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Channel: Life in America ~JAPAN編
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踊るインタビュー

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先週のこと。シカゴ取材に訪れていた日本の某新聞社のアテンド役を急きょ頼まれた。
彼らがシカゴに滞在するのは3日間。そのうちどこかでぜひともシカゴの「音楽シーン」を取材したいという。
JazzやBluesなどいろいろご提案したが、「シカゴと言えばブルースですよね」ということで、ブルースシーンを取材したいとのこと。
なんと、私にうってつけのありがたいお話。

しかし、正式に取材の依頼を受けたのが3日前というどたばたぶり、そのうえ「ブルースマンにインタビューをしたい」という依頼内容だった。
そこで、友人の音楽イベントプロデューサー、リンに連絡をとり、彼女がかねてからプロモートしていてシカゴの重鎮ブルースマン、エディー・クリアウォーター氏にインタビュー&撮影をたのんでみたところすぐにOKの返事をもらうことができた。
エディーは日曜日にNYでライブを終え、月曜日にシカゴに戻ったばかりだった。

以前、彼のおうちにお招きいただいたことがあったが、そのときに聞いた昔話や数々の逸話がとても面白かったことや、気さくで温かい彼の性格が印象深かったこともあって、話を聞くには彼しかいない、この取材は絶対にいいものになると確信していた。

エディーは御年79歳。いわゆるブルース第一世代と呼ばれ、ブルースの生き字引のような人。
昨今はこの第一世代がだんだんとこの世を去りつつあり、このタイミングで彼にお話を聞けるのはとても貴重なチャンスだった。

●エディー関して過去に書いた記事 ↓↓
http://www.usshimbun.com/Music-Series/music-vol.4-EddyClearwaterBDLive


かくして、アポイントの火曜日当日。
女性記者さん(このとき初対面)をホテルに車で迎えに行き、シカゴのこと、ブルースの歴史のこと、エディーのことなどを怒涛のようにレクチャーしながらエディーのお宅に向かった。
彼女曰はく「ブルースのこと、ほとんど何も知らないんですよ。だから通訳とフォローをお願いします」
いやいや、だからいいのである。
オタクしか読まないブルース雑誌のための知ったかぶりした小難しいインタビューではなく、彼女のような“一般人”にインタビューしてもらうこと、その中で彼女が感じたこと、発見したこと、伝えたいことをナマの言葉にしてもらうことにこそ意味があるのだ。


★★

午後3時、家のチャイムを鳴らすとリンがうれしそうに出迎えてくれた。
今日のインタビューを、きっと本人よりも楽しみにしていたにちがいないというような満面の笑顔で、挨拶もそこそこにエディーの過去の写真やグラミーノミネートの時の記事などを次々に見せてくれた。
奥のリクライニングチェアーにゆったりと座っていたエディーも、やぁやぁいらっしゃいと出迎えてくれ、そのままカジュアルなインタビューが始まった。


インタビューの内容はネタバレになってしまうのでここでは言えないが、とても印象的だったのは彼の真摯な姿勢だった。
どんな「素人質問」にも丁寧にかつ簡潔に答えてくれ、その素晴らしい受け答えに彼のインテリジェンスを感じることができた。
記者さんが「ブルースっていうと、まだまだマイナーなジャンルであり、しかも悲しいマイナートーンの歌ばかりだという印象があります」
と話すと、最新のCDの中から、“ド・ブルース”(いわゆる“ド演歌”のようなマイナートーンのスローブルース)と、対照的に明るい“踊れるブルース”(いわゆるRock)を聞かせてくれた。

最初に聞いたのは、彼の書いたオリジナル曲でド・ブルースの“Came UP The Hard Way”。
エディーはやおらギターを持って、目の前で弾き語りを始めた。





続いて、一転して明るい曲調の“ 'Good Times Are Coming' ”が流れると、エディーは今度はギターを置いて立ち上がり、軽くステップを踏み始めた。

予想外のエディーの生演奏を目の前で聴きながらふたつの曲を比べ、記者さんの顔色が変わっていくのがわかった。
「悲しいだけがブルースじゃない、どちらもブルースなんですね。ブルースはいろんな形に進化をしている音楽なんですね!」
そうして、エディーを真ん中にはさんで何故か一緒に私たちも踊り始めていた。

それを見てリンが「あなたたち、まるで“ダンシング・ジャーナリスト”ね!」というので、
「これは私にとって産まれて初めての“ダンシング・インタビュー”だわ」、と私が言うとエディーも大笑い。

そんなこんなで初めは硬い表情だった記者さんもすっかり打ち解けて、私たちの踊るインタビューは和やかに終了した。
女性3人に囲まれたエディーは旅疲れた様子もなくいたってご機嫌のようすだった。




最後に一緒に記念写真 

このインタビューは、私にとってももちろんとても意味深い、貴重なものとなったことは言うまでもない。
ありがとう、チーフ!



ギターを弾き始めるともう何も見えなくなる人。これほど絵になるブルースマンもそうそう存在しない



エディー宅を後にした私たちが向かったのは、シカゴのブルースライブハウス「Kingston Mines」。
今日はロニー・ヒックス(この日は彼が病欠のためピンチヒッター)と、マイク・ウィーラーのふたつのバンドが演奏する日。
あらかじめマイクに私たちが取材に行くことを伝えておき、ステージの合間にインタビューさせてもらった。
第一世代であるエディーの話をじっくり聞いたあと、第二世代の先鋒であるマイクのライブを聴けたのはとてもいい流れだった。




ブルースはあらゆる音楽のルーツであり、絶えず進化をし続けている音楽なのだ。

これを実感できたとても素晴らしい日だった。


急な取材にも快く対応してくれたエディー、マイク、ありがとう!

Jazz Singer仲間たち。

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ここ数年、隣町にあるレストラン&バー「モーガンズ」に土曜日ともなるとJazzミュージシャンたちが集まり、熱いJamセッションを繰り広げていた。
私もしょっちゅう、その中に交じっていた。
ところが2年前のある日、このレストランが何の前触れもなくいきなり閉店。
従業員にも前もって告げられない突然のクローズに、出演していたミュージシャンたちもびっくり。うわさによると、「壊れた全館エアーコンディションシステムを修理するお金がなかったから」だとか。あまりにも、とほほな理由。
その後、行き場を失ったミュージシャンたちは別の店を見つけてJamを続けていたのだが、なんとここの店主の実の弟が宝くじで一発当て、あのつぶれた店を買って再びレストランをオープンするという噂が一気に広まった。
この展開も、いかにもアメリカ。

かくして、「クーパーズ・コーナー」と名を改めてあの店にまた灯りがともることになり、郊外のJazz好きは大喜び。
私のところへも歌いに来い!と昔の歌仲間たちから催促電話が毎週のようにかかってくるようになり、ここ最近毎週木曜日にはこの店で歌うようになった。

毎週木曜日は、ピアニストのジョニー・ガボァーによるピアノナイトだ。
ジョニーは、60~70年代のJazz全盛時代、シカゴで毎晩のように演奏をしていたベテランピアニスト。
フランク・シナトラがシカゴのBarに立ち寄って飛び入り演奏をするときなどは、必ず彼の伴奏をしていたというキャリアの持ち主。
シカゴにはこういうミュージシャンがそこらじゅうにゴロゴロしている。彼のように昔腕を鳴らしたプロたちが、シカゴのナイトクラブから引退して今は郊外あたりで趣味的に演奏をしているのだ。

初めてジョニーのピアノで歌ったとき、「ああ、この人はピアニストだな」と感じた。変な表現だが、ジョニーのピアノは歌い手をきちんと持ち上げてくれるのだ。
こちらに何も聞かずに自分勝手なテンポでイントロを弾きだしたかと思うとエンディングも自分で決めてしまう独りよがりなピアニストがたまにいるけれど、ジョニーはさすがにシンガー慣れ(それも超一流の)しているのを感じる。
こんなピアニストのバックで歌うといい勉強になるし、今まで歌ったことのない新しい歌にもどんどん挑戦しようという勇気が湧いてくるのだ。
かくして、ほぼ毎週木曜日は「歌う日」と決めて、どんなに気が向かない時でも鞭打って(?)でかけることを自分に課している。そのおかげで、この数か月でレパートリーがぐんと増えた。


