにはもう芝が見えないほどいっぱいに。
そろそろひとりでこの広い場所を確保するのはしんどくなってきた、そのちょうどいいタイミングでTちゃんがやってきた。
30分ほどして残りの4人も間もなく到着、シカゴのお友達ニワちゃん母子も合流して、計8人で瞬く間に宴会モードに。


全員集合の瞬間。イェ−イ!

こういう時の日本人の準備の良さといったら、もう素晴らしいのひとこと。
Mさんがわざわざテーブルを持ってきてくれたので、そこに各々が持ち寄った一品を並べると、もう豪華なお花見状態。
隣のアメリカ人も写真を撮っていたほど。
見よ、これが“ザ・日本の宴会”というものだよアメリカ人。ふっふっ。



Jちゃんが鶏のから揚げ、サンドイッチ、とうもろこし、ブロッコリー、お稲荷さんが入った豪華お重を持参。
みんなの持ち寄ったメニューは、クロワッサンのサンドイッチ、アスパラのプロシュート巻き、イチジクとゴルゴンゾーラチーズのおつまみ、マスカットとチョコのおつまみ、トマトとモッツァレラのサラダ、
私は玉筋魚のおにぎりと出し巻き卵を持って行った。
飲み物は、スパークリングワインと赤ワイン、ビール。

午後6時半
演奏が始まると、約2万人の観客は水を打ったように静まり返る。酔って騒ぐ輩など一人もいない。
こういう時のアメリカ人のマナーは本当にすばらしい。


演目は、チャイコフスキーの「眠れる森の美女」ほか。
Tchaikovsky The Tempest
Tchaikovsky Suite from The Sleeping Beauty
Tchaikovsky Symphony No. 4




日が沈むと、照明に照らし出されたコンサートホールとバックの高層ビルのコントラストが美しい。

こんな素敵な環境で、気心の知れた友達とおいしい食事を楽しめるなんて本当に夢のよう。
このイベントを企画して本当によかった、としみじみ思った瞬間。


もちろんキャンドルも忘れずに!ワイングラスもね。紙コップじゃダメダメよ。
休憩をはさんで約2時間あまり。たっぷりと秋のシカゴと極上の音楽と究極のグルメを楽しんだ私たち。コンサートが終わった後もしばらく宴会は続き・・・


Mちゃんの試作品、抹茶ティラミスをデザートにいただく。またこれがうまいのなんのって



やっと心置きなくおしゃべりをして・・


午後9時半すぎに、撤収。
それにしても、この日だけは奇跡的に過ごしやすいいい天候で本当によかった。
郊外から一緒に行ってくれたみなさん、ありがとう。
シカゴから急きょ参加してくれたニワちゃん、Rayくん、ありがとう。
送り迎えしてくれたPちゃん、ありがとう。


Pちゃんの夏休み

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私が日本に帰っていた3週間、Pちゃんはそれは大忙しだったそうだ。
6月あたりから家の外観の修理にコツコツとりかかっていたのだが、やり始めるともうそれしか見えなくなるPちゃん、次から次へと家の傷みがみつかって修理が飛び火、毎日のようにホームセンタ通いだったという。
何かをみつけてしまったら最後、「明日やろう」という言葉はこの人の辞書にはない。どんなに遅くとも遠くともホームセンターまで買い物に出かける執念深さは、さすが研究者だと納得。
(このパワーを研究に向けてほしいものだが・・・)

どうしてそこまでして自分でやるの?プロに頼めばいいじゃない、と以前言ったところ、
「何千ドルも払ってまた中途半端な仕事されるのは余計にストレスになるからいやだ」とひとこと。
確かに、アメリカで今までプロの業者さんに頼んでまともな結果になった試しがない。

引っ越して間もないころ、壁(電気ジャック)から水が出てきてびっくり、業者さんを呼んで壁の一部を切り開いて見てもらったら、水道管の継ぎ目がきれいに外れていて壁の中が水浸しになっていた。
家を建てた時のいい加減な配管工事が原因だった。
一度嫌な予感がして大雨の後に屋根裏を調べてみたら、そこらここらが水浸しだったこともある。
それも手抜き工事のせいだった。
自分たちの仕事に「誇り」というものがあるのか?と怒りが湧いてくる仕事ばかりでいやになる。
プロフェッショナルな仕事をきちんとまじめにやる気質の日本、ドイツからきた私たちには、特にこのあたりが許せない。