もうひとつここに歌いに行く大きな理由、それは、素敵な歌仲間が待っていることだ。
仲間といっても平均年齢はゆうに75歳を超えでいる。彼らは元プロ、現在もノンプロで活躍する腕利きのシンガーたちだ。
彼らと知り合うきっかけは、5年ほど前。あの、前のつぶれた「モーガンズ」でのJamセッションで一度勇気をもって飛び入りで歌わせてもらったところ大層気入られ(一番若かった、しかも唯一の女性シンガーだったせいか?)それ以降、なにかというとPちゃんともどもよくお誘いを受けるようになったのだ。
その「重鎮」の方々も、決まって木曜日はちゃんと全員集合。
なにしろ皆さんハッピー・リタイア組、お金も時間もたっぷりある。たまに誰かが欠けていると「あの人は最近来ないから電話してみよう」などとサポートし合う、まるでちょっとした老人クラブのようなのだ。
もちろん、私は最年少。

もし本気で自分の腕を試したいのなら、シカゴあたりの有名クラブに出張っていくのがいいのだけれど、たまにそんなところに行くとJazzミュージシャンの卵たちが目をぎらつかせて黙々とセッションしているのに出くわす。演奏のクオリティーは素晴らしいのだが、私のような“ハッピー素人”にとってはそのギラギラぶりが痛いことがある。
その点、この静かな郊外の小さなBarでは人生経験豊富な仲間たちが集まってわいわいおしゃべりしながらお互いの歌を聴かせ合う。批評も批判もしない。
歌は、歌い手の年齢(人生経験)によって意味や深みや説得力が違ってくるものだから、彼らの解釈を聞くことで私自身も大いに勉強になるし、この雰囲気が今の私にとてもしっくりくる気がするのだ。



いつもの仲間たち。

一番右は、ハーヴィー。私は密かに「植木等」と呼んでいる。
いつもみんなを沸かせる明るいミュージカルナンバーを足取りも軽くステップを踏みながら披露してくれる。
昨年の今頃、娘さん(49歳)を突然亡くし、傷心のためしばらく姿を見せなかったが、仲間たちが電話をして励まし続けやっと明るい顔を見せてくれるようになった。
彼にとってこの仲間たちはどれほど心強かったろうと思う。

前列中央は、シルビア(80)とリチャード(86)ご夫婦。
お互いに40歳を過ぎての子持ち再婚同士で、結婚35年以上のおしどり夫婦。リチャードがメル・トーメのような甘い声を聞かせてくれ、それをシルビアがいつも見守っている。
シルビアはいつも私に「聞くたびによくなっていくわね。あなたの歌には心があるわ。その調子でどんどん歌い続けなさいね」と励ましてくれる。


後ろにいるのはブルース(左)とゲーリー(右)、共にセミプロ。
70歳を過ぎているゲーリーは、老人訪問に慰問して歌っている。

私の横は、このあたりに君臨する“ボス”、パット。
昔はNYあたりで歌っていたらしく、今もよくギグをやっていてそのたびに「歌いにおいで」と誘ってくれるとってもいい人。



90歳をこえているというピアニスト。
毎回素敵なJazzピアノを聞かせてくれ、その音色にじーんとするときがある。


彼の奥様はオペラのようにJazzを歌ってくれる。
私の顔を見るたび、「私の義理の娘はチャイニーズなの。あなたを見るたびに彼女のことを思い出すのよ」といってハグしてくれる人。


リチャードは歌うバイブルのような人。
この歌は何年に誰が初めて歌った、という歴史解説をいつも聞かせてくれる。



たまにやってくるポーレット。黒人独特のパンチの利いた声が彼女の魅力。
正反対の互いの歌声にいい刺激を受け合っている私たち。


 
私もリラックスして歌わせてもらっています♪

 リラックスしすぎ・・・


先日はジョニーの誕生日だったので、みんなでお祝い。

今年のハロウィーン(1)

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10月31日はハロウィーン。
とはいっても、日本人の私とドイツ人のPちゃんにとってはあまりにもなじみがなく、我が家は完全にスルー。
だいたい家の前に気色悪いディスプレイする人の気が知れん。

一応、今年もお約束の柴犬ランタン(柴犬型のカボチャ灯篭)だけは作ってみた。
カボチャの中身はスカスカなので、意外と簡単にできるのです。


かわいいでしょ?


自分のうちはやらないので、とりあえず近所のデコレーションを昼間に撮影。
夜見るとかなり不気味。

 














犬かと思って近づいたらキツネ、しかも“手首”くわえてた 

 
おそるおそる近づいて


やっぱやめとこ。


見なかったことにしよう。


今年のハロウィーン(2)

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今年のハロウィーン当日は珍しく、お友達のおうちのPartyにふたりで招待された。
これまでは、私一人が出かけていくパターンだったのだけれど、Pちゃんも一緒というのは実は初めて。
もちろん「要コスチューム」。

私一人ならいくらでも方法はあるのだが、なにせPちゃんが一緒だと事はとたんに面倒くさくなる。
あれもいや、これもいや、自分はコスチューム変装なしで行きたい・・・とかもうすったもんだ。
聞き分けのない5歳児を相手にしているかのようで何度もキレかかった。

面倒くさい、というわりにはこだわりだけは強く、あまり「お笑い系」には走りたくない様子。
しかも自分の好きなキャラクターにこだわるので、私は足を棒のようにしてハロウィーンショップを駆け回ったけれど結局見つからず。
あー、私ならシーツかぶって「オバQ」って笑いとっておしまいなのに。。。(少なくとも日本人のお友達には笑ってもらえる


結局選んだのが、コレ。


Pちゃんの大好きな「マトリックス」。地味・・・。
でも小道具うんぬんつべこべいわずにこれ1枚だけで済むのでかえって楽。


★★


さて、ハロウィーン当日はここ数年で一番の冷え込み、体感気温0℃。
朝には小雪さえちらついておまけに強風。
その影響もあってか、「Trick or Treat」(お菓子をもらいに子供たちが訪問してくる恒例行事)はえらい少なかった。
だから今年は写真もなく・・・ちょっとさびしい。

今年から我が家は「キャンデーなし主義」に変更。
毎年山ほどキャンデー買って(しかも体に悪そうな・・・)余ったら捨てるのはあまりにも無駄だし、ただでさえ肥満な子供たちに甘いものを与えるのも嫌だったので、小さな箱に入ったハロウィーンTatto(おもちゃの刺青シール)を配ることにした。
これだとアレルギーの子供たちにも安心なうえ、余っても来年使えるしね。


午後7時。
子供たちの訪問がやっとひと段落したところで、お出かけの準備を整えてPartyへ。
日本人主婦仲間のEさんのお宅はいつも完璧なセッティング。季節ごとのしつらえがそれは見事で感心する。


そんな家の中のデコレーションをちょっとご紹介。




 

 




 


ゲストの持ち寄った一品やホストが用意してくれた素敵なお料理の数々。


(注)クモは本物ではありません。

 

 




私たちのコスチュームは結局こんな感じに・・・


“マトリックス”というよりは、謎の牧師とMr.マリック(爆)





 
Pちゃん本人は結構お気に入りの様子で、「カッコイー」とか言われてすっかりその気になり
ほかのゲストの人たちと談笑していた。
ほんま、誰が血眼になって探してやったと思ってんだよ~!(笑)



集まった人たちと最後に記念撮影




ホストのジョンとエミ。完璧なホストありがとう!
最高に楽しい時間でした。



ハロウィーン日米比較

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日本語を教えているアメリカ人のご婦人と、ハロウィーン談義。

私の質問は、「いったいいつからお菓子を配る習慣になったのか?」
彼女いはく、「私が子供の頃はかぼちゃをカービングして飾るくらいのささやかな行事だった」らしい。
ということは、ここ30~40年くらいで“お菓子配り”は急に広まったことになる。
サンタクロースがコカ・コーラ社に仕組まれたキャラクターで有名なように、きっとハロウィーンもキャンデー会社によって巧妙に仕組まれた罠なのかもしれない。
それでなくても、アメリカは何かのパレードなどがあるたびにキャンデーを道端にばらまく習慣がある。食べ物を子供たちに投げ与えるというのは、どうも私的には見ていて不愉快なのだが。

それにしても、見るからに体に悪そうなキャンデーを、すでに肥満気味の子供たちに与える判断は大人としては余りにも無責任な気がして、我が家は今年から「ノー・キャンデー主義」。
それを彼女に話すと、彼女もいたく納得していた。

そして私のふたつめの質問は、「あの山ほどあるキャンデーを子供たちは本当に食べきってしまうのか?」だ。
すると彼女は、
「二人の息子がまだ小さかった頃、(翌日からは)毎日2個まで、と決めて食べさせていたの。それで11月の終わりに残ったキャンデーはもったいないけど全部捨てていたわね」
すると当時5歳の次男はこれに対して激しく抵抗し泣き叫び、どうしてももっと食べたいとだだをこねたそうだ。
あまりの暴れぶりに彼女は、
「そこまで言うなら好きなようにしなさい。どうなっても知りませんよ」と答えて放っておいたところ、好きなだけキャンデーをむさぼった次男はその後嘔吐し、寝込んだらしい。ものすごいオチ。
今となっては笑い話だけれど、本当は笑えない。

「子供たちが楽しみにしているのはわかっているけど、もったいない話よね。世界にはキャンデーも食べられない飢えた子どもたちがたくさんいるというのに」
全く同感だ。
とはいえ、子供たちの楽しみを奪うのもかわいそうだし親もどうしていいのかわからなく続けている、というのが現状のようだ。

日本ではキャンデーを配ることよりも、「コスプレ」のほうがよりメジャーになってしまったハロウィーン。
結局は大人たちの姑息な儲け根性で踊らされているだけなのかも。。。
何のためのハロウィーンなのか、日本に必要な文化なのか?よく考えて文化を輸入してほしいものだ。



★ついでに、ハロウィーンについて以前に書いた記事を紹介します。

「ハロウィーン日米比較」



 ついひと昔前までは外国のお祭りだったのに、いつのまにかすっかり日本の秋のメインイベントに定着してしまったハロウィーン。
ハロウィーンがここまでメジャーになった背景には、そもそもお祭り好きで、経済効果が望めそうなものにあっという間に飛びつく日本文化が影響しているといえるでしょう。日本人は古くから、外来文化をうまく独自のものと融合させて取り入れることに天才的。「神道」と「仏教」を合体させてしまった宗教観の寛容さにも、それがよく表れています。良く言えば柔軟性に優れている、悪く言えば節操がない文化、といったところでしょうか。

 このハロウィーン、もともとはアイルランドの古代ケルト人が一年の終わりを10月31日と定めたのが始まり。この日は死者の霊がこの世に戻って親族を訪れたり、悪霊が子供をさらったりすると考えられていました。そこで死者の霊を導いたり悪霊を払ったりするために焚き火を焚いたのが、あのおなじみの「ジャック・オ・ランタン」と呼ばれるかぼちゃ提灯の起源。元は蕪(かぶ)だったそうですが、アメリカにわたった際によりなじみの深いかぼちゃにすり替わったのだとか。さすがアメリカ、文化の“すり替え”はちゃっかり行われていたのです。




 さて、本家本元イベント好きのアメリカ人の血が一気に爆発する年末、ハロウィーンはその幕開けの大事なイベント。9月を過ぎると家々は不気味なデコレーションを競い始め、当日は仮装した子供たちが「Trick or Treat(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と言いながら近所を訪問してキャンデーをたらふく集めて回ります。近所とはいえ子供が見知らぬお宅を一軒一軒回るのですから、コミュニティーでは細かいルールが決められています。ちなみに私の住む地域のルールは、1)「Trick or Treat」は3時から7時まで。2)小さな子どもは必ず保護者と一緒に回ること。3)マスクなどの被り物をなるべく避け、顔にペイントすること。4)暗くなってからの訪問時は服に反射器などをとりつけておくこと。5)個人の庭や置物などの所有物に触れないこと。6)訪問は礼儀正しく。7)交通ルールを守ること。8)訪問歓迎の家は玄関灯を点けて合図にすること。― 事故なく楽しく終わらせるため、「徹底して子供たちを守る」という地域の団結力をひしひしと感じます。また同時にハロウィーンは、ご近所との対話や子供たちの成長を確認するという大切な機会を与えてくれています。3歳くらいの女の子にキャンデーを渡してあげたら、「キャンデーをもらったら“ありがとう”って言うのよ」と、一緒に回っていたお姉ちゃんがそばでやさしく教えてあげていて、なんだか心がぽっと温かくなりました。

 日本ではまだまだ、ただの「仮装行列」の域を出ないハロウィーン。イベントだけをただ輸入するのではなく、本来の意味を知り地域ぐるみで覚悟を決めて支え合うと、もっと世代を超えて長く親しまれるお祭りになるのではないでしょうか。(S.N)

オープンシカゴ2014

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もうかれこれ3週間以上前の話になってしまったが、シカゴで「オープンハウス」という建築物を無料で見て回れるラリ―イベントが行われ、Pちゃんと一緒に参加してきた。
シカゴは言わずもがなの建築の街。1871年の大火でほとんどが焼失した市内を復興させようというムーブメントに、建築家たちが集まって再起を手助けしたことで数々の名作が生まれ今もなおその姿をとどめている。
そんな素晴らしい建築物の数々を、二日間は無料で出入りでき、また詳しい説明もきくことができるという素晴らしいイベントだった。
一からまた説明するのは面倒くさいので、このイベントに関して書いた記事をご紹介します。

↓ここをクリックしてどうぞ。↓

”無料建築ラリー” ~オープンハウス・シカゴ 2014

サンクスギビング2014

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11月27日

今年のサンクスギビングはちょっとだけ手抜き。
でも、そもそもサンクスギビングのお料理はアメリカ開拓時代にネイティブインディアンから伝授された質素な食事がそのいわれなので、ま、よしとしよう。




ターキー(七面鳥)の丸焼き
赤いものブルーチーズソース
インゲンと赤・黄パプリカのキャセロール


青森のお土産に頂いてとっておいたおいしいコーンスープ!