そんなことが重なって、Pちゃんは完全に業者と言うものを信用しなくなってしまい、全て自分でやらなければ気が済まなくなってしまった。
もともとバカがつくくらい丁寧で完璧主義。これがまた、時間がかかりすぎて終わらないのだ。
別に働いているわけでもなく時間はたっぷりあるんだし、体を動かしていると気もまぎれるだろうから、私としてはどうぞおやりなさい、という達観した気持ちで見守っているのだが・・・・・・やはり、見ていていらいらする。


さて、夏休みの間、Pちゃんが最もやりたかったのはカーペットの水洗い。
私がいないのを利用して、リビングの家具を全部廊下に運びだしさっそく作業を開始。
まずホームセンターでカーペット用の洗浄&掃除機をレンタル。水の力でカーペットを根こそぎ洗浄するパワフルなマシンで、これを一度かけると瞬く間に水が真っ黒になったらしい。
それを水が濁らなくなるまで繰り返したあと、しばらく放置して乾燥。その後家具をまた運び込んだというのだ。
よくもこれだけの作業をひとりでやったもんだ、とこの人の執念に感心。


それだけではなく、かねてから修理を勧告されていたガレージの扉の凹み、ドア周りの腐った木の取り換えとペンキ塗り、と次々に新たな課題を見つけては修理を完了。

そんでもって今は、家根まわりの修理に没頭中。
昔ははしごに上るのも怖くてびびっていたのに、今は平気で屋根の上を走り回っている。


とにかく怪我だけはせずに、気のすむまでやってちょ。

近隣戦争。

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全てがそうとは言わないが、研究職の人というものは少しだけ世間ずれしているところがある。
人よりも数字やデータと仲良くしている時間のほうが長いせいかもしれない。

Pちゃんは、そのバカ正直でまっすぐな性格のせいで、人から誤解されることが多い。本人には悪気はなくても、つい“ごもっとも”なことを、言っても仕方のない人に言ってしまうクセがある。そのため、思わぬ敵を作ることがある。


そらが積もり積もって今、お隣さんのとの間でかなりの冷戦が勃発している。

そもそものきっかけは「タバコ」。
マイケル(隣人。40代半ば)は大のチェーンスモーカー。タバコのアレルギーがあるPちゃんにとってはそれだけで天敵なのだが、自分の敷地で吸う分にはこちらは何も文句は言えない。
ところが、マイケルはしばしば我が家の敷地内(芝生)でくわえ煙草をふかし、その吸殻をそのあたりに捨てていくのでさすがにPちゃんが注意。
そのときは、わかったよ、というようなそぶりで特に何も言わずにその場を立ち去ったらしい。
しかし、その後も一向に態度を改めない。どころか、以前にもまして嫌がらせのようにうちの前で煙草をぷかぷか吸うようになってしまった。

そして第2の原因は、犬のふん。
マイケルは2匹の小型犬を飼っているのだが、この2匹を裏庭にしばらく放し飼いにして好き放題おしっことウンチをさせるのである。後始末をすればいいが、こちらが見ていないと平気でそのまま放置するのだ。
これに怒ったPちゃん、もちろん厳重注意した。
それでも、もちろん無視。

「ああいうタイプは口で言われると腹が立つだろうから、ひとことメモを残せば?」と私。
ほんのメモでよかったのに、あのくそまじめでKYなPちゃんは、2枚にもわたる手紙を朗々と書いてしまったから、それがよけいにマイケルを怒らせることになってしまった。

ある日、犬のうんちを我が家の芝生の前に置き去りにしたところを目撃してしまったPちゃん、(よせばいいのに)マイケルのうちのドアをノック。奥さんのペギーが恐る恐る出てきたら、うしろからマイケルの怒号が。

「Fuck You! 今食事中だ。帰らんかいこのドアホ!」

何を言われるよりも侮蔑の言葉を浴びせられることを嫌うPちゃん、ここで完全にプッツリ。
「君がそのような態度に出るのなら、こちらはポリスを呼ぶからそのつもりで」

あー始まっちゃったよ。。。(つまり、どっちもどっちなのよねー)
そして、こんなつまらんことで呼ばれたポリスが到着した時には、マイケル夫妻はそそくさと車で逃走してしまった後だった。

これが決定的となって、それからはもうマイケルは完全に私たち血と顔を合わせても完全無視状態になってしまった。
奥さんのペギーも、まるで死人のように目の前を通り過ぎるだけ・・・不気味。
この夫婦、もともと非常に不気味なので私もなるべく付き合わないでいたのだ。
それでもPちゃんは、顔を合わせると普通に「Hi」とか「Hello」とか挨拶をしていたというから(もちろんマイケルは無視)、何ともお気楽な話。