食卓が寂しいのでスモークサーモン手巻き寿司

12月は走る。

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サンクスギビングが終わったシカゴには、毎年一大イベントが待ち受けている。
世界最大級の「RSNA2014(北米放射線学会)」が12月1日から5日間開催され、世界各国から医療関係者がシカゴに大集結するのだ。
その数なんと、約6万人!
この週はシカゴが外人(?)だらけになり、ホテルやレストランは数か月前から予約で超満員、一般の人たちが予約を入れる余地もないほどだ。
特に今年は第100回という節目にあたるため、通常よりも参加者が多いのだそうだ。
そういえば、去年もこの時期日本レストランに行ったら背広を着こんだいかにもその方面の方、といった日本人が大勢で飲んでいたっけ。

さて、今年私は、この学会に自社の製品を展示・販売する日本の某大手メーカーの事務局お手伝いをするため、4日間シカゴのホテルに滞在することになった。
仕事内容は、ちょっとした通訳やレストラン予約、事務局本部のメンテナンス(軽い食事や飲み物の用意)、ホテル内の会議室で行われる各種会議のセッティングとそれらの確認、その後行われる商談Dinner Partyのセッティングや飲食の手伝い・・・・といった雑用一般。
とはいえ、朝は7時すぎから毎日入れ替わり立ち替わり会社の人たちがやってくるので目の回る忙しさ。ゆっくりランチを食べる暇もないほど。
まさに怒涛の4日間だった。



ホテルの部屋からシカゴ川がきれいに見える

この学会・展示会に参加するメーカー側の主目的はもちろん自社製品の売り込み。
普段はなかなかお目にかかれないトップドクターたちとアポイントをとりつけ、あの手この手で接待して商談をまとめようという気合がまたすさまじい。
もちろん彼らは1週間のシカゴ滞在の間、市内を観光して歩く暇など微塵もなく、毎日が会議→接待の繰り返し。いったいいつ寝ているのだろう?
朝早くから目を真っ赤にして事務局でカップめんをすするという、まさに“ザ・ニッポンのサラリーマン”の姿を久しぶりに見た気がする。

さて、私はそうはいってもせっかくシカゴに滞在するのだからもちろんこの機会を利用して夜はライブを見に出かけた。
この時期はどこのライブハウスもコンベンション客を狙って一流どころをそろえて待っているので、こちらもうひゃうひゃだ。


第1日 11月28日(金)


大好きなルリー・ベルを見にBLLUESへ。



そんでもって大好きなドラマーのウィリー・ヘイズと久々にツーショット写真を撮り・・


彼の奥さん、デビーとも久しぶりにいっぱいおしゃべり。
結局なんだかんだと帰れなくなって最後まで。ホテルに戻ったら2時半過ぎだった・・・



第2日 11月29日(土)

 

昨夜と同じBLUESへ、デミトリア・テイラーを見に行く。
彼女とは今年の夏一緒に青森のブルース・フェスティバルに行った仲。
私の撮る写真を何故か気に入ってくれていて、近々作る新しいホームページ用にステージ写真を撮ってほしいと正式に頼まれていたのだった。
今晩のデミトリアは気合が入っていた。のどの調子がここ数日悪いらしくしんどそうだったけれど、それでもあれだけの盛り上げてしまうのはさすがだ。
そんでもって、やっぱり2時ごろまで。





第3日 11月30日(日)

この日はT社のPartyのお手伝いが夜遅くまであり、それが終わってから仲間とホテルのバーで一杯・・
のつもりが、2杯、3杯になり、結局1時半。


今年の冬初のシカゴ名物“Hot Toddy”(ウィスキーのお湯割り+はちみつ+レモン)



~翌日をもって一応私のお手伝い期間は終了し、久々に家でゆっくり寝たおした。



12月2日(火)は、昼間は家でお仕事もろもろ。夜からまたシカゴへ。
今日は絶対にはずせないカルロス・ジョンソンのライブを見に出かけるのだ。
彼のバンドともこの夏は青森で一緒だった。みなさんと久々の再会!


 
客席を回ってソロを弾きまくるカルロス。
私に気づいて熱のこもったソロをたっぷりと捧げてくれた。彼の心の声をひとりで受け止めてニヤニヤしてしまった。

1stステージが終わった休憩時間に、今年のジャパン・ブルースフェスティバルのDVDをやっと渡すことができた。
「最後までいるかい?」と聞かれたので
「今日はお客さんと一緒だからあと3~40分で出てしまうかも」と言うと、
「次のステージで2曲くらい聞いてから帰ってよ。君のために歌うから」と優しいお言葉。
その言葉通り、2ndステージでは即興のブルース。

「ショーコ、そこに君の笑顔が見えるよ~♪」
いやぁ、とろけそうでした。なんたる贅沢。ありがとう、カルロス。



昨日まで一緒に机を並べて仕事をしていたT社のH氏と3人で最後に記念写真。彼は大のブルース好きでほぼ毎晩シカゴブルースを一人で堪能しているという。
この日のライブを先日お勧めしたところばったりと入口で遭遇し、一緒に最後までライブを楽しんだ。


黒人は虫けらなのか?

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今、アメリカは荒れている。
黒人に対する白人の憎悪が、ここしばらくないほどに膨れ上がっている背景には、どうやら黒人初の大統領となったオバマ大統領への憎しみがあるようだ。
米ブルームバーグの最新の世論調査によると「オバマ氏が大統領になって人種間の対立が悪化した」と回答した人が53%と過半を超え、人種別では白人で56%、黒人で45%が悪くなったと答えた。変わらないが36%。少しよくなったが6%、かなりよくなったは3%にとどまったという。

8月に米ミズーリ州ファーガソンで18歳の黒人、マイケル・ブラウンさんがおもちゃのピストルを公園でもっていただけで、いきなりダレン・ウィルソン警察官(28)に射殺されるという事件が起こった。
同州の大陪審が警官を不起訴とする判断を下したことを受け、ファーガソンではデモ隊の一部が暴動に発展した。

そしてさらに、ニューヨーク・スタテン島でも無抵抗の黒人男性が警察官数人に取り囲まれて、そのうちの一人に首を締め上げられて死亡するという事件の映像の一部始終がソーシャルメディアに流れて再び大きな抗議行動へと発展した。
ニューヨーク市警では警官による首絞めを禁じており、これは明らかに規定違反であり「殺人」行為。亡くなったエリック・ガーナーさんはぜんそく持ちだったこともあり、けい動脈圧迫が死につながったとみられている。

この事件は昨年の7月に起こったもので、1年以上もたって初めて明るみになったのは「証拠映像」がさまざまなソーシャルメディアに出回ったことにある。
つまり、「撮影されていたから」明るみになったわけで、そうではない闇に葬られているケースが一体どれほどの数に及ぶのかはまったく想像できない。

シカゴでもあちこちで抗議運動が続いていたが、なんだかそれを見ていてもただただむなしくなるばかりだ。


アメリカに住んでいて最近つくづく思う。

アメリカでは黒人には人権はないも同然だ。
そして、これは永遠になくならないのだ、と。
悲観的なようだが、これだけはもう首を横に振るしかない事実だ。
どんなにきれいごとをいったところで、差別はなくならないのだ。
50年たって、黒人への殺戮方法が変わっただけ。木に吊るされるかわりに、銃で撃たれるようになっただけだ。

先にも述べたが、これはオバマ大統領になって加速したといえる。

どんなに正しいことをやっても、景気が回復しても、失業率が改善されても、ガソリン価格が下がっても、オバマのやったことはすべてが気に食わない連中が、中間選挙で勝ってしまった。
共和党の雑魚どもは、心のどこかで「この黒人野郎め」と舌打ちしながら、オバマ大統領がアメリカを前進させようとすることを力づくで阻もうとしているのだ。
この憎悪の炎は、本当に醜い。

ブッシュのやったことを見てみぃ?彼らの政権の人たちはみな〝War Criminal(戦犯)"じゃないか。
どんなアホでも白人はいいのである。
本物の銃を警官に向けても、警官は撃たずにこういうのだ。
「話し合おうじゃないか」と。



(c) 2014 Cable News Network

クリストキンドル・マーケット~ドイツのクリスマス市

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今年も行ってきました、クリストキンドルマーケット。
http://www.christkindlmarket.com/en/

毎年この時期、ドイツ、ニュルンベルクのクリスマス市場がそのままシカゴのど真ん中にやってくるのだ。
今年のシカゴは、昨年の今頃に比べると異常なほど温暖で、先週末などは最高気温が9℃にまであがったほど。氷点下にならないシカゴの冬なんて、なんだか冬っぽくないのだがこういう屋外でのマーケットをぷらぷらするにはもってこい。
というわけで、急きょふたりで恒例のクリスキンドルツアーへ。






皆同じことを考えるのか、会場は惜しくらまんじゅう状態だった。


「不細工なクリスマスセーター(Ugly Sweater)」というのはあるけれど、クリスマスパジャマ?のカップル。


  

本場ドイツからやってきたさまざまな工芸品、お菓子、アルコール類の屋台が50軒以上ぎっしり並ぶ。



毎年の楽しみは、名物の「ホットワイン」をその年オリジナルデザインのマグカップで飲むこと。
強者になると過去のマグカップを持ってきて、中身だけ注いでもらう(リフィルだけは6ドル)
左から2013年、2007年、そして一番右は2014年。

   


まぁなんですな、私にとってこのクリストキンドルマーケットは、「えべっさん」に行くような感覚。
人ごみの中をかき分けかき分け、来年の無病息災をシカゴの街にお祈りしてきたのでした。


クッキー交換会 (Cookie Exchange)

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12月ってどうしてこんなに公私ともにイベントが多いんだろう。
“師走”って本当に文字通りだと実感するこの頃。

先日、日本人のお友達のうちの「クッキー・エクスチェンジ」に初参加してきた。
このクッキー交換会は12月のホリデーシーズンにアメリカでは伝統行事のひとつで、仲の良い人たちが自分で焼いた「我が家の」クッキーを持ち寄ってみんなで交換するというもの。
クッキーを交換するというより、たまには集まっておしゃべりしましょうよ、というミーティングでもあるのだ。
甘いものに全くといっていいほど執着もない私は、お菓子を自分で作る、焼くという行為が大の苦手で、もちろんそれを他の人に食べていただくなどもってのほか。
というわけで、今まではこの会には参加せずにいたけれど、今年は特別な理由もありぜひ参加したかったので
“行きます”の返事をしてほとんど人生初のクッキー初挑戦。
クックパッドをみて、できるだけ簡単そうなものを選び、失敗しないようにテストまでして焼いてみたのがこれ。



ドイツのクリスマス定番クッキー“Vanillekipferl(バニラ風味の角型クッキー)。”

このアルミの入れ物は、数年前にPちゃんのバークレー時代の指導教授であるハーブ教授の奥様、エミリアがドイツのクッキーを焼いてくださったときの容器。
Pちゃんの両親が住むドイツ・アーハンの世界遺産、市庁舎がかたどられている。



みんなの焼いたクッキーはご覧のとおり。










そしていつもながらお友達の見事なまでのテーブルセッティング。










まさにため息もの。
ここまでのデコレーションは私などには到底まねできない。
お友達の家にご招待いただくたびに、その人のあふれんばかりのホスピタリティーとセンスを体いっぱいに感じる。
人をお招きするという事は、その人の心の中を見せるという事。
本当にお見事。
そしていつまでもいたくなる楽しい企画もあって、和やかなランチタイムをゆったりと過ごした。

ありがとう 




郊外妻たちのためのシカゴ・クリスマスツアー

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あっという間に今年ももう年末モード。
この12月は全くというほど雪が降らなかった異常気象のシカゴ。30年ぶりの「雪なしの12月」だったそうだ。
去年は異常低温にスノーストームと大変な冬だっただけに、それはそれで肩透かしにあった気分。

今年はもうシカゴに出かけることもないかなと思っていた矢先、近所に住むある日本人の主婦友からこんな一言。
「シカゴに長く住んでいるのにまだ一度もシカゴのクリスマス見に行ったことない。今度ツアー組んで。いつか行きたい〜」

いやいや、まだ間に合いまっせ。
いつかなんて言わず、今年できることは今年のうちにしておかなきゃ。ということで、急きょあるツアーを企画してみた。
「郊外妻たちのためのシカゴ・クリスマスツアー」

去年、某TV局の仕事でコーディネートした内容をふまえて、半日でシカゴのクリスマスを堪能するという内容。
決行は12月22日、月曜日。
子供たちの学校もすでにお休みなので、お迎えの必要もなし。というわけで集まった4人の郊外妻たち、私のプリウス号でシカゴへと向かう。
お天気はあいにくの雨(でもこの日がサンタ電車の最後なので強行したのだが・・・)

正午。郊外を出発、約45分でシカゴダウンタウン着。
早速向かったのは、State通りにあるデパート「Macy's」。
このMacy'sは、昔は「マーシャル・フィールズ」と言う名の老舗デパートだったのだが、その後Macy'sに売却された。マーシャルフィールズはシカゴアンたちに長く親しまれていたため、いまだにこの名で呼ぶ人も多い。
さっそくMacy's7階にある「Walnut Room(ウォルナット・ルーム)」へ。
創業1907年、デパートの中にオープンした初めてのレストランで、当時から買い物客だけでなく多くのシカゴアンの癒しの場所になっている。なのに、この存在は意外と知られていないのが不思議。
ここのメニューのなかでも特に有名なのが、1890年から続く「チキン・ポットパイ」。当時ここの従業員であったMrs. Heringがお客に出して人気となり、それ以来レシピを守り続けているという母の味だ。
チキンと野菜の入ったホワイトスープをパイ皮で包んでオーブンで焼いたシンプルなもので、冬場はほっこりと体があったまり食欲もきっちりと満たしてくれるのがうれしい。



2階吹き抜けに飾られた巨大なクリスマスツリーが目を楽しませてくれる。


それにしてもこの日の混雑はすさまじかった。
1時すぎに行くと、フロアーにすでに長蛇の列。まるでディズニーランド状態。
22日といえばすでにクリスマスホリデーに入っているため家族連れも多く、買い物客ともどもごった返していて大変な騒ぎ。
なんとか列に並んでやっとのこと前に進んだと思いきや、「今並んでもらっても入れません。次にご案内できるのは6時半から7時の間になります」と店員に冷たく言い放され呆然。
じゃ、何かい?私たちも含めてこのず~~~っと後ろまで並んでいる人たちはここにたどり着くまでそんなことも知らずにただ時間を浪費したことになるのかい?
いかにも、こういうホスピタリティーのなさがアメリカらしい。日本なら「ここからうしろはこの時間にはお食事ができません」と並んでいる人に説明に来るのが当たり前。
でも、そんな「当たり前」はここにはない。長く住んでいると、こんなことに腹を立てる気もしない。
それどころか、私にはもう一つの秘密の鉄則がある。


アメリカでは一人の言ったことを絶対信じるなである。
まったく無責任なウソを平気で言うやつのいかに多いことか。そもそも、自分には関係ないもんねー、という基本姿勢なのだから。
そこで、再度違う店員をつかまえて「6時半まで入れないって聞いたけれど本当なの?」と問いただしてみたところ、
「Barなら(未成年がいなければ)待てば入れますよ」という返事。
ほらね?
すぐにBarに走りいかにも責任者ぽいオネエさんに「大人4人、Barで食事したいからよろしく!」と告げてすぐに名前をリストに入れてもらった。自ら動いた人間のみが目的を達成できる仕組みなのよね、アメリカってとこは。



ようやくありついた噂のチキンポットパイ($12)。味は・・・「別に普通だよね」で意見が一致。
しかも、“作りだめ”しておいてチンしたのが丸わかり

ここでかなり時間をロスしたため、Macy'sを出たのは3時半ごろ。
雨もちょっと本降りになってきて外はもう薄暗くなっていた。

次に立ち寄ったのは、ミレニアムパークのミシガン通りを挟んで向いにある「シカゴ・カルチュラルセンター」。
1897年に町の最初の図書館としてオープンした、シカゴの歴史的建造物のひとつ。
現在は旅行客のためのビジターセンターを含む多目的なホール&文化施設として使われており、無料で様々なプログラムが楽しめる。
インターネットも接続放題で、ちょっと歩き疲れて休憩をとりたいときにボーっとするには最適な穴場的場所だ。
ここの3階の「Preston Bradley Hall」にあるティファニー製ドームは3万のガラス片からできており、直径11.5mと世界最大。




そのまま「シカゴ美術館」へとミシガン沿いを歩き、あの狛犬ならぬ「狛獅子」前で記念撮影。
このライオンはシカゴのトレードマークともなっていて、季節ごとに装いを替えて旅行客の目を楽しませてくれる人気者。
今の季節はホリデーバージョン。