それでもって、私が留守にしていた3週間の間にことはもっと深刻になっていった。
マイケルの吸ったタバコの煙が直接我が家の窓から入ってくるので、Pちゃんができるだけ怒らせないように丁寧に「悪いがもうちょっと離れて吸ってくれないか。家の中にタバコの煙が入ってくるんだ」と注意。
すると何と、マイケルは中指を立てて
「Fuck You!お前なんか死んで地獄に落ちればいいんだ!」とわめいたらしい。

あまりのことにPちゃんはブチ切れ、「いったいアンタは毎週教会に熱心に通って何を学んでいるんだ?なにがクリスチャンバリューだ!」と言い返したんだそうだ。
あっらー、それって彼らにとっては一番言われたくないセリフだわね。
宗教のことに触れたらおしめーよ。もちろん、私は心の中では同じことを思っていたんだけれども。


しかしそれにしても、このマイケルという男。そこまで私たちのことなめまくりやがったのね。
それなら仕方あんめー。金輪際、おめーとはお隣だとは思わねーし人間とも思わないからそう思え!(と、私もプツン。実は切れると私のほうが数倍怖い)
だいたいこの男、昔はすごいアル中だったというから、それで頭が少しおかしくなってしまったんだろう。
仕事にも就かず、いや、就いたと思ったらすぐ首になる、の繰り返し。近所でも相当変人として煙たがられている。

そんな奴をまともに相手にした私たちが間違っていたのだ。
「馬の耳に念仏」とはこのこと。まるでテロリストに「人殺しはいけませんよ」と注意しているようなもの。
それなのにPちゃんは、何かあるたびにしつこく彼に注意するので、余計にマイケルを怒らせ偏屈にさせてしまっている。・・・ということに気づいていないPちゃんも、やはり相当おかしい。。。

ああ、世の中には狂った奴らが大勢いる。
アメリカで怖いのは、こういうやつらがいつでも銃を買えることだ。もう頼むから挑発しないでくれよー。

今年もやっぱり、Hyde Park Jazz Festival

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9月は本当に仕事に遊びに忙しく、ばたばたしているうちにあっという間に30日が過ぎ去っていった。
とにかく外で温かく過ごせるうちはどこかに出かけよう、と半分ムキになって週末のイベントを探していた気がする。

そして多分、これが最後の外でのイベントというのが、恒例の“ハイドパーク・ジャズフェスティバル”。
これは私もPちゃんも楽しみにしているJazzイベントだ。
観光客向けのJazzフェスとは違い、これは地元の人たちを対象にしているので雰囲気も運営ものんびりしている。
シカゴ大学の広大な緑に囲まれたキャンパスや付近の公園など数か所がステージになっており、スケジュールをみながらお目当てのバンドを求めて散歩がてらぷらぷらするのも楽しい。
数年前までは「ハイドパーク」と聞いただけで、そんなサウスは危なくて行けないと思い込んでいたのだけれど、いざ1回行ってみるとそんな思い込みはふっとんでしまった。
大勢の人たちが一緒に音楽を求めて歩き回っているので、キケンという感覚はまったくなかったのだ。


9月27日・土曜日
外をぶらぶらするにはちょうど良い、暑くも寒くもない絶好の野外Jazz日和にめぐまれ、夕方過ぎにハイドパーク目指していざ出発。
ナビゲーション通りに行くととんでもない道に迷い込み、ついたらすっかりお目当てのバンドが終わっていてガックリ。


でもこんなきれいな夕焼けが見られたし、まぁいいか。


着いた頃にはこんな具合だったのが・・


どっぷりと日が暮れると・・

こんな感じに。
観客はサウスということもあって90%が黒人。ノリが違う。だからこのFestは私のお気に入り。


  

外で久々にジャンキーなものを食べるのも悪くない。



NICOLE MITCHELL’S ICE CRYSTAL

 
このバンド、超カッコよかったー!

 
最後はHOUSTON PERSON QUARTET
ヒューストン、さすがの貫禄。スタンダードの名曲をたっぷりと余裕で聴かせてくれた。
バックのトリオも素晴らしかった。

 
ステージ前にはダンシングフロアが設置されていて、踊り狂う人たち・・。


短い間だったけれど十分堪能した私たちだった。
やっぱりこうやって外に出て文化に触れるのが一番の刺激になる。

Not-Great Chicago Fire Festival ~悲劇の結末、シカゴ大火記念フェスティバル

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冬にはいって凍りついてしまう前に観光客を呼び込もうと、シカゴ市はあの手この手。
10月はまだ野外で耐えられる最後の月なので、そこに目を付けた(かどうかは知らないが)シカゴ市が新たに生み出したお祭りが、「ザ・グレート・シカゴファイヤー・フェスティバル(シカゴ大火祭り)」
その名の通り、シカゴの大火を記念したお祭りだ。