このあたりから雨がひどくなり、やむなくぶらぶら歩きを断念してタクシーで「トランプタワー&ホテルへ」。
このタワーのエレベータのうちの一基が、このシーズンは本物のジンジャー・ブレッドで覆われる「ジンジャーブレッド・エレベーター」になるのだ。
これも実は、あまり誰にも知られていないシカゴ名物。
なんでもっと宣伝しないのかが不思議。(居住者に気を遣っているのかも)



中はこんな感じ。全て本物でできていて甘い匂いが・・・



セルフィー棒を使ってクリスマスツリーと一緒に記念撮影。うまく使えずにすったもんだ大盛り上がりの巻。


トランプのあとはまたステート通りに戻り、再び「Macy's」の有名なホリデー・ショウウィンドウちら見しつつ、いよいよ本日のメインイベント「サンタトレイン」へいざ!
このサンタトレインというのは、シカゴの地下鉄会社のホリデー企画で、電車の車輛にサンタさんが乗った車両を連結して走る電車。毎日違う路線でしかも一日に数本だけ走るので、見かけた人は超ラッキー。
そこで、前々からネットでこの日サンタ電車が出現する場所と時刻を念入りに調べあげておいた。
計画は、この日のルート“Red Line”のLake駅でサンタ電車を待ち受け、ここから乗車して北上、バーモント駅までいったところで再びループに引き返すというもの。
Red Lineはダウンタウン内では地下を走るルートだが、北上するにつれて地上に出る。この時にホームからシカゴのダウンタウンの夜景をバックにサンタと写真を撮るのが私のたてた完璧な作戦だった。

しか~し。である。
ラッシュアワーでごった返すLake駅で待つこと10分、このサンタ電車が待てど暮らせど来ない。
「あと5分」と掲示板に出るのに、その後は「63rd駅でドアの故障が見つかり到着が遅れています」のサインが出るだけ。
仕方なくカメラをいじっていると、Eちゃんが「あっ」と小さな叫び声をあげた。

「あれじゃない~??」

見ると、何の前触れもなしにキラキラ光る物体がこっちに向かって走ってくるじゃあーりませんか。
それは紛れもないサンタ電車。
すごい勢いでホームになだれ込んだかと思うと、たった2両編成のその光る物体はそのまま駅を通過。


え?な・何?

一瞬目の前で起こったことが理解できずに戸惑う人たち。
ホームでカメラを構えていた、いかにもサンタ電車目当てだった親子連れも「今のがサンタ電車だったよね。でも行っちゃった」と呆然としている。
その後係員に事情を聞こうにも、日本と違ってホームに当てになる人が誰もいない。
またかよ、アメリカ!
この一瞬のために私たちは郊外からわざわざやってきたといふのか??
そんでもって、払わなくてもいいFeeを払ったと?(もちろん返金されるはずもなし)
しばらくなすすべもなくホームにたたずんでいたものの、もう戻ってくる気配もない。
サンタ電車がだめならサンタバスだ!と、予定はしていなかった「サンタバス」を捕まえる作戦に変更。スケジュールによると、最終のサンタバスがネイビーピアから6:30pmに出発し、ユニオンステーション方面に向かうらしい。
そこで私たちは雨の中、ミシガン通りでこのバスの到着を待つことに。
待つこと約15分、“124番”のバスがやってきた。

めっちゃ普通のバスやん・・・!

嫌な予感は的中した。
バスドライバーに「サンタバスはどうなったの?」と聞いても、「知らなーい」との返事。
バス会社に問い合わせたけれど、「サンタ?What?何のことだかさっぱり」と話にならん。

シカゴ市よ。CTAよ。
冬のシカゴを売り込みたい気持ちも痛いほどわかる。
ホリデーイベントを考えるのもいい。
それなら、ちゃんと予定通りに事を実行しろー!
そして全ての従業員と情報を共有しとけー。
ったく、全てにおいて仕事が甘い!


これが「来るはずだった」サンタバス 

サンタに立て続けにふられた私たちは、かなり凹みつつもこの日最後のアトラクションへ。
やってきたのは1996年から始まった本場ドイツのクリスマス市「クリストキンドル・マーケット」。
シカゴに住んでいながら意外と行ったことのない人が多いイベントの代表格ともいえる。(今年からOak Brookでも開催されている)
先週来たときは温暖だったこともあって激混みだったけれど、この日はあいにくの雨とあってさすがに人も少な目。



一番楽しみにしてたのが、あの名物「ホットワイン」。と・こ・ろ・が~
なんと、お目当てのワインマグがすでに品切れ状態だといふではないか!
聞けば、すでに先週の水曜日でout of stockになったとのこと。
まだ開催期間1週間を残して何とお粗末なんでしょう・・・と空いた口がふさがらぬ。
すっかりワインそのものまで飲む気を喪失し、失意のうちに雨のデイリープラザをとぼとぼと後にする。
なんて日だ


サンタ電車にもバスにもふられ、やけくそでサンタとだけは写真を撮った(笑)

★★

午後7時半すぎ、今日予定していたプログラムはすべて終了♪


 


最後はダウンタウンのドイツレストラン「Berghoff」で温まりつつ、楽しい食事★


楽しみにしていたものに次々とふられっぱなしの悲しい企画になってしまって、なんだか申し訳ない気持ち。
これをふまえて、来年はもっと楽しいツアーを企画します。

今日のLesson
1)クリスマス直前は避けて、学校が休みに入ったすぐあたりを狙う。
2)サンタトレインはBlue, Brown, Greenを狙う。
3)天気予報を信じる(笑)


またみんなで行こうね!

サンタ電車が素通りした件・・

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先日のシカゴツアーで、最も楽しみにしていた「サンタ電車」が時間通りに来なかったうえ、ホームを素通りするという最悪の事態に、どうしても納得できなかった私。
その日のうちにCTAにメールでクレームを入れた。
アメリカちゅうとこはいいかげんなことがよく発生するけれど、それを「ま、いいか」で済ませているとだんだんと感覚がマヒしてきて、こちらまでいい加減な人間になっていく。
だから、たとえ面倒くさくてもおかしいと思ったことはきちんとフィードバックしないといけないのだ。

私が書いたクレームの要点は、
1)どうしてそういう事態が起こったのか。
2)なぜその場で適切な説明がなされなかったのか。
3)これから何を信じればいいのか。


で、翌日に返事が来た。

Thank you for your comments. We apologize for your poor travel experience. Your information has been forwarded to the responsible General Managers for review and appropriate corrective action. Please note that the Red Line Holiday Train experienced delays due to a door problem on a train at 63rd on the evening of December 22nd. Due to this issue, the train was taken out of service.

Again, we are sorry for the inconvenience.

CTA FEEDBACK TEAM


「その日のサンタ電車は、63rd駅でドアの故障があり、その後の運行が不可能になった。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
これだけかい?とガックリきたけれど、一応迅速に返答が来たことだけは評価してあげよう。

2014年クリスマス

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今年は雪が降らない+寒くない12月だったので、Pちゃんが早めにHolidayライトアップをしてくれた。
雪がないから今一つ雰囲気が出ないのが不満・・・









そして・・・今年も同じポーズのGORO。

プレゼントちょーだい・・


サンタいらんわ

  
これやこれや、これ欲しかったんや。

    
没頭中


今年のDinner・・・

メインは、アーミッシュ・チキンの丸焼き(グリル)
ジューシーでおいしかった~!