1871年、ある郊外の馬小屋から出火して強風に煽られて瞬く間に燃え広がった大火事で、シカゴ市内は焼き尽くされた。
その大火のあとシカゴはすさまじい復興をとげ、摩天楼を中心とした今の近代的なシカゴが出来上がったのだ。
シカゴの歴史上もっとも重要な惨事であり、近代都市建設のきっかけにもなったこのシカゴ大火をイメージした初のお祭りということで、これにかけるシカゴ市の意気込みはすさまいじものがあった。

メディアにも何度も取り上げられ、総額2億円をかけたといわれる「大スペクタクル」。
さていったい何が登場するのかと、市民だけでなく観光客も注目していた。もちろん私も取材の用意をし、Pちゃんも一緒に出かける段取りを組んでGOROをもお泊りに出した。



この川に浮かんだ家の模型(3か所)が闇の中炎に包まれる、ということなのだが・・・


会場となったのは、シカゴ川流域、ステート通りからコロンバス通りまでの3ブロック。
リバーウォークには手作りアートやポップコーンなどの地元の屋台が立ち並んで、午後4時過ぎにはそれなりに賑わっていた。

  

不運だったのは、この週末は体感気温がマイナスというほどの一番の冷え込みになったこと。歩いているだけでも体がしんしんと冷え込んでくるのがわかる。
私もこの日はユニクロヒートテックを2枚着込んだ上にセーター、その上にダウンジャケット。下はこれまたヒートテックのレギンズに皮パンツ、長ブーツという真冬並みのいでたち。




トランプホテルの最上階Sixteenからシカゴ側を見下ろした夜景は素晴らしい


10月は乳がん撲滅月間ということで、ビルのネオンもピンク色に


さて、午後8時すぎいよいよメインイベントの「スペクタクルショー」が始まった。
エマニュエル市長らによる点火式、チルドレンクワイヤーの歌声が響き、水面にうかぶ船が幻想的な雰囲気。

 


そして、あの模型に火が灯された。
パチパチパチ・・・と燃え盛る炎の音がスピーカーから流れ・・
家が燃え初め・・・あれ?




燃え始めたかと思ったらすぐに消えちゃったよ。
そして再度点火



目の前の模型はいったんは勢いよく燃え始めたものの、どうも3分の1が燃えたところでまた消えちゃった。
ん?なんかおかしいな、と思いつつ待つこと約1時間。

「電気系統の故障のため点火が遅れています。しばしお待ちください」とアナウンス。
やっぱり。
それを聞いて盛り上がりかけた気持ちが一気にトーンダウン。
そのあとうんともすんとも火が着く気配はなく、沿道を埋め尽くした何千人と言う人たちは寒いやら退屈やらで「燃やせー、燃やせ―」とやけくその叫び声を上げ始めていた(らしい。)


立ちっぱなしの人々


で、40分くらししたところでようやく、「故障が治りませんのでマニュアルで点火します」とアナウンス。
これには笑った。
マニュアルって、要するに人の手によって着火するということですよね?
「今頃マッチでも探してんのちゃう?」とPちゃんと冗談を言って笑っていたら、私の前に固定カメラを設置していたどこぞのメディアのカメラマンも私たちを振り返って、「ライター貸してあげようかな」と苦笑い。

これは翌日の新聞で知ったことだけれど、どうやらこのお祭りの主催者はもしもの事態に対するバックアップ策を何一つとっていなかったというのだ。
これには呆れた。これだけ大騒ぎして2億円もかけてシカゴの代表的なお祭りのひとつにしようというのに、バックアップ対策ひとつとれていなかったなんて。
そのせいで寒風のなか市民を何時間も立ちっぱなしにさせてしまうというお粗末くんぶり。なんと楽観的かつ初歩的な大ミス・・・つうか、普通はありえんでしょう?

ガソリンまいて命がけで人手で点火したものの、やっぱり炎はしょぼしょぼと消えていき、さえない結末に。




The Great Chicago Fireどころか、「Not-Great Chicago Fire」になっちまった。

最後はあきらめて、花火大会。
本当は焼け落ちた家の中から、何かシカゴの復興を象徴するような仕掛けが出てくるはずだったらしい。トホホ。




やけくその花火がおわって、群衆が一斉に家路に向かい始めたその頃、実は川面では“第2部”が始まっていた。
シカゴの復興をイメージした、幻想的なカヌーのラリー。
せっかく美しかったこの演出も、ほとんどの人に無視されてしまい、最後までまったくあーあ、なフェスティバルだった。





来年はないな・・・。
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