このシーズンはドイツの「グリューワイン」(スパイシー・ホットワイン)を買いだめ。
毎年集めているシカゴのクリスキンドルのオリジナルマグカップで飲むのが我が家流。


2014年「紅白」雑感

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アメリカでも大みそかの夜は「紅白歌合戦」を録画で見ることができる。
今年はだらだらと最後の食事をしながら4時間べったりとチャンネルをまわしつつも観戦。

去年もそうだったけれど、
やっぱり美輪明宏(「愛の讃歌」)が圧巻。
出だしだけで涙が出た。
あの人が出る限り白組は勝ち続けるといっても過言ではなかろう。

白が勝つ理由は、メッセージを伝えられる歌い手が多いこと。
女性陣は見た目にこだわりすぎて、肝心の歌がおいてけぼり。

ほかには、長渕剛、サザン、中島みゆき。
いやぁ、よかったねえ。こういうのを「歌」というのだよ、ちゃら系の数だけ多い女子グループたちよ。
もう文句なしによかった。

へのようだったのは、松田聖子と司会の吉高。
松田聖子、始終おたおたして苦しそうに終わってしまった感。
初出場の「青いサンゴ礁」が数倍よかった(笑)
吉高、立ち姿も話し方もふ~らふら。


2015年お正月の食卓

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2015年、あけましておめでとうございます。


去年の夏、カルロス・ジョンソンからもらった帽子をかぶったスノーマン


ついに雪の降らない、積もらない年末年始でした。
それでも気温は-8℃。一番の冷え込みになった大みそか。
珍しく「紅白」なんぞを見ながらゆるゆるとすごし、NYの新年の瞬間を祝ったらそれで終わった気になり、
気が付いたらシカゴの新年が過ぎていた・・・という大マヌケをかましてしまった。

そして、元旦はいつもながらのなんちゃってお節。
お金がないので高いものは買わず、ありものですませた。







壱の重は、
お正月ミートローフ、紅白なます、えびのエスニック焼き、数の子



弐の重は、
ミニ伊達巻、かまぼこ(白のみ)、モッツァレラチーズ&ミニトマトで紅白、鶏の煮物


お煮しめ


お酒は青森の銘酒、「田酒(でんしゅ)」冷やで。


年越しそばを食べ損ねたので、新年早々さぬきうどん。

寒波到来

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12月の暖かさがウソのように、先週末から一気に気温は下がりつづけ今日は「冷却警報」で学校も休み。

マイナス17度。
体感気温マイナス40℃

・・・って、なんぼなんでも無茶だっせ。
さすがのGOROも外に出ると固まった・・・。歩きながらひきつっていた。
こちとら、お散歩させるのも命がけ。
この異常低温、あと2日は続くらしい。

Welcome, Chicago!

幸いにも年末に買い出しした食料が山ほど冷蔵庫にあるため、当分は外に出なくても食べていける。
今日は水炊き&雑炊、そしてグリューワイン(ホットワイン)であたたまった。

シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)とサザン・オールスターズ。

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1月7日。フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」の事務所が襲撃され、同紙編集長と編集関係者や風刺画家、警官2日の計12人が死亡した事件が全世界に大きなショックを与えている。
「表現の自由」こそがフランスの文化であり財産であると自負してきたフランス人にとって、この事件はまさに「フランスの9.11」ともいわれるほどの衝撃的なテロ事件と受け止められている。
フランスはもとより全米でもこのテロ行為に対する大がかりなデモが行われ、「私はチャーリー!(Je suis CHARLIE !)」と書かれたカードを手に集まった群衆は百万人以上にものぼった。

「シャルリー・エブド」はこれまでにもイスラム教の預言者、ムハンマドを風刺した風刺画をたびたび掲載し、事務所を丸焼けにされるなどテロの標的になってきたにもかかわらず、一切ひるむことなく、いやむしろやられればやられるほど以前にも増して挑発的に掲載をつづけてきたという歴史がある。

この一連のニュースを読みながら、「保守的日本人の私」と「リベラルな私」が同居しているのを強く感じ、驚いた。
そういえば、数年前にもデンマークの風刺新聞がイスラム教を揶揄してアラブ諸国で暴動が起こったことがあるな、と以前の日記を紐解いてみたら・・・・なんと私は「保守的な日本人」として一方的に怒っていた。

“解り合うこと。”(2006年2月11日)

「いかなる理由があっても暴力的な手段による報復は許しがたいが、だからといって知識人ぶった顔で「言論の自由でしょ」という編集者の態度も、それ以上に許しがたいものがある。」
と。
2006年2月。約9年前の私だ。

今の私は、「風刺はカルチャー。その表現の自由はいかなる圧力にも負けてはならない」だ。
宗教を持たない私にとって「ジーザス」も「ムハンマド」もどうでもいいっちゃいいのだが、しかし当人(信じる人たち)からすれば「神」を辱められる行為は屈辱的で許しがたいものだろう。それは理解して余りある。
しかし、「シャルリー・エブド」はイスラムだけを風刺してきたわけではない。
キリストも、法王も、全て風刺の対象になってきた。もちろんそのたびに“配下の人たち”からは厳しい批判を受けてきたわけだが、その編集方針は創刊当時から一貫して"all components of left wing pluralism, and even abstainers"(様々な左派の見解、さらには政治的無関心な人の見解を反映すること)であり、ぶれは一切なかった。
だから、「謝ってその場を逃れる」という卑怯な行動も決してしなかった。
どんな批判にさらされようと、どんな脅迫に合おうと、自分たちの編集方針をみじんもかえることはなかった。

話はそれるが、この事件に関連してフランス在住のジャーナリストが書いた興味深いブログを読んだ。
この事件をただの「風刺画でイスラム教を馬鹿にした出版社がその報復に合った事件」と受け止めてはいけない、その背景にあるフランスという国、国民の“生命線”を正しく知る必要がある、という内容だった。
その国に住まなければ見えてこない本当の「裏の裏のカルチャー」は必ず存在する。今回の場合、フランスが移民に対して行ってきた政策などにも深く入り込んで考えなければ一概にこの事件(違う宗教や文化を信仰し続ける移民との不和・衝突)は語れないという意見に激しく同意した。
私自身、他国生活が長くなったことも大いに影響している。


そんなフランス国家の、国民の「戦う姿勢」を目の当たりにしている同じときに、日本からはまったく逆のニュースが流れてきた。
サザン・オールスターズの年越しライブでいろいろな「不遜な」行為があった事に対し抗議運動が起こり、最後にはサザンの事務所および桑田氏が謝罪コメントを寄せるという結末になったという。(1月15日)

日本ではシャルリー襲撃事件にからんだ“表現の自由”の抗議デモは起こっていたのだろうか?と想いを馳せている、まさに時を同じくしてのこのニュース。
正直もう、ガックリきてしまった。
日本もここまで堕ちたのか。

桑田圭祐という人、人となりを、日本国民は長い間見てきて知っているはずである。
社会風刺やときにはシャープなユーモアを織り交ぜたパフォーマンスをする人であることも。
それを、その“芸風”が批判の対象になるとは。事務所前で抗議運動?誰に謝れというのか?
初めから謝るようなことならしなければいい、そんなことをするような人ではない。なのに、ことを丸く収めるために事務所はさっさと謝ってしまった。

いったいなんなのさ?こっちのほうが国民をばかにしてやしないか?

結びの一文。

「すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。」

なんだ?この屁のような文句は?恥を知れ!


全国民をしてどんな圧力にも立ち上がる強さを見せつけたフランスと、ステージパフォーマンスにまでつまらないケチをつけて抗議行動にパワーを浪費している日本人の差を、まざまざと見せつけられた気がする。

私は口惜しい。情けない。
日本よ、どこへ行くのだ?





●以下、お詫びの全文

サザンオールスターズ年越ライブ2014に関するお詫び


いつもサザンオールスターズを応援いただき、誠にありがとうございます。

この度、2014年12月に横浜アリーナにて行われた、サザンオールスターズ年越ライブ2014「ひつじだよ!全員集合!」の一部内容について、お詫びとご説明を申し上げます。

このライブに関しましては、メンバー、スタッフ一同一丸となって、お客様に満足していただける最高のエンタテインメントを作り上げるべく、全力を尽くしてまいりました。そして、その中に、世の中に起きている様々な問題を憂慮し、平和を願う純粋な気持ちを込めました。また昨年秋、桑田佳祐が、紫綬褒章を賜るという栄誉に浴することができましたことから、ファンの方々に多数お集まりいただけるライブの場をお借りして、紫綬褒章をお披露目させていただき、いつも応援して下さっている皆様への感謝の気持ちをお伝えする場面も作らせていただきました。その際、感謝の表現方法に充分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があった為、不快な思いをされた方もいらっしゃいました。深く反省すると共に、ここに謹んでお詫び申し上げます。

また、紅白歌合戦に出演させて頂いた折のつけ髭は、お客様に楽しんで頂ければという意図であり、他意は全くございません。

また、一昨年のライブで演出の為に使用されたデモなどのニュース映像の内容は、緊張が高まる世界の現状を憂い、平和を希望する意図で使用したものです。

以上、ライブの内容に関しまして、特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図は全くございません。

毎回、最高のライブを作るよう全力を尽くしておりますが、時として内容や運営に不備もあるかと思います。すべてのお客様にご満足いただき、楽しんでいただけるエンタテインメントを目指して、今後もメンバー、スタッフ一同、たゆまぬ努力をして参る所存です。

今後ともサザンオールスターズを何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社アミューズ

桑田佳祐(サザンオールスターズ)

加藤登紀子さんとのひととき。

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先週の日曜日(1月11日)、シカゴ商工会議所の毎年恒例の新年会がありその取材に行ってきた。
ここに呼ばれるのは3年ぶりだった。
今回は何が楽しみって、日本からのゲスト加藤登紀子さんのステージを生で見られること。
大昔、大阪で一度加藤さんのステージを見たことがあったがそれ以来だ。


今年で芸能生活50周年を迎える加藤さん。
今年いっぱいは、50周年記念のコンサートやツアーなどがぎっしり詰まっているご様子だが、その最初のステージがここシカゴということにとてもご縁を感じてしまう。

シカゴはここしばらくマイナス20℃という極寒の日々が続いていて吹雪く日もあったので、果たして無事にいらっしゃれるだろうかと心配していたけれど、ご本人のブログを読んでみると何のトラブルもなく無事に到着されたうえ、凍てついたミシガン湖やシカゴ川などを見て回ったり、夜はブルースを聴きに出かけたりと精力的に行動されていた様子。
さすがに“プロの旅人”。限られた時間のなかでもちゃんとその土地を体で感じることを惜しまない人なのだ。




さて、新年会当日は寒さも安らいで-2度くらい。これが暖かく感じるのだからもう私の体もどうかしている。
商工会の会員やその家族約800名の方たちがホテルのボウル・ルームに集まり、豪華ランチをいただきつつ様々なプログラムを楽しんだ。

そしていよいよ加藤さんのコンサート。
深紅のドレスに身を包み、ステージ袖から颯爽と登場するや「百万本のバラ」を歌いながら広い会場を歩いてテーブルのお客さんにニッコリ。
続いて『島唄』(THE BOOM)、『時には昔の話を』と続く。




ステージに戻り、これまでの50年を振り返ってデビュー当時の頃の秘話を語ってくれた。
彼女がまだ東大の学生だった20歳の頃、父親が内緒でシャンソンコンクールに申し込んだ。
「人生はおもろうないとあかん」という父の言葉に妙に納得し、優勝特典のヨーロッパ旅行につられて出演し、エデット・ピアフを歌ったところ落選。
審査員に「あなた、お家に帰って自分の顔を見てごらんなさい。赤ん坊の顔をしているわよ」と言われた。ピアフを歌えるほど熟していない、と理解した加藤さんは、それから1年間一生懸命歌を歌い込み、翌年“年齢に合った”選曲で優勝、念願のヨーロッパ旅行を手にする。
1965年、21歳で歌手デビュー。

旅先のヨーロッパで、人々が街角でギターを弾き語りするのを見て憧れ、帰国後はギターの猛練習。
自らのギターで歌うスタイルをものにした。
その頃を懐かしむように、『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』を情感たっぷりにギターで弾き語り。会場の人々も一緒に口ずさんだ。



69年、世の中をあっと驚かせた、学生運動のリーダー藤本敏夫氏との獄中結婚。
初めてのデートでのキスばな(話)や、彼が歌ってくれた『知床旅情』にショックを受けたとなどを懐かしそうに語る加藤さん。
ここまで一筋に愛せる人と出会い、添い遂げた加藤さんは、女性として何と幸せな人なのだろうと私は心底うらやましく愛おしく思った。
この人は「出逢いを持っている」ひとなのだ。
出逢いを引き寄せ、出逢った人を巻き込んで時代を作り出してしまう、産まれながらそういう運命にある人なのだと、お話を聞きながらしみじみ感じた。



『難破船』、『わが人生に悔いなし』・・といずれも他の歌い手のためにささげた2曲が続く。
『わが人生に悔いなし』― 石原裕次郎さんのために作曲したこの曲は、この日一番リクエストの多かった曲だそうだ。
なかにし礼さんが晩年の裕次郎さんと二人きりで話をして書き上げた詞に、加藤さんが曲を贈ったという。



長かろうと短かろうと、わが人生に悔いはない。
夢だろう現実(うつつ)だろうと、わが人生に悔いはない。♪


このあたりからカメラが涙で濡れてもうあかん、状態になりいったん席に撤収。


このあと、スクリーンで高倉健さんや森繁久彌さんとの懐かしい映像が流れ、その秘話に場内は笑ったり泣いたり。
このおふたりは、奇しくも同じ11月10日に亡くなっているという偶然がまた、何かを示唆しているようだ。


コンサート後半には、東日本大震災の映像とともに「今どこにいますか」を熱唱。
震災の記憶を風化させないようにと毎年続けている東北ツアーのお話を交え、復興のシンボル、鯉のぼりが舞う町の風景を歌った『青いこいのぼりと白いカーネーション』、『愛を耕すものたちよ』と続くころには、加藤さんの歌声も涙でふるえているのがわかった。
思わず胸がいっぱいになる。




 

最後は、会場がひとつになって一緒に『ふるさと』を歌う。







決して満足できる音響ではなかったけれど、加藤さんの深く慈愛に満ちた歌声は魂の奥にまでず~んと入り込んできた。
新年から本物の歌声を聴き、今年また一年精いっぱいやろうという力が沸き起こってきた気がする。

コンサート後は、別室でシカゴのメディア3社による囲み取材。
いろいろうかがってみたいことがあったけれど、それを話していたら一晩はかかるだろう。
それよりも、加藤さんとはできればこんな「取材」という形ではなく一緒に飲みたい、飲んだら楽しいだろうなぁ、と心から思った。
「ほろ酔いコンサート」が有名な加藤さん、相当いける口らしい。。。


インタビューのなかで、一番ぐっときた言葉。

―(歌手生活50年をふりかえって)今まで多くの人との巡り合いについて・・・

「人に出会うこと自体すごく劇的なことで、運命。出会った人のほうが先に私の人生を作ることをわかって出会っていたような、そんな不思議な気がします。私も人に出会うときには全身でぶつかるんだっていう風に思って出会う。まるで川の水が岩にぶつかるようにね」

インタビューが終わって、ほかのメディアが部屋を出てしまったあとも会話は止まらず、最後の最後まで歩きながら私に全身で話しかけてくださった加藤さん。
2015年の初めに素敵な人に出会った私はこの年を全身で生き切ろうと思った。


加藤登紀子さん スペシャルインタビュー記事

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先日のインタビュー記事が、サイトにUPされました。

↓  ↓  ↓ 文字をクリックしてご覧ください。

加藤登紀子さん スペシャルインタビュー


原稿をチェック頂いた加藤さんご本人から「完璧です」とのお言葉をいただき、感激の至り。

